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エッセイ:才能と努力/理想像

・才能と努力

才能があった方がいいのか、
努力ができた方がいいのか。

そういうはなしは世の中にたくさんあります。

実際にはどちらがいいのでしょう。

才能があるひとは努力をしない。
努力ができるひとは努力で、才能があるひとを
追い越す。

これが小説や漫画で、
よくあるイメージだと思います。

生まれがいい貴族が、
平民を虐げて革命されるみたいな。

でも現実にはどうでしょう。

ものごとに才能があるひとって、
そのものごとが簡単にできるわけです。

そして、ほかの人よりも結果がでる。

こういうのって、
おもしろくないですか?

他人と競って、
良い結果をだせることは基本的に楽しい。

努力で才能を打ち負かす、
みたいなイメージをさっき書きましたが、
この努力をするひとがたくさん頑張って、
得られる気分のよさを
才能のある人はたくさん得ています。

というわけでおもしろい。

おもしろいことはたくさんやりますし、
余裕があるといろいろと工夫をします。

そして結果がでて、さらに楽しくなってくる。

一方本当に全く結果がだせず、
努力だけをしようとするひと。

やっていても全く結果がでないから、
無駄にしか思えません。

楽しくないし、
他人と劣っていることをやるたびに自覚させられる。

努力を継続すること、
すごく難しいですよね。

やればやるだけ馬鹿に思える。

わたしだったらそんなことは、やりたくないです。

なので、才能があるひとは努力もできるのが現実。

逆にまったくない、
というか普通の人は、
好きじゃないことは工夫をしないと、
努力を継続することはできません。

なにかしがのコミュニティで誰かと一緒にやったり、
少しやることで成果がでたと思えるように、
目標を小さくしてみたり。

通り一辺倒に、才能と努力は比較できないのです。

・理想像

誰しも、なにかしが自分がこうなりたい、
こうであってほしいという理想像があるはずです。

でもその理想像。
本当に自分がなりたいと思っているものでしょうか。

誰かがこういうのがいいと言っていたから。
こうなりなさいと言っていたから。

そういうものではないでしょうか。

そこに自分があればよいのですが、
まったくない理想像。

あまりにも自分とかけ離れていて、
到達することは難しいし、
それを目指すことも楽しくないはずです。

こうあるべき、こうなるべき。
そういう思考をしているわけです。

すべき思考は、
自分の行動を減点方式で評価します。

なので自己肯定感がうまれにくい。

もしそういうことがあるなと思ったら、
自分の現状を一度顧みて、
自分が本当は、
なにをできたらうれしいのか。

そしてそれは、
現状の自分とかけ離れていないか。
少し考えてみるといいでしょう。

理想像はかけ離れていたって、
到達するのがあまりにも遠すぎて難しい。

明日の自分が5分でできることを一つできるようになる。
それくらいの理想像が、ちょうどいいと思います。

それではまた。