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「数学」はなぜ存在するか?:数学の実在性とその物理世界における根拠についての考察

序論

1960年、物理学者ユージン・ウィグナーは「自然科学における数学の不合理なまでの有効性」という論文を発表しました。彼は論文の中で、数学がなぜこれほどまでに物理現象を正確に記述できるのか、という疑問を提起しました。
ウィグナー自身は数学的実在論について明確な立場を示さなかったものの、その問いかけは数学と物理世界の密接な関係を示唆するものでした。
はたして、数学は実在するのでしょうか? そしてするとしたら、なぜ存在するのでしょうか?
この記事では、「カオス・シー:Chaos Sea」という概念を提案し、数学的実在と物理世界との関係を考察します。そして数学的構造と物理世界はカオス・シーという同じ起源を持つ同根の存在である、という仮説を提示し、ウィグナーの問いへの回答を試みます。


1. 「数学」は実在するか?

1.1 歴史的背景

数学の実在性については歴史上、様々な立場がとられてきました。
古くは古代ギリシャに遡ります。ピタゴラスの定理で有名なピタゴラスは「万物は数なり」と提唱し、数を究極の実在と考えました。またプラトンは数学的対象を「イデア」の世界に属する実在と見なしました。

時代は下り、時は20世紀。数学の実在性については実在論と反実在論の2極、そして反実在論は主要な3つの立場がありました。以下にそれぞれの立場をまとめます。

実在論:
【プラトン主義】:ハーディ、ペンローズ、ゲーデルなど
 プラトンのイデア論の流れを汲み、数学的対象が物理世界とは独立して存在するという立場です。 ハーディは「数学的真理は宇宙の本質に関する真理であり、数学は宇宙において独自の存在を持つ」と述べました。ゲーデルもまたプラトン主義の立場をとり、数学的真理の客観性と絶対性を論じました。

反実在論:
【形式主義】:ヒルベルト、カントール、ブルバキ、アインシュタインなど
 形式主義は、数学はただの記号操作の体系であり、数学的対象の実在性を認めません。 ヒルベルトが提唱したこの考えでは、数学は論理的な一貫性をもつ一種の「記号ゲーム」に過ぎず、物理世界とは無関係です。

【構成主義】:エルンスト・マッハ、ヘルマン・ワイルなど
 構成主義は、数学的対象は人間の心によって構成されるものであり、独立した実在を持たないとします。エルンスト・マッハやヘルマン・ワイルの考え方に基づき、数学的対象は具体的な操作や構成を通じてのみ意味を持ちます。構成不可能な「無限」を認めない、ということはこの立場を象徴しています。

【直観主義】:ブラウワー、ウィトゲンシュタイン、クロネッカーなど
 直観主義は、数学的真理は人間の直観に基づいて構築されると主張します。数学的対象の存在は人間の意識に依存し、無限集合の実在性を否定します。

現代哲学においても、数学の実在性に関する議論は続いています。以下にいくつかの主要な立場を紹介します。

【クワインのホロイズム】
 クワインは、伝統的な実在論と反実在論の二者択一を拒否し、より中道的な立場をとりました。彼は「存在の問題」として数学的対象の存在を考察しました。
 数学的対象の存在を直接的には主張せず、科学理論の受容とパッケージとして数学的対象を受け入れる立場です。

【構造主義】
 20世紀の大きな哲学的な潮流のひとつです。数学的対象を構造そのものとみなし、数学的対象よりもむしろその構造そのものに焦点を当てて考えます。

【モデル理論】
 抽象的な数学的対象は、具体的なモデルの中に実現させることができるという理論です。

上記のように、数学の実在性についての議論は多様な哲学的な立場によって展開されています。
一方の極は数学的プラトニズムであり、数学的対象を実在とみなします。
他方の極は形式主義などの反実在論であり、数学は単なる人間の論理的思考の産物とみなします。
現代ではどちらかというと中間的な立場からの議論が活発なようです。

次章では、数学が物理世界とどのように関係しているかについて、具体的な例を通じて考察したいと思います。

2. 自然科学における数学の不合理なまでの有効性

前章では数学の実在性について、様々な立場を概観しました。
形式主義のような反実在論的立場は数学を単なる人間の思考の産物とみなしますが、一方で、数学はなぜだか分からないけれど我々の住む物理世界と「異常に」密接に関わっているという事実があり、自然科学において数学は必要不可欠な道具となっています。
その使用はありとあらゆる領域に及びますが、ここでは物理学の範囲に絞って、その使用例を具体的に見ていきましょう。

2.1 ニュートン力学、相対論、量子論、……

リンゴが木から落ちる様子を見て万有引力の法則を思いついたニュートンのエピソードは有名ですが、ニュートンの作りだした力学体系において最も重要なのはリンゴではなく「微積分」です。
17世紀後半、ニュートンとライプニッツは微分・積分という数学的概念をそれぞれ独立に発明しました。微分とは変化の割合や瞬間的な変化率を捉える概念で、積分は微分の逆演算として定義されます。
この微積分の概念は物体の運動を表現するのに極めて有用であり、ニュートンは微積分を使ってニュートン力学を創始しました。

時は下り1900年代、物理学者のアインシュタインはニュートン力学と電磁気学の間にある矛盾を解決するために、ある理論を考えました。この理論によれば、光の速度はあらゆる慣性系で不変であり、時間の進み方は宇宙のあらゆる点で異なっています。現在では相対性理論と呼ばれている理論です。
アインシュタインは特に後期の一般相対性理論において、時空の歪みを記述するために高度な数学的道具を使用しました。例えばテンソル解析はベクトル解析を一般化したもので、リーマン計量テンソルは物質・エネルギーによる時空のゆがみ具合を記述します。ミンコフスキーによる4次元時空の考え方は理論の基礎となりました。
また、一般相対論の様々な定理や解の中には数学者が生みだしたものも多く含まれています。たとえばブラックホールのカー解、ゲーデル解などがあり、またヒルベルトはヒルベルト作用量やヒルベルトの制約方程式などを導きました。

さらに量子論においても数学は根幹的な役割を果たしています。
量子力学では線形代数は量子の重ね合わせ状態を表現し、行列力学は量子状態の時間発展を記述します。また、量子状態は無限次元の複素ヒルベルト空間上の元(ベクトル)として表現されます。
現代の標準模型を構成する量子場の理論や素粒子論においては、群論や代数幾何学など、さらに様々な高度な数学的道具立てが不可欠とされています。

このように、物理学という一分野に限ってみても、数学は自然科学を記述する上で極めて有用であり、それぞれの理論の基礎を成していると言えます。

このような自然科学における数学の「不合理なまでの有効性」について問題提起をしたのが、序論で紹介したウィグナーの論文です。

2.2 数学の不合理なまでの有効性

1960年、物理学者ユージン・ウィグナーは「自然科学における数学の不合理なまでの有効性」という論文を発表しました。彼は論文の中で、数学がなぜこれほどまでに物理現象を正確に記述できるのか、という疑問を提起しました。
ウィグナーの問いかけは以下です。

  • なぜ「物質」から切り離された抽象的な数学が、自然の法則を記述するのに非常に有効なのか。

  • この「不合理な有効性」は、数学が自然界の仕組みを忠実に反映していることを示唆する。

  • 物理理論は実験データに合うように作られるが、その際に出くわす数学は驚くほど単純で美しい。

  • これは、自然が本質的に数学的に記述できるからだと考えられる。

そしてウィグナーはこの数学の不合理なまでの有用性について説明するために、三つの考えを示しました。

 ・ひとつは、それを神の摂理と捉える見方。
 ・ひとつは、それは人間の精神による偶然と見なす見方。
 ・そして最後に、それを数学と自然の「共犯関係」とみなす見方。

果たしてこのなかに正解があるのかどうかは分かりませんが、上記ふたつに関しては説得力が欠けるように思います。もしこの中に正解があるとすれば、考えられるのは最後のひとつでしょう。すなわち、数学と物理世界との間にはなんらかの繋がりがある、という見方です。

次章では、この考え方の一つの極として、数学的対象と物理世界との間に「共通の起源」が存在する、というモデルを提示したいと思います。

3. カオス・シーと数学的構造

前章では数学的対象と物理世界との密接な関係について、具体例を挙げて概観しました。本章では、その不可解な関係性を生みだす根拠として、数学的対象と物質世界とを共に生みだす共通の起源の可能性について考察したいと思います。

3.1 カオス・シー

さて、数学的対象と物理世界の共通の起源を探るためには、まず物理世界自体の起源から考える必要があります。では物理世界の起源とは一体何なのでしょうか?

もちろん、現在の科学の知見ではそのようなものがどのようなものなのかはまだはっきりとは分かっていません。
しかし、これまでの記事(たとえば以下の記事)では、自然界の基底にあるものとして「何も定まっていない状態」を考えてきたのでした。

上記記事では、「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」という哲学的問いについて、存在の定義を「ミクロからマクロへの像」とした上で、自然界の基底に「何も定まっていない状態」を置くことで無限後退を回避できる、としました。
すなわち、この観点において「何も定まっていない状態」は上記哲学的問いを解くための重要な要請と考えられます。

また、以下の記事では、そのような場を「限りなく巨大な量子多体系」と仮定し、そこからエントロピックな過程を経て宇宙や物理法則が自発的に生じる可能性について考察しました。

「限りなく巨大な量子多体系」は、自然界の基底にあると考える「何も定まっていない状態」の有力な候補です。
よって、そのような系をここに「カオス・シー:Chaos Sea」と名づけ、それを物理世界の起源であると仮定した上で、その数学的対象との関係性について、以下では考察したいと思います。

カオス・シーの具体的な定義を以下に示します。

【カオス・シー:Chaos Sea】
「自然界の基底にある」/「宇宙の始まる前にあった」と考えられる無限に広がる量子多体系であり、そこには何の決まりも秩序も存在しない、無秩序で混沌とした状態。
物質、時間、空間、力、物理法則など、あらゆる物理的存在物はカオス・シーから生じる。

3.2 カオス・シーの数学的表現力

さて、カオス・シーと数学的対象の関係性について考察するわけですが、そもそも、カオス・シーがある数学的対象を表現できるとき、その数学的対象はカオス・シーとどのような関係にあると言えるでしょうか。
カオス・シーは物理世界の基底であり、そこに生じるあらゆるパターンは物理的実在とみなすことができます。よって、仮にそこに数学的構造が現れたとき、それは物理的実在と同義とみなすことができるでしょう。
この考えに従うなら、以下の事が言えそうです。

「カオス・シーがある数学的対象を表現できるとき、その数学的対象は対応する物理的実在と同根のものとして実在する」

以下、上記の命題を正しいものと仮定して議論を進めたいと思います。

では、カオス・シーにはどの程度の数学的表現能力があるのでしょうか?

まず、カオス・シーの系全体は極めて高次元のヒルベルト空間で表現されるといえます。
ヒルベルト空間とは我々が普段慣れ親しんでいるユークリッド空間を一般化した概念であり、無限次元のベクトル空間で内積が定義されているものを言います。
量子多体系のもつ状態は基本的にこのヒルベルト空間で表現されますが、カオス・シーは無限に広大な量子多体系であり、その表現可能な自由度は極めて巨大になると考えられます。
よって、極めて複雑な状態を表現することが可能でしょう。

また、巨大な量子多体系は高いエントロピーをもち、多様な微視的状態を実現することが可能です。
そして相転移現象によって、異なるマクロな性質を持つ状態間を劇的に移行します。つまり、一つの量子多体系から、多様な数学的構造が創発する可能性があります。

このように、カオス・シーは連続的な微分方程式から離散的な組合せ論的構造まで、さまざまな数学的対象を表現する可能性を秘めているといえます。

3.3 ヒルベルト空間を超えて

では、ヒルベルト空間をより一般化した空間概念についてはどうでしょうか。
ヒルベルト空間を一般化したものとして、以下のような数学的構造があります。

【バナッハ空間】:
ヒルベルト空間をより一般化したものです。ノルム空間であり、完備性を持つものです。またバナッハ空間は必ずしも内積が存在する必要がありません。
量子多体系における波動関数や状態の空間を定義する際に利用されます。特に、状態の集合が完備性を持つことが解析において重要です。

【フレシェ空間】:
バナッハ空間をより一般化したものです。位相が定義されており、完備性を持ちます。
無限次元の量子系における関数や演算子の扱いに適しています。特に、無限次元の系の解析や微分方程式の解の空間として有用です。

【ゲルファンド三重構造】:
ヒルベルト空間とその部分空間、双対空間の関係を表す概念です。
量子力学における自己共役作用素や散乱理論など、物理現象の数学的モデル化に利用されます。量子状態や観測可能量の広範なクラスを含むことができ、分布的な解析に強力です。

【位相空間】:
もっとも一般的な空間。集合と、その上に定義された位相(開集合系)で構成され、距離という概念に依存しません。
開集合は点の近傍をあいまいに規定するだけで、距離という厳密な尺度を必要としないので、カオス・シーの無秩序な性質を現すのに適切であるかもしれません。
また、位相空間は位相的不変量という概念を持っており、これはカオス・シーの極めて複雑で多様な構造を特徴付けるのに有用であるかもしれません。
さらに、ホログラフィック原理によれば量子多体系から時空が創発される描像が得られていますが、カオス・シーは時空が創発される以前の状態を表していると考えられるため、距離に依存しない位相空間はその状態を表すのに適切である可能性があります。

これらの数学的構造は量子多体系の数学的表現において有用ですが、カオス・シーのような巨大量子多体系がこれらの構造にどの程度対応できるかは今だ未知数であり、研究途上であるといえるでしょう。
しかし、少なくとも部分的に表現可能性があることは示されていると言えるでしょう。

3.4 3章まとめ

この章では、物理世界の基底を現すカオス・シーという概念を提示し、そこから多様な数学的構造が表出され得るということを考察しました。
カオス・シーが持つ多様な数学的表現力は、数学の実在性に対する強力な証拠となり得ます。カオス・シーから生じる複雑な数学的構造は物理世界と同根であり、数学が物理現象を記述する上で本質的な役割を果たすことを示しています。
一方で、カオス・シーが「あらゆる数学的構造」を表現可能かどうかについては、現状なんとも言えない、と言えるでしょう。量子多体系の数学的表現力について、今後の研究に期待したいです。

次章では、カオス・シーの考えが既存の様々な哲学的立場の中でどの辺りに位置するのかについて確認したいと思います。

4. 既存の立場との比較

カオス・シーの考え方は、物理世界と数学的実在の同一起源を説く存在論的立場であり、従来の数学哲学の主要な立場とは一線を画していると言えます。
しかし、一部の既存の立場と通底する側面もあります。
特に数学を実在とみなすプラトン主義の立場とは親和性が高いと言えるでしょう。
以下、主要なそれぞれの立場との共通点・相違点をまとめてみます。

【プラトン主義】
 ・共通点:数学的構造が実在する、とする点
 ・相違点:数学的対象が物理世界とは別に存在する、とする点

【形式主義】
 ・共通点:あまりない
 ・相違点:形式主義は数学を人工的な記号操作とみなすが、カオス・シーの考え方ではそうではない

【構成主義】
 ・共通点:あまりない
 ・相違点:構成可能なものだけが数学であるという点は一致しない

【直観主義】
 ・共通点:ほぼ対極の思想であると言える
 ・相違点:人間の直観に依存しないという点で異なる

総じて、実在論とは相性がよく、逆に反実在論とは異なる考えと言えそうです。
あえて既存の立場と絡めて呼ぶとしたら、「物理化されたプラトン主義」とでも呼べるでしょうか。

従来のプラトン主義では数学的対象が物理世界と独立して存在するという二元論的な立場をとりましたが、一方でカオス・シーの考え方は数学的対象を物理世界と同根とみなす一元論的な立場です。
同様の一元論的な立場として、次の章で扱う「数学的宇宙仮説」があります。

5. 数学的宇宙仮説

5.1 数学的宇宙仮説とレベル4マルチバース

1998年、スウェーデン出身の物理学者であるマックス・デグマーク(Max Tegmark)は、物理学と哲学の両面から宇宙を説明する興味深い論文を提出しました。
論文の中で彼が提唱した「数学的宇宙仮説」は、宇宙そのものが数学的構造であると主張します。つまり、物理的な実在はすべて数学的な構造として理解でき、数学的な構造が実在する限り、それは物理的に存在するものとみなせる、としました。
この仮説が示唆する世界像は、「数学的に可能なあらゆる宇宙が実在する」という壮大なものです。デグマークはこの多元宇宙観を「レベル4マルチバース」と名づけました。明らかにプラトン主義に影響を受けた仮説です。

さて、前章ではカオス・シーの考え方について、「物理化されたプラトン主義」という一元論的な立ち位置にあると考察しましたが、デグマークの上記「数学的宇宙仮説」は、カオス・シーの考えと非常に通底する部分があることがわかります。

むしろ、カオス・シーの考え方は、数学的宇宙仮説が前提とする数学的構造の実在性や、その物理的実在との同一性について、より具体的な根拠を与えるものです。数学的宇宙仮説は、そもそもの数学的構造が存在する理由については何の説明も与えていませんが、カオス・シーの考えは数学的構造が発生する起源を説明します。そして同時に、それが物理的実在と等価であることも説明しています。

デグマークの主張はある種、プラトン主義の最右翼とも呼ぶべき主張ですが、カオス・シーの世界描像と組み合わせると、さらなる説得力をもつ主張となるのではないでしょうか。

6. ウィグナーの問いに戻って

ユージン・ウィグナーは「数学の不合理なまでの有効性」という印象的な言葉で、数学が物理世界を驚くほど正確に記述できることに対する驚きと疑問を表しました。
一方、これまでの章では、カオス・シーという概念を用いて、ウィグナーが問うたこの疑問を説明しようとしてきました。

ここに、「数学が物理法則を記述するためにこれほど有効である」理由について、私の見解をまとめます。

本記事では物理現象が数学的構造を持つ理由について、カオス・シーという概念により説明を試みました。カオス・シーは巨大な量子多体系であり、複雑で多様な数学的構造を持っています。このことが、ウィグナーが問うた「数学の物理現象に対する有効性」を説明する鍵となります。
カオス・シーからは、数学的構造と物理的構造が同時に発生します。両者は独立に存在するのではなく、いわば同一人物の別側面です。この仮説に基づけば、数学は物理世界を記述するために「不合理」ではなく、むしろ至極自然な選択となります。
ただし、カオス・シーが「あらゆる数学的構造」を内包するかどうかについては、現時点では不透明です。今後の研究が必要であると言えるでしょう。
しかし、現時点の理解においても、そこには十分に多様な数学的構造が内包されていると言えるでしょう。

ウィグナーの「数学の不合理なまでの有効性」に対する問いは、数学の実在性と物理世界の関係を考察する上で重要な視点を提供してきました。
物理世界と数学的構造が同根であるというこの記事の結論は、数学の実在性を支持し、その物理現象への適用可能性を自然なものとして位置づけます。

これが、ウィグナーの問いに対する私なりの回答です。

まとめ

  • 数学の実在性については「数学の哲学」という分野で歴史上様々な立場がとられてきた。

  • 一方、ウィグナーの問いが示すように、数学は物理世界を説明するのにあまりにも有用であるが、なぜここまで有用なのかは謎とされてきた。

  • カオス・シー」という概念を提案し、物理世界と数学的構造が同一起源であるという仮説を立てた。

  • カオス・シーとは物理世界の基底にあると仮定する「限りなく巨大な量子多体系」である。

  • カオス・シーは極めて多様な数学的表現力をもつと考えられる。

  • 同時にカオス・シーからは多様な宇宙が生成可能であると考えられる。

  • カオス・シーの考えを従来の立場の中に位置づけるとしたら、「物理化されたプラトン主義」とでも言えるだろう。これは数学的対象と物理世界とをそれぞれ独立した実在とみなす従来の二元論的立場とは異なり、数学的構造と物理的実在を同根とみなす一元論的な立場である。

  • 数学的宇宙仮説との関係について議論した。カオス・シーからはあらゆる数学的宇宙が生まれる可能性がある。これは数学的宇宙仮説の「レベル4マルチバース」に対応する。

  • カオス・シーがあらゆる数学的構造を内包するかどうかは、現時点では不明であり、今後の研究が必要である。

  • しかし、現状の理解においてすでにカオス・シーは極めて多様な宇宙および数学的構造を生みだし得ると考えられる。

おまけ1:思想地図(時系列順)

古代ギリシャ:

・ピタゴラス学派:数を究極の実在と考えていた。
・プラトン:数学的対象を「イデア」の世界に属する実在とみなす。

17世紀:

・デカルトら:合理主義運動。数学を人間理性に基づく確実な知識と位置づけた。

18世紀:

・ヒューム:数学的真理は経験から導き出されるものではなく分析的真理にすぎないと主張。

19世紀後半:

・フレーゲ:数学を論理学に還元しようとし、数学的対象を抽象的対象として実在すると考えた。
・ブルーノ・ケルマン:直観主義的立場から、数学的対象は精神現象であると主張。

20世紀前半:

・論理主義(フレーゲ、ラッセル):数学を論理学に還元。
・直観主義(ブラウワー):数学的対象は精神現象である。
・形式主義(ヒルベルト等):証明可能性に数学の客観性を求め、数学的対象の存在には懐疑的。

20世紀後半以降:

・クワイン:「存在の問題」として数学的対象の存在を考察。
・構造主義:数学的対象を構造そのものとみなす。
・モデル理論:抽象的な数学的対象は、具体的なモデルの中に実現させることができるという理論。

おまけ2:思想地図(立場のスペクトル)

実在論的立場

・数学的宇宙論(マックス・デグマーク):数学的対象を物理的実在そのものと同一視。
本記事の立場(このへん):数学的対象と物理的実在は同根。
・数学的プラトニズム(ゲーデル):数学的対象は時間・空間を超越した抽象的な実在。
・論理主義(フレーゲ):数学的対象は抽象的実在として存在する。
・クワイン:科学理論の文脈で数学的対象の存在を認める(存在の問題)。
・構造主義:数学的対象は構造そのものであり、その構造が実在する。

中立的立場

・モデル理論:数学的構造を様々なモデル上に解釈する(実在性の相対化)
・経験論的立場(カント、ミル):数学は経験から生まれた人工物

反実在論的立場

・フォン・ノイマン:数学は人間が作り出した単なる計算規則。
・構成主義(エルンスト・マッハ):数学を物理学の単なる計算手段とみなし、数学的概念は経験から構成されるべきだと主張。
・構成主義(ヘルマン・ワイル):数学的対象の存在は認めつつも、それらは人間の精神活動によって構成されるべき対象だと主張。
・直観主義(ブラウワー):数学は精神現象である。
・形式主義(ヒルベルト):数学は記号操作ゲームの体系にすぎない。

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