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自然法則のハードプロブレム:ボルツマン脳は現実世界の夢を見るか?

概要

「なぜ自然法則は存在するのか?」
この謎に答えるべく、「自然法則のハードプロブレム」という概念を提案し、「ボルツマン脳の思考実験」「エントロピックな万物の法則」という二つの方向からこの問題への回答可能性を探る。


1.「自然法則の」ハードプロブレム

リンゴが木から落ちる様子から、万有引力の法則を導き出したニュートンのエピソードはあまりに有名です。
しかしもし仮に、リンゴが場合によって木から落ちなかったり、落ちたリンゴが木に逆戻りしたり、今度は明後日の方向に吹っ飛んで行ったりと、眺める度にリンゴの挙動が変わってしまうような世界だったとしたら、ニュートンはおそらくそこに何の法則も見いだす事は出来なかったのではないでしょうか。
この自然界は不思議なことに、同一条件では同じ事が起こる、という斉一性の法則に支配されています。リンゴはいつでも木から下に落ちるし、マッチを擦れば毎回火が燃え、太陽はいつも東から昇ります。このような自然界の法則があるからこそ、我々はニュートン方程式だとかマクスウェル方程式だとかアインシュタイン方程式だとかを考える事ができ、そのようなモデルを元にこの文明社会を築き上げることができているのです。

しかし、考えてみればこれは不思議なことです。
自然界はまるで精密な機械仕掛けの時計のように、規則正しくなんらかのルールに従って動いているようにみえます。量子論においてはそのような動きは確率的にしか表せないことがわかっていますが、それでもその確率分布は厳密に予測できるのです。これは大いなる謎ではないでしょうか。
仮に自然界を統一する「万物の法則」がわかったとしても、この謎は解けないかもしれません。どのようなモデルが提示されたとしても、「ではなぜ、そのモデルに従って自然界は規則正しく動いているのか?」という問いには依然として答えられないからです。

さて、分野は変わりますが、我々の意識のメカニズムについても、類似の問いがあります。
我々の意識は脳内の神経細胞の発火から生じていることが強く示唆されていますが、意識が生じる物理的メカニズムが完全に明らかになったとして、「ではなぜ、神経細胞の発火のような物理的プロセスから、意識のような主観的な体験が生じなければならないのか?」という問いには依然として答えられません。
これは「意識のハードプロブレム」と呼ばれる問題ですが、上記の自然界を支配する法則についての謎と、奇妙な類似点があることに気づくと思います。

両者を比較してみましょう。

【意識のハードプロブレム】
・意識が生じる物理的メカニズムが完全に明らかになったとして、「ではなぜ、神経細胞の発火のような物理的プロセスから、意識のような主観的な体験が生じなければならないのか?」という問いには依然として答えられない。

【自然界の法則についての謎】
・自然界を支配する万物の法則が仮に明らかになったとして、「ではなぜ、そのモデルに従って自然界は規則正しく動いているのか?」という問いには依然として答えられない。

このように、両者の謎は同型の構造をもっていることがわかります。

そこで、「自然界の法則についての謎」を、「意識のハードプロブレム」にならって、以下「自然法則のハードプロブレム」と呼ぶことにしたいと思います。この呼称を用いることで、自然法則の存在に関する根本的な疑問を明確にし、議論を進めやすくなります。

「自然法則のハードプロブレム」は「意識のハードプロブレム」が神経科学の知見だけでは解けない可能性があるのと同様、物理学の枠組みだけでは解けない可能性がある難問です。一種のメタ物理学的な問題ともいえます。
よって現状、有効な回答は存在していないと言えますが、以下の章では、考えられるふたつのアプローチを提示し、その可能性について議論したいと思います。

2. 大前提:根源の無秩序

さて、「自然法則のハードプロブレム」を考えるにあたり、まず重要なのは、自然法則が現れ出る背景を明らかにすることです。
細胞、分子、原子、核子、クォーク、と、自然界は階層構造になっていることが知られています。このような自然界の階層構造をさかのぼっていくと、いつかはミクロの底にたどり着くと考えられますが、そのような「基底」には、いったい何があるのでしょうか?

もちろん、現在の物理学の知識では、そのようなものがどういうものなのか、まだはっきりとは分かっていません。
しかし、先の記事の考察において、そのようなミクロの基底には、いわば「なにも定まっていない状態」があることが示唆されました。

よって、ここでは自然界の基底にあるものとして、「何も定まっていない無秩序」というものを仮定することにします。これは、すべてが可能な状態であり、具体的な法則が存在しない状態を指します。
この基盤を出発点として、そこからどのようにして自然法則が自発的に現れてくるのかを、次章以降では二つの方向から考えていきたいと思います。

3. 回答A:ボルツマン脳と人間原理

3.1 ボルツマン脳と人間原理

「何も定まっていない無秩序」から法則性が自然と現れ出てくるメカニズムとして、まず考えつくのが、「ボルツマン脳」と「人間原理」を組み合わせたアプローチです。
まず、ボルツマン脳とは何でしょうか。Wikipediaでひいてみましょう。

ボルツマン脳(ボルツマンのう、: Boltzmann brain)は、現代科学が想定しているように宇宙が生まれるよりも、単一のが自発的かつ簡潔に(私たちの宇宙に存在したという誤った記憶を持った状態で)真空から生じた可能性の方が高いという主張である。宇宙の低エントロピー状態に対するルートヴィッヒ・ボルツマンの初期の説明に対する「帰謬法」として初めて提案された。

Wikipedia「ボルツマン脳」より

真空が無秩序の揺らぎを持っているとした時、そこからあらゆるパターンが生じ得ます。そうすると、そこから意識を持った「脳」のようなパターンもまた生じ得るであろう、という思考実験です。
もしそのような「ボルツマン脳」が秩序だった世界をそこにみたとき、ボルツマン脳は考えるでしょう。「なぜ世界はこのように秩序だっているのだろうか?」

では、根源にある「無秩序の揺らぎ」の中から統計的に偶然生まれ出たパターンである「ボルツマン脳」からみた世界は、いったいどのように見えるのでしょうか。

ボルツマン脳の思考実験では、ボルツマン脳が現実世界とまったく変わらない夢をみている場合、それは宇宙そのものが誕生し、その中に通常の脳や意識が自然発生するよりも、より高い頻度であり得るだろう、としています。

しかし、我々の普段みている夢がどのようなものであるかを思い返してみると、それは必ずしも現実世界のように秩序だったものではありません。突然場面が切り替わったり、空を飛ぶことが出来たり、人の顔がどんどん変わっていったりと、法則性というものがまるでないような世界がそこに繰り広げられます。
どうも、ボルツマン脳のような構造がただ「夢」を見ているだけでは、人間原理的に考えて、自然法則の存在を説明できそうにないようです。

そこで、単に脳があるだけでなく、脳の周りに「脳がみている世界」がある、という想定をしてみましょう。脳は夢をみているのではなく、現実世界をみているのです。

ここで、そもそも意識がどのようにして生じているのか、ということを考えてみましょう。意識の生成メカニズムに対する仮説は、以下の記事でとりあつかいました。

上記記事において、意識はミクロの量子状態がデコヒーレンスによってマクロに写像されることで生じる、という描像を描きました。
これに従うなら、ボルツマン脳が外界を観測し、なんらかの意識が生じるためには、ミクロからマクロまでの秩序だった構造が成立している必要がある、ということになります。さもなくば情報の写像が阻害され、きちんとした意識は生じません。
すなわち、脳が観測している範囲において外部世界が秩序だっていることは、意識が生じる要請である、と捉えられることになります。

よって、人間原理的に考えて、ボルツマン脳がみている世界は、必然的に秩序だった構造をもつ、ということになります。

3.2「世界プランク秒前仮説」と刹那滅の世界観

上記のような描像はどのような世界観を示唆するのでしょうか。
無秩序の中に偶然生じたボルツマン脳はその主観上では秩序だった世界を眺めることになりますが、当然そのような世界は偶然的に生じたパターンに過ぎず、安定していません。おそらく、1プランク秒後には崩壊してしまうでしょう。
しかし、崩壊した世界はボルツマン脳の主観上からは認識されることはありません。ボルツマン脳の主観上では、依然として秩序だった世界が観測され続けることでしょう。仮にそれが「実際には」一瞬毎に生成消滅を繰り返すプランク長幅の綱渡りのような世界だったとしても。

これはまさに「世界プランク秒前仮説」、あるいは仏教の「刹那滅」の世界観です。秩序だった世界が安定して連続しているのは、あくまでみかけ上の錯覚であり、世界は常に不安定であって生成消滅を繰り返しているのです。

しかし、この回答は一定の説明にはなっているとしても、やはり極端な仮説であり、直感的には無理があるように思います。
完全な見かけ上の秩序ではなく、なんらかの客観的な秩序がそこに自発的に生じるメカニズムが他にあるのではないか、と考えたくなります。

そこで、次章ではふたつめの方向として、意識の見かけの上だけでなく、宇宙に「客観的な」秩序や法則性が自発的に生じてくるようなメカニズムを考えたいと思います。

4. 回答B:エントロピックな万物の法則

4.1 エントロピー増大則

よく知られているように、「エントロピー増大の法則」というものがあります。自然界を支配する基本法則のひとつです。
では、「なぜ自然界はエントロピーの増大則に従うのか」という問いは意味がある問いでしょうか?
これは意見が分かれる問題かもしれませんが、エントロピー増大則は純粋に統計的な作用であって、そこに「なぜ」を問うことはあまり意味がないのではないか、というのが私の考えです。

そう考えると、この「エントロピー増大則」を前提とすれば、「自然法則のハードプロブレム」を説明する観点がひとつみえてくるのではないでしょうか。

4.2 ビッグバンと自然法則の自発的生成

さて、宇宙は「ビッグバン」という過程によって生じた、というのは現在の宇宙論の標準的な理解です。しかし、ではなぜビッグバンは起こったのか、ということについては共通の理解はありません。
ここで、上記の「根源の無秩序」がまずあったと仮定するなら、そのような無秩序から偶発的に極低エントロピーのパターンが生じることも(極めて低確率ながら)ありえるはずです。そのようなパターンは不安定であり、すぐに散逸すると考えられますが、その散逸過程を「ビッグバン」とみなすことも可能だと考えます。すなわち、ビッグバンはひとつのエントロピー増大過程です。

ここで、「エントロピックな万物の法則」という考えを導入します。
もし仮に宇宙を支配する「万物の法則」がエントロピックな視点で記述できるようなものだったとしたら、ビッグバンの過程から自然法則が自発的に生じる描像が描けるはずです。
これは「自然法則のハードプロブレム」のひとつの説明になり得ます。

4.3 ホログラフィック原理

上記の「エントロピックな万物の法則」は現状の物理モデルから直接導き出されたものではありませんが、先端物理の考えにも通じている部分があります。

たとえば超弦理論の文脈から出て来た「ホログラフィック原理」においては、時空は低次元の量子多体系から創発されて生じることが示唆されています。
ここで、「根源の無秩序」を「限りなく巨大な量子多体系」と捉えるなら、そこからエントロピックな過程を経て時空や法則性が自発的に生じる、という描像はホログラフィック原理にも通底します。
そのようなモデルは「自然法則のハードプロブレム」を説明し得るかもしれません。

5. 二つの観点の関係について

以上のように、AとB、ふたつの観点から「自然法則のハードプロブレム」について考えてみました。
Aの回答のように、「すべてがボルツマン脳が見ている夢」という想定は極端であり現実的ではありませんが、Bの説明だけで完全にすべてが解決するとも考えにくいかもしれません。例えば超弦理論においてはカラビ・ヤウ空間の折りたたまれ方によって無数の宇宙が可能である事が示唆されていますが、そのような宇宙の中から我々の宇宙が選択されるためには、人間原理的な視点は避けられないでしょう。
そのように考えると、例えば物理定数の決定に人間原理が絡んでいるなど、「自然法則のハードプロブレム」の説明には部分的にAの要素が絡んでいる可能性があります。AとB、どちらによる説明を強めるかによって、様々な立場が可能であるはずです。
実際には、AとBの二つの方向からの秩序づけ作用が共に働くことで、我々がみているようなほぼ完璧に秩序だった世界は成立しているのではないかと考えます。

まとめ

  • 「自然法則のハードプロブレム」という新しい概念化を行った。

  • 「自然法則のハードプロブレム」に対して、二つの方向から回答可能性を探った。

  • ひとつは、ボルツマン脳の思考実験を元にした、人間原理的な観点による説明である。しかしそれが示唆するのは刹那滅的な極めて不安定な宇宙である。

  • もうひとつは、「エントロピックな万物の法則」という想定である。この考えは自然法則の客観的な自発的生成を説明し得る。また先端物理学のホログラフィック原理とも相性がよさそうである。

  • 両者も「根源の無秩序」を想定しているという点で共通している。

  • ふたつの説明は排他的ではなく、お互いに補い合う関係にあると考える。


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