見出し画像

意識の生成メカニズムに対する仮説:物質と意識を統合する(2/2)

上記記事からのつづきです。


3. 原始クオリア

3.1 最も単純なクオリア

前章の最後では、「観測による私秘的な情報伝達」を担保するものとして「クオリア」を考え、「クオリアの生成と情報の生成は等価である」という大胆なアイデアを提示しました。本章以降では、そのアイデアの可能性を探っていきたいと思います。

まずは最も単純なケースで考えましょう。2.2 節と同様、ベル状態にある粒子のペアを考えてみます。
ここに、粒子AとBの間で伝達される「私秘的な情報」は、スピン上向きか下向きかの2状態を表す情報であり、1ビットの情報量をもつと考えられます。
この1ビットの最も単純な「私秘的な情報」、すなわちクオリアを、「原始クオリア」と名づけることにします。なぜ「クオリア原子」等ではないのかというと、次節で述べるようにそれがより高次の感覚体験へと「進化」していくと考えられるからです。

では、「原始クオリア」とはどのような体験でしょうか?
それは「ある/ない」「オン/オフ」「全/無」のように形容されるような体験であり、視覚、聴覚、味覚、等々あらゆる感覚に分化していないような原始的な感覚だと考えられます。
我々が感じているクオリアはみな様々な感覚に分化しており複雑なので、そのような原始クオリアを直接体験することはできないと考えられます。しかし、もしかしたら光を感じ取って進む単細胞生物のような単純な情報処理を行う生物においては、この原始クオリアに近いものが生じているかもしれません(繰り返しますが、クオリアの生成と情報の生成を等価とみなしているので、このような原始的な生物にもクオリアは生じていると考えます)。

では、この最も原始的な体験、「原始クオリア」から、いかにしてより高次の「赤い」とか「ドの音」のような感覚が生じてくるのでしょうか。

3.2 情報ネットワークとクオリアの複雑化

前節では1ビットの情報を現す「原始クオリア」というものを考えました。これは理論的に考えられる最も単純なクオリアであり、いわばあらゆるクオリアの「始祖」ともいえる感覚体験です。
では、この「原始クオリア」は、いかにしてより高次のクオリアへと「進化」していくのでしょうか。

それを考えるキーとなるのが、「情報のネットワーク」です。
次のようなネットワークを考えてみましょう。粒子Aと粒子Bがあり、それぞれの状態の「積」によってその状態を変化させるような粒子C、D、Eがあるとします。
このとき、粒子A~E系は一つの系を形成しており、その内部で情報を共有します。

この系が現すことのできる情報を考えます。粒子A、Bのとりえる2×2の状態に対して、粒子C、D、Eがそれぞれ2×2×2の状態をとることができるので、情報量は3ビットとなるでしょう。
すなわち、この系が現すことのできる情報は、1ビットの情報を現す原始クオリアよりも、より複雑化すると考えられます。
原始クオリアが「ある/ない」の2値的な体験しか現すことが出来なかったのに対して、3ビットのクオリアは「ある/中くらいある/ない」くらいの表現が可能かもしれません。

このようにして、情報、すなわち観測行為をネットワークで紡いでいくことで、その系が現すことのできる情報はより複雑化します。同時に、その系に生じるクオリアは、より複雑な感覚を現すことができるようになると考えられます。

さて、脳内では神経細胞が複雑なネットワークを形成していると理解されていますが、その様子はまさに上記の「情報のネットワーク」そのものであると考えられます。
脳内において「赤」や「ドの音」のような複雑なクオリアが生成していることも、上記の考えでなんとなく理解できそうに思えてこないでしょうか。

次章では、脳という器官が具体的に何を行っているかについてより掘り下げて分析し、物理世界と意識の世界を橋渡しする概念を提示したいと思います。

4. 脳という巨大観測装置

4.1 「構造化された」デコヒーレンス

脳は膨大な数の神経細胞からなる複雑なネットワークシステムです。
前章では情報のネットワークが複雑なクオリアを作る様子を概観しました。脳が複雑な情報ネットワークであるならば、そこに複雑なクオリアが生じることも、自然と理解できます。
一方で、脳はマクロな構造物であり、そこを支配しているのは古典系の物理であると考えられます。3章ではミクロの量子系を想定してクオリアの複雑化メカニズムを考えましたが、これを脳という器官に適応して考えるには、ミクロの量子系からマクロの古典系への橋渡しの概念が必要になります。
本章ではそれについて考えていくことにします。

さて、2.1節ではミクロの量子系が平均化され、「混合状態」となることで古典系が現れ出る、という描像を示しました。このことをもう少し掘り下げて考えてみましょう。

ここで、有名な思考実験に登場してもらいましょう。「シュレーディンガーの猫」です。
あまりにも有名な思考実験なので詳細は省きますが、箱の中で「生きている」/「死んでいる」状態が重なりあった猫、という状況は、現実的には今のところ再現できていません。猫のような動物はマクロ系であり、量子的状態を保つことは困難なのです(なおクマムシを量子もつれ状態にできたという研究があるそうです)。
では現実的にはどうなるかというと、放射線源の中の原子のような量子系の状態は環境との相互作用によって情報が散逸し、平均化されることで、マクロにおいては量子状態が「壊れ」て、古典化されます。よって、箱の中の猫はもはや重ね合わせ状態などではなく、「生きている」/「死んでいる」のどちらかの状態に「確定」します。観測者が箱を開けるまでもなく、結果はそこにあるのです。
このような量子状態の「壊れ」を、「量子デコヒーレンス」といいます。

量子デコヒーレンスという現象についてもう少し考えてみましょう。
量子デコヒーレンスは、量子系が環境との相互作用によって情報が散逸し、平均化される現象であると書きました。では、この「情報の散逸」が何を意味するかというと、それはたとえば、環境中に無数に存在する気体分子などとの相互作用です。言い換えれば、量子系は無数の気体分子たちに無数に「観測」され、その量子状態を少しずつ「切り取られ」て、マクロにおいては「壊れて」しまう、とも理解できます。

さて、「無数の小さな観測」という概念で量子デコヒーレンスという現象を解釈しましたが、この量子デコヒーレンスという現象は、気体分子との相互作用のように、一般的にはランダムな相互作用で起こるものと考えられます。
しかし一方で、前章のように無数の「観測」をネットワークで紡ぐ、という考えもあります。そのようにネットワークで紡がれた無数の「観測」、すなわち情報の伝達は、ミクロ系からマクロ系への一種の橋渡し器官として振る舞うとも考えられます。
デコヒーレンスという現象は、統計的平均化によってミクロ系をマクロ系に変換する現象であり、一種の「ミクロからマクロへの写像」です。これを上記のようにネットワークで「構造化」することにより、「構造化されたデコヒーレンス」という考えが浮上してくるのではないかと考えます。

構造化されたミクロからマクロへの写像、これを行っているのが、まさに我々の脳ではないでしょうか?

4.2 最も複雑な観測装置

前節では、「構造化されたデコヒーレンス」という概念を提示し、脳とはまさにそれを行う器官なのではないか、という仮説を考えました。
それが正しいとするなら、脳とは膨大な数の「観測」の連続により、量子的なスケールからマクロな古典世界のスケールへと繋ぐ一種の巨大な写像装置である、とも考えられると思います。まさに自然界で最も複雑な観測装置、とも呼べるでしょう。

もちろん、この描像が正しいかどうかを判断するためには、脳の神経細胞網が行う具体的な物理的プロセスについて詳細に語る必要があるのですが、それはここでは難しい問題です。脳は極めて複雑な系であり、ミクロとマクロの橋渡しとなるメカニズムの解明には多くの課題が残されています。

ただし、いくつかの手がかりは存在します。例えば、神経細胞のネットワーク構造や、シナプス伝達における量子力学的効果の可能性など、デコヒーレンスにおける「構造化」の実体に迫る研究アプローチが考えられます。また、近年進展の著しい量子計算や量子情報の分野から、構造とデコヒーレンスの関係に関する新たな示唆が得られる可能性もあります。
本章で提案した「構造化デコヒーレンス」という概念は、ミクロの量子論とマクロの古典力学を架橋する新しいアプローチとなる可能性を秘めています。今後、様々な実験的・理論的アプロー チを通じて、この概念の具体的な解明が進めばよいなと思います(このへんの文章はClaudeに作ってもらいました)。

次章では、これまでの議論の内容を踏まえつつ、脳内に生じていると考えられる無数のクオリア群から我々の「意識」が創出されるプロセスについて考えてみたいと思います。

5. 意識という場

5.1 無意識を構成するもの

前章までの議論により、脳が「構造化されたデコヒーレンス」によってミクロの量子系をマクロに写像している、という描像が浮かび上がりました。
このプロセスは無数の「観測」がネットワークとして紡がれることで、マクロの全体として、より複雑な像を形成する過程と捉えられます。すなわち、そこには無数のクオリアが生じていると考えられます。

そのような無数のクオリアは、おそらくすべてが意識に上がるわけではないでしょう。むしろ、大部分のクオリアは、その場で独立に生じては消える運命にあるのではないでしょうか。

そのような膨大なクオリア群が形成するものが、我々の無意識である、という見方もできると思います。
無意識は意識に上らずその場で生成消滅する無数のクオリア群で構成されており、その中から選ばれた一部のクオリアがある一つの場に統合されることで意識が生じている。
そのような描像が、浮かび上がってきます。

5.2 意識という場

仏陀の話に戻ります。
仏陀は瞑想により自分の内面に生じる数々の意識断片を観察し、そこに中心的実体が存在しないことを見いだしたのでした。
そのような意識断片は、現在では「クオリア」と呼ばれています。「私」という意識は、無数のクオリア群の連結によって作られた、見かけ上のものなのです。

これまでの考察により、意識現象と物質的事象を統合的に解釈するひとつの描像が浮かび上がってきました。
その中核をなすのが、情報とクオリアの同一性、というアイデアです。情報は客観的な物理法則に従いながらも、同時にクオリアという私的で主観的な側面を常に伴っているのです。物理と観念はまさにこの二側面として表れているに過ぎません。
そしてこの情報=クオリアの流れが、脳内の神経活動において量子から古典への巨大な写像過程となって現れています。無数の観測行為の集積により、ミクロの量子レベルからマクロな古典的なパターンが現出してくるのです。
この量子から古典への写像の過程で、無数のクオリアが生成されます。さらにそれらの中から、ある種の構造化を経て、より高次の統合されたクオリアの場が現れてくる。それこそが私たちの意識体験なのだと考えられます。

つまり、意識は物理的な基盤に根ざしつつ、同時に情報の主観的な側面としてのクオリア性を備えた存在と捉えられます。観念としての意識は物質的実在から生まれ出ながらも、それ自体が新たな実在性を有しているのです。
このように物理と観念の二元性を乗り越え、それらを情報とクオリアの二側面として統合的に捉えることで、包括的な形而上学が展望できるのではないでしょうか。

まとめ

  • 意識体験の構成要素はクオリアである。

  • この世界のあらゆる「情報」は元をたどれば量子系における状態の確定に根源がある。

  • 「観測」とは系Aと系Bの間の私秘的な情報の受け渡しである。

  • 私秘的な情報の受け渡しはクオリアという形によって担保される。

  • よってクオリアの存在は「情報」を成立させる必然的要請である。

  • クオリアと情報は等価である。あらゆる情報は私秘的なクオリアという意識体験を伴う。

  • 最も単純なクオリアは1ビットの情報を現す原始クオリアである。

  • 情報の受け渡し=観測行為をネットワークとして紡ぐことで、そこに表現できる情報はより複雑になる。応じて、生成されるクオリアもまた複雑化する。

  • 脳の神経細胞ネットワークは無数の「観測行為」が連結した複雑系である。

  • 脳は神経細胞ネットワークによる無数の「観測」によってミクロの量子系がもつ情報をマクロに写像する、一種の構造化されたデコヒーレンスを行うシステムである。

  • その際に脳内では無数のクオリアが生まれる。

  • この無数のクオリアの総体が無意識を形成する。

  • 無意識を形成するクオリアのうち、選ばれた一部のクオリアは、情報的に統合された一つの場を形成する。

  • そのような場が、我々の意識体験である。


以下、もしよろしければ。

ここから先は

0字

¥ 10,000

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?