梅雨入りて父の日近し蛇の目傘  @202

この記事はココログ最後の記事として書かれた貴重な記事です


梅雨入りて父の日近し蛇の目傘
2021年 05月 16日

父の日が近い
もう二十三回忌は済ませた

十八歳で東京に行き フラフラと京都に戻ってきて
のちに車で一時間くらいのところに家を構えるけど
父には 月に一度も会わないくらいで
十年余りを過ごしている間に
静かに定年を迎え やはりその後も
そこで生きていて暮らしているのが当たり前のように過ごした

気づかない時間に高血圧に伴う病気が進行し
なんども救急車に世話になったりしながらも

好きなことをやっているようだったので そこにいて当たり前として時間は経っていった

。。

死ぬ間際も 不調であっても連絡もなく 死亡の知らせを職場で受け取った
祖父と同じ年齢の六十七歳であった

いい気なもんだ
自分だけでここまで生きてきたかのような顔をして
将来のことや世話になった人への恩返しのことなど
これっぽっちも考えて生きてこなかったことに気づくのはそのあとのことだった

。。

父の日はおろか 還暦も誕生日も
お祝いなど何もしなかった
そのことが 私の最大の『油断』であったのだと身に沁みてくる

梅雨入りのころ(父の日)と命日のころ(大寒)は
思い出さなくて良いものまで思い出してしまう

。。

子どものころは 蛇の目傘だった
小学校の置き傘はクラス全員が蛇の目の傘で
畳んだ上から白いマジックで名前が書いてあった
教室の後ろの壁に綺麗に整列して並べてあった

そういう昔の風景が蘇る時に父親の姿がふわっと蘇る
記憶というのは 単独では脳裏に残るものではなく
父親と一緒に松茸や山芋を掘りに山の中を歩いてゆく姿などが映像のように浮かんでくる

🎬 

先日 巡回して時々拝読する方の日記に
「大人になった子供にとっては親はそれほど必要でないけれど、親は子供のことがいつまでたっても心配でならない」
と書いてられた

まさに私が そして多くの人々がそう思っているであろうことを代弁して文字にしてられて感動した
8ミリビデオがあるが ムスメは自分の赤ん坊の時代の動画にそれほど激しく見向かおうとしない
それは即ち自分が元気であり ムスコがやんちゃながらもすくすくと大きくなっているからであろう
いつか振り返る時があったとしたらそれは世代を超えて孫が大人になったときなのだろうか
その頃に再生する機器があるかどうか どうやって再生しようかなど すでに私の悩むことではなくなった

豊かなものが溢れている時代である
そこに存在して当たり前となってしまったものが もしもこの世にないならば・・と想像するのは難しい

なんでも夢見たものは実現できる

父が生きていて父の日に何かを贈るとするならば・・と考えると
何にも思い浮かばないのだ

無くしたものは蘇らない
失ったものは返らない
消えたものは記憶にある
思い出せるのは自分の脳みそだけであるし
欲しいものはおよそ店に並んで買うことができる

母の日に書いたのであるが
贈るものなど何もないそこに行って『むかし話』を聞くことくらいしかできないのではないか


🎬 梅雨入りも間近か

十五日
三時間近く公園にいて
楽器を吹いていました

雨が時々ぱらぱらとしてました
けれども
元気な子どもが滑り台にやってきます

ドクダミ
花を咲かせていました
そろそろ摘まなあかんな
去年のお茶も飲みきってないけど

https://bike-tourist.air-nifty.com/hiroka/2021/05/post-3190be.html