『夢をさがしに/九州』('94・GW)

『夢をさがしに/九州』('94・GW)
というツーリング日記があります

GWどこにも行けないので
これでも読んで懐かしむ

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★期間:1994年4月29日-5月5日

★場所:四国-九州

★バイク:GSX

∞はじめに∞




J君から手紙が届いたのは4月20日頃のことであった。(母校である上智大学の講師から)「鹿児島純心女子短期大学に助教授として着任することになりました」と書いてある。




奴のニタッと笑う顔が思い浮かぶ。「よし!ひとっ走りして会ってこようかな」と、私の決心が固まっていくのはそれからの一週間のことで、ツーリングマップの九州編を買いに行ったり、GSXのリアタイアを交換したりで休日は過ぎていく。Jの奴には葉書を一枚出して「GWには九州に旅に出て鹿児島に寄りますので…」と書いておいた。




旅の詳細計画は出発の前日になっても全然立っていない。「船の中で考えればいいだろう」と考えている。いつもほど胸をわくわくさせるようなこともない。GSXの不調が気になっており、修理しても直り切らないGSXの調子を確かめたい旅であるのかも知れない。来年('95)の夏の車検までの間でこのGSXでロングツーリングができるチャンスはそう多くはないだろうと考えると、少しでもツアラーとして走ってあげたい気持ちがあったことは確かだ。義務のような感じを持っていたかも知れないが、自分では説明できない。




とりあえず、和歌山から徳島に船で渡り四国を横切ってもう一度船で九州に渡ろうという荒技を考えている。




前夜、彩と約束をした。


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・(1)お饅頭のお土産を買ってくること


・(2)おもちゃを買ってあげること


・(3)お風呂で遊んであげること


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と紙に書いて、お父さんのサインをした。彩にとってのGWは京都に行って(従兄弟の)ちいちゃんと遊べることの方が楽しいので、簡単にお父さんのツーリングを許してくれた。




準備するものを忘れぬようにメモ用紙に書き込みながら雨対策のことを考えている。雨が一番心配だが、連休初日に晴れていたら出発と決めた。途中で降ったら仕方がない。お風呂の中から


「下着は5日分、家にある古くて棄てる奴を入れて、それから帽子と眼鏡も…」


と純子にメモを追加で頼んでいる。




さて、書き始める前にツアラーについて少し。旅の途中で何度も自問自答を繰り返しながら「何故に走るんだろうか」を考えた。(毎度のことであるが)答はあるようでないのかも知れない。「腰が痛くなって寝返りが打てなくなるのに走るの?」「博物館も庭園も見ないで、ただただ走り回ってくるのがそんなに楽しいの?」と聞かれそうだ。




バイクに乗る人をライダーと呼ぶがすべてがツアラーとは限らない。ツアラーである必要もない。私の場合はライダーというよりはツアラーだと思う。別にバイクでなくてもいいのかも知れない。




チャリダーになれるほど強靭(狂人)な精神力と体力があればそれに越したことがない。また、トホダーになるための根性があればトホダーでも良かった。しかし、軟弱だからライダーなのである。風を感じて走るという点では、ライダー/チャリダー/トホダーは仲間なんである。




旅とは何だろう。ライダーの旅人をツアラーと呼ぶならば、ツアラーはわがままで、自分流に感激したがる人が多い。色付き始めた道端の麦の穂をひとつ戴いてバックの地図の1ページに挟むことができるほどロマンチストでもあるのではないか。




海や山の匂いを感じて走る。雨にも打たれる。(バイクに乗らない人にはわかってもらえないかも知れない)自分のための自分だけの旅を求めているのだろうか。気まぐれで当てのない「さすらいの旅」に憧れるのだろうか。まだ見たことのない場所に行くだけならJRや車でもかまわないのだから。




不思議な魔力を手がかりに、もしかしたら見つけられるかも知れない、そんな夢をさがしに旅に出るのだと私は思う。




『夢の国への扉』なんて簡単に開くんだ。鼻歌混じりで出かけることにしよう。




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『夢をさがしに/九州』('94.4.29)


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∞'94.4.29∞




のんびりとした朝であった。出勤と同じ時刻に目を覚まし、前夜にまとめた荷物をバイクに積む。そうしている間に、彩は起きてきて私を見送ってくれる。子どもが寝ている間に、その寝顔に挨拶をしてから出かけるケースが多かっただけに、子供と言葉を交わしながら出発することに少し不安を持っていたが、それほど辛くはなかった。出発風景はまったくドラマチックではなく、いつもと同じように


「又電話するから」


と言って家を出た。9時半頃のことで、天気は快晴、暖かくて日差しがまぶしい。




一昨年の四国ツーリングで和歌山港から徳島までの船を使ってみて便利だった時の印象が強烈だったため、勘違いして記憶して松阪~和歌山は近いんだという思いこ込みを持っていた。いつもの様にR166をのんびり走り、高見峠を越えた。新道が開通してから初めて来る高見峠である。連なるカーブを60Km/h程度で快走する。新緑が湧き出るように目に飛び込んでくる。新しい道のせいだろう、車も幾分多いように思う。




お昼前に和歌山港に着いて夕方までには四国に行けるだろう、と考えていたのがとんだ勘違いであることに気がつき始めるのは、R166をそれて吉野の町に入ってからのことであった。R169~R370~R24と走るにつれて、思うように和歌山が近づいて来ない。交通量は驚くほどでもないが、時間はどんどんと過ぎていった。




忘れ物はなかったかな、と考えたときにハッと浮かんだ。


「バンダナ、忘れた」


ああっ思わず声に出してしまった。純子が買ってくれたバンダナを交通安全のお守りの代わりにしているだけに残念だ。和歌山市内で買えばいいか…と思いながらR24をひたすら西へと進んで行く。




12:15和歌山港着。次に出航するのは13:30の船であった。待っているバイクの数は30台程度だろうか。バイクの乗船は予約システムにはなっていないそうで、NO.5の番号札をもらってフェリー接岸壁で空きを待つ。心配なかれ、




「待てば海路の日和あり」である。13:30発のフェリーに乗れた。それほどウキウキしているわけではなく、約二時間ウトウトする間に小松島に入港、バイクはしんがりで下船となるため16時頃にやっと四国の地に降り立つことができた。感激はまだ沸き上がってこない。二度目であることと、今回は「九州」という大きな目標があるからだろう。




まだ走ったことのない道を走りたいと考えるのは、ほとんどのライダーの気持ちだと思う。R192を西に走って今日は何処まで行けるだろうか。「四国三郎」の名も冠す吉野川に沿ってR192は続いている。




「今夜のお宿はどうしましょ」といつものように独り言を呟きながらノロノロと西に走り続ける。




四国が目的地でないので剣山方面に伸びる国道や県道もそれほど気にならない。ちょうど貞光町の警察署の前で休憩となった。オイルの燃え具合を気にしてゲージを覗き込んで、なかなか走り出さない私を見てか、警察署の二階の窓から「○○○○さん」と呼ぶ声が聞こえた。「青年さん」と呼んだのだろうか。良く聞き取れなかったが、返事をしてハンサムな"小林薫"風の職員の人と話し込んでしまう。




ポリ「何処へ行くの?」


私「九州です」


ポリ「何処に泊まるの?」


私「決めてませんけど、公園とか、学校とか…」


ポリ「もう少し走ると愛媛県の川之江市という所まで行けますよ…」





バイクの調子が悪いことなど、聞かれてもいないのに私の方が喋りまくるから、最初は閉口気味だった警察の人も少しづつ話にのり始め、挨拶程度に交わした言葉から話は弾んでいく羽目になった。結局、長い休憩となった。17:00を過ぎている。「気をつけてね」と言い見送ってくれる警察の人にピースで別れた。




NAKAさん(中日ネット)が琴平のYHに泊まったというツーレポを書いていたのを数日前に読んでいたので、最悪の場合は琴平YHというのが頭にあって気分的に安心していたのだと思う。電話で空きを確認した後、R192からR32に進路を変更して池田町から猪ノ鼻峠[420m]を越えた。快適でごきげんな峠である。山の斜面に点在する民家の風景が絵になる。カメラを出して写真を撮ればよかったと思うのはいつも後のことで、一端走り始めると止まるのが億劫になる。「まあいいか」で済ませて後悔ばかりしている。




琴平町は「金比羅山」で有名な街である。小さな街の参道だけが独特の賑わいを持っている。琴平着は19時半頃。琴平YHは参道の石段の付け根付近にあり、割とオンボロで、歳をとった夫婦でやっている。中国の研修生の団体が泊まっていて一般客は少なかった。バイクも5台ほどである。トイレも綺麗とはお世辞にもいえない。




食事のために20時過ぎに街へ出た。少し時間が遅くなっていたこともあって、店は閉店し始めていたというよりほとんど閉まっていた。参道の街灯もお愛想程度の明かりである。暗くなったらお客さん(参拝客)は来ないので営業は終了らしい。一軒だけ路地裏で開けていたうどん屋に入って『てんぷらうどん』を注文した。




店の中を、どんぶりを持って往来するオヤジさんが


「テレビをつけて阪神-巨人戦にしてくれ」


と私に無愛想に言う。




「どっちが勝ってる?」


と聞く。




何てオヤジだ。お客を使うとは…。さらにオヤジは出来上がったうどんを運んで来てお客に




「夏目溂石が松山に先生として来た時に友人に手紙を書いたんだ。その時の手紙に出てくるのがこの『八幡浜』の蒲鉾だよ」




うどんに入っている蒲鉾を指さし、食べているお客に講義をしている。こういう講釈はバカバカしくて面白く、嫌いでない私は、ニタニタしながら隣で聞いていたに違いない。講義を受けている若いアベックも相づちを打っている。




店の外観や食卓まわりの雑然さとは反対にうどんの味は旨い。値段は\600である。『ざるうどん』なら\300である。コシのあるうどんに鰹だしで関西風の味である。オヤジさんが作ってくれているのを見ていたら決して衛生的には見えない(思えない)ところもあったが、味は旨かった。




YHに戻って蚊のいる部屋で缶ビールを飲みながら同宿者と話をしていたら、偶然、その店で食べたという人と一緒になり、うどんの話になった。「立ち喰いかと思った」と言う。




「「屋島」で海を見ていたら感激してね。何でもない景色なんですが…来て良かったと思いました」


と語る若者の言葉に、彼の旅人としての気持ちが理解できる。




YHに泊まっている人達2~3人と話すうちに明日の計画を変更しようかという迷いが生じる。しかし、「北四国」には再度来ることにして「明日は九州だ!」と心に誓いながら眠っていった。本日の走行距離:223Km




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『夢をさがしに/九州』('94.4.30)


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∞'94.4.30∞




琴平YHを出発したのは9時半頃である。今日は移動日で、九州上陸を果たすのだ!という気合いが朝になって出てきている。高松界隈や屋島を回って帰ろうという軟弱な気は失せている。私を元気づけるように晴れ上がってくれた。GSXは、やはりオイルを少しづつ食っている様子で、200cc程のエンジンオイルを補給してから出発した。




R377を南西に向かって走り途中からR11に合流する。『こいのぼり』がちょうど良い具合に風に吹かれている。風速2~5m/sといったところか。この地方の『こいのぼり』は、一本の支柱にアルファベットの『F』の字のようになびかせるのではなく、カタカナの『イ』の字の『ノ』の部分に垂直にぶら下げてある。推測するに、どうもこの地方では風が強く吹かないためにされた工夫ではないだろうか。たくさんぶら下げて見栄(?)を張るのは何処の地方でも同じ風習で、快晴の空の下で気持ち良さそうに泳いでいる。




新居浜市から松山市までは定期便のトラックの姿も多く、排気煙の中を淡々と走り続けなくてはならない。小松町から松山市へ途中にある「桜三里」の桜並木の街道を通って松山市方面に向かう。(四国を地図で見て下さい)北側の窪んだところを通過してきた訳で、GWだから仕方がないにしても、道は混雑している。渋滞は嫌だ。




松山市郊外で少し県道を走って市街をパスし伊予町からR378に入る。瀬戸内海の穏やかな海を右手に見ながらシーサイドラインを快適に走る。R378は車も少ない。久々に海の匂いを感じた。ついついアップテンポな16ビートのリズムが鼻をついて飛び出す。店が乱立するわけでもなく観光化されているわけでもない快適な道が続いた。




ごぜが峠[320m]の上りは一車線のタイトコーナーの連続である。今回訪ねようとしているJ君が高校時代に自転車でこの峠を内陸側(南側)から越えた時の話を大学一年の時にしていたのが印象的だったから、こだわって私はこの道を選んだ。桧林の合間から瀬戸内海が見える。漁船が幾つも浮かんでいる。貨物船も見える。




峠を上り始めると、海の匂いから木の匂いに変わった。峠を越えて南向きの斜面に差し掛かったら蜜柑(みかん)の林が一面に広がり始める。温室栽培もおこなっているようである。




ツアラーとはそんな自分だけの感激を求めてこだわりの旅を続けているのだなんて独り言を言いながら一気に300mを上がっていく。昨日の猪の鼻峠に続いて、今日のごぜが峠は嬉しく楽しい峠である。また来たい。




国道がR378からR197に変わるとそこは佐多岬「メロディーライン」である。道幅も広くなり高速コーナーが続く。伊方原発をチラリと見ながら先端の港町、三崎町を目指す。汗ばむような陽気である。道端の畑には煙草の葉(だろうか?)が栽培されている。じゃがいもやえんどうの花も風に揺れている。他にも初夏の花がたくさん咲いているが、名前を知らないのが残念である。メロディーラインというよりはフラワーラインと呼ぶ方がふさわしいように思う。




佐多岬から佐賀関までは約一時間である。穏やかな豊後水道を揺れることなく船は進んでいく。




「さて、今夜は湯布院あたりで寝ることにしましょうか」




と一人でぶつぶつ言いながら別府市内を通り抜けた。別府の「地獄めぐり」はパス。10年前のこのGWに純子と訪ねている。純子と来た九州をひとつひとつ確かめて、今、私はツーリングを楽しもうとしている。




別府市街から鶴見岳の山並へと一気に駆け上がって湯布院側へ出るとやっと九州らしい景色に出会う。やっぱし火山の国であった。納得できる景色である。狭霧台からの由布岳(豊後富士[1854m])と湯布院の温泉街の眺めは格別である。止めたバイクのエンジンを簡単にかける気にはなれず、寝る場所も決まらないのに凄い余裕である。




若いアベックにシャッターを頼まれて、その後、少し話をした。


「私たちキャンプなんです。この先キャンプ場ありましたよね」


と言って仲良く寄り添っている。いいなあ、若いってことは…。




峠から湯布院の駅まで降りて、共同浴場とテントを張れる場所をさがしたが、駅にはヤンキーの兄やんがいてテントを張るとかベンチで寝るとかは不可能と判断。「やまなみハイウェイ」の途中にキャンプ場がたくさんあると街の中で教わり、そちらに行くことにして仕方なく湯布院は諦めた。やはり、悔しい。




もう19:00をすでに回っている。やまなみハイウェイの有料道路のゲートが無人になっていることに期待をして阿蘇山系に入ることにした。目指すは長者原キャンプ場である。料金所ゲートには残念ながらおじさんがいた。


「ここで料金を払うんですか」


ときいたら


「そのための料金所です」


だって。日本語の通じない人だ。




長者原が近づくと硫黄の匂いが鼻をつく。九住山[1787m]の山肌から煙が吹き出している様子が見える。レストハウスの前の駐車場にバイクをゆっくり入れると尾張小牧ナンバーのZ900氏と視線があった。傍らにバイクを止めて話しかけたら、この駐車場にテントを張るつもりだという。「良い方法だね、二人の方が心強い」などと話しをしている間に日はすっかり暮れて星が瞬き始めた。




ワンボックスのバンを家にしているおじさんに話掛けられた。「筋湯というところがあってそこはイイお湯」とか「ここにテントを張ると係員が追い払いに来るが遅くなら大丈夫」とか、いろいろ話して車に戻って行った。




「やまなみハイウェイ」を上っていくバイクのライトが宵闇に映える。排気音(エキゾーストノート)が山にこだましているのが聞こえてくる。無上な寂寥感に襲われる。この溢れる人の中で不思議なほどにそれを感じながら、一方で、九州に来たんだなという感慨が少しづつ満ちてくるのがわかる。




Z900氏との話しは早々に切り上げてテントへは21時頃に潜り込んだ。駐車場のまわりでバーベキューをする人達は、まだ賑やかである。彼らはどこで寝るのだろうかと思いながらテントの中でぼんやりしたり、蝋燭ランタンの灯火で地図を見たりしている。まわりの人達はどうやら車の中で寝るらしい。深夜、遅くまで車の音が消えない中で(駐車場だから仕方がないが)一日に疲れがすっ~と引いていく。(しかし、地面に寝るより布団に寝る方がいいに決まっている!)




そうだ!今日は食事も取っていない。非常食は…カロリーメイトが二切れ。しかも賞味期限が一年以上もオーバーである。とりあえず寝よう。




「わあ、流れ星!!」




若い女の子の声が聞こえてくる。風も少し出てやや冷え込む様子だが寒くはなく、安堵感とともに次第に眠りは深くなっていく。


本日の走行距離:332Km




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『夢をさがしに/九州』('94.5.1)


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∞'94.5.1∞




深夜になって風が出てきている様子で、眼が覚めた。3時頃だった。月が出ている。月齢で16、17ってところだろう。九住山[1787m]の方向に輪郭をぼんやり滲ませながら出ている。雲もなく風はやや弱い。テントから出した顔に外気がツンと冷たくテントに流れ込むのがわかる。もう一度シュラフに潜り込んで寝てしまった。




野営場の朝は早い。長者原は有料道路の途中なので、早朝から車の音がやかましく、5時頃には眼が覚めてしまい、テントは6時過ぎに撤収した。昨日は食事なしだったため朝から腹が減って仕方なく、カロリーメイトを二切れ食べた。結構いける。癖になりそうだ。




牧ノ戸峠[1230m]を7時頃に越えて瀬ノ本高原に出た。「やまなみハイウェイ」に必要以上に料金を払うのは嫌なので黒川温泉方向にR442を降りることにした。




途中に「瀬ノ本YH」の看板があり、立ち寄って--九州のYHの一覧を頂けませんか?とお願いしたら一冊のガイドブックをくれた。これは非常にありがたかった。さらに--温泉ありませんか?と尋ねたら--黒川温泉があります少し下って温泉街に入って温泉組合の事務所の所を降りていくと共同風呂がありますよと教えてくれた。強く薦められたわけでもなかったので期待はしていなかったが、昨晩に風呂に入れなかったのでとにかくひと風呂浴びることにした。




黒川温泉は静かな山間の温泉である。特に大きなホテルがあるわけではなく、湯煙がたち昇っている様子もない。露店風呂のはしごを楽しんでいる連れ合い同志が下駄の音を狭い谷間に響かせて歩いている。浴衣姿が爽やかである。その点、私はむさ苦しい。革を着てくるべきではなかったかと後悔するが今更始まらない。少し靴づれをし始めたのを我慢して共同浴場へと向かった。贅沢にも朝風呂である。




共同浴場は地元の人達のために作られた銭湯形式のもので、旅人には\150(地元民はタダの様だ)で開放してくれている。囲いがなければ只の池の様な雰囲気である。お湯の方は最高に素晴らしく、アルカリ性の単純泉の部類だろう、少しヌルッとしていて肌にも優しそうだ。浴場には鍵はなくシャワーもない。石鹸も当然ない。浴槽のお湯が上湯と下湯に分けてあるのは、掛かり湯は上湯を使い、浸かるのは下湯に行くよう配慮がされているのだろう。タオルしかない私は、石鹸なしで身体を洗い流した。顔や首を洗うタオルが真っ黒になっていく。排気ガスやほこりで意外と汚れたみたい。




共同浴場から上がってきたら温泉組合の売店事務所を開けてちょうど職員の人が掃除をしていた。革を着ると汗が吹き出すのでTシャツのまま売店内のベンチで休憩をさて戴くことにした。3つの露店風呂がハシゴできる「露店風呂温泉手形」というのがあって、\1200である。少しの休憩の間だけでも何人かがチケットを買って行ったのをみて私も行きたかったが、諦めた。\1200はまあまあの値段だが。




「コーヒー:\100」と書いてコーヒーメーカーの横の手作り貯金箱に貼ってある。無性に飲んでみたくなって、休憩がさらに長引いてしまう。気持ち良い風が窓から吹き込む。今日はのんびりと走ることにしよう。




黒川温泉を出て満願寺温泉の街を通ってR212に出た。R212は、北九州から阿蘇山カルデラの内までくる国道のひとつである。観光の車がさすがに多く、世間はGWなのだなと実感する。阿蘇の外輪山は山というには大きすぎて、頂上付近は大地と表現した方が正しいかもしれない。火山岩の上に、少しではあるが堆積した土があり、植物は乏しい。ブナの林が新芽を吹き出し林となり、そのまわりの高原には放牧の牛の姿も見える。車を止めて山菜(ワラビだろう)を採っている人の姿が目立つようになってきた。高速道路のような道の脇に車を駐車しているのは危ない。




阿蘇の外輪山を越えるところ、峠の頂上付近でR212は「ミルクロード」と交差をする。「ミルクロード」は、外輪山の上を線で結んで200度以上ぐるりと回る快適な広域農道である。R212との交差点から少し右に回ったところに大観峰の展望台があり、ここからカルデラへは急斜面になっていて、崖っぷちの下の街が一望できる。ミルクを飲んで朝食にしようと考えていたので、大観峰の駐車場で早速飲んだ。\200は高いと思うし、普通のミルクで特に旨くはなかった。




今日の予定はゆっくり走ることで、どこに行くかはまだ決めていなかったが、阿蘇の「ミルクロード」をのんびりと楽しむつもりである。心に余裕があるのがよくわかる。




駐車場でぼんやりしていて気が付いた。あれれ、左手袋(グローブ)の中指と薬指が擦れ合って孔が開いている。手入れが悪いのも理由だろうが、先日から豆ができる時のように擦れて痛かったのが原因らしい。それほど使わなかったのに残念である。




しょげていたら、なにわナンバーのCBR250の可愛い子が隣にバイクを止めた。


「大阪からにしては荷物が少ないけど…」


と話しかけた。


「違うんです。今は北九州、柳川って知ってます?あそこにいるの。大阪に5年いて今年の2月に実家に帰ったの」


アルバイターなのかと聞いたら違うという。本物のプーだという。


「ライダーはわがままで他人と一緒に走ると意見が合わない時があり、だからみんな一人で走っているのですよ…」


と口癖を呟いてしまう。会った人にはいつもそんな話をしてしまうが、そんな私の話に相づちを打ってくれる彼女も何の目的もなくブラリ出てきた様子である。




景色もろくに眺めないで、出会った彼女と草むらに座り込んで話をしているのが心地よい。サラサラに乾いた土がお尻に付着するのを払いながら、立ったり座ったりで時間は過ぎていく。石野陽子の様な雰囲気の子で、意識をしてかどうかは不明だが、なびく髪を手で後ろにかき上げている仕草が似ている。北九州からだと日帰りの距離だと彼女は言う。あれれ、話は2時間近く続いた。




さてさて、いい加減で走り始めないと、この子に恋をしてしまいそうだ。




「じゃあ行きます。」


…どこかで、また…




『どこかで、また…』は、動き出しているエンジンの音で聞こえなかっただろう。"また、会えること"など有り得ないのだが、私はそう言いたかったのである。彼女にとっては、どうでもいい言葉であっても、私はそう言いたかった。




ライダーは走り続けなくてはならない。これは宿命である。別れとはこういうものだ。旅を続けよう。




「ミルクロード」を右まわりに、外輪山の南東方向へとバイクを走らせる。途中、「やまなみハイウェイ」と「ミルクロード」が交錯するするところに城山展望所がある。ここでミルクをまた飲んでみた。こちらは旨い。景気のイイ売店のおばちゃんに薦められたのが理由だが、かけ声は嘘ではなく本当に旨かった。彼女が言うには「やまなみハイウェイ」は6/22から無料になるらしい。みんなに教えてあげなくては・・・




10年前のこの季節に純子と来た道のりは阿蘇の温泉街からこの城山展望所を越えて「やまなみハイウェイ」を走って別府に辿り着いた。雨の中を走って寒かったのを思い出す。R57~R265を走って高森峠を目指す。途中、根子(猫)岳を眺めながら清室坂[900m]、箱石峠[870m]を越え、ぐるりと回って高森の街中の「らくだ山公園」らしい一角にある蕎麦屋で昼食を取った。国道沿いに大きな芝生広場がある。テントを張るには絶好だなと思いながらここでGSXにオイルを補給してやる。京都から来たZZRの男性と少し話をした。それぞれの人がそれぞれの走りを楽しんでいる。快晴に恵まれて誰に感謝をすればいいのだろうか。阿蘇を離れて少し南に行ったところに宿を取ろうと考えていたら、彼が市房YHの話をしてくれた。温泉付きYH。ここに決めようと思った。彼は、3日後くらいに市房YHに泊まるという。すれ違いか…。




高森峠の手前で電話をして道も確認した。あと150Kmほど走らなくてはならないという。なかなか険しい峠を越えなくてはならず、国見峠というらしい。




R265を五ヶ瀬町まで走ってコンビニで1.5㍑ボトルのアクエリアスを買った。すっかりアルカリイオン飲料水が定着して、とうとうボトルで買ってしまった。荷物の上に縛り付けて、さあ、国見峠[1130m]にアタックである。




バイクに乗り始めると食事を取ることが少なくなるので、せめて水分だけでもと思って定着したのがこの方法だ。カロリーメイトは売っていなかった。




国見峠[1130m]は、四国の剣山を南北に越えた時の道よりもまだ険しい。権兵衛峠(木曾)や天生峠(奥飛騨)を連想する。しかし、実際にはもっと険しい。初めて越える時は一層そう感じると思うが。チャリダーを一人追い抜いた。今日中に彼は峠を越えられるのだろうか…と思うほど上り下りが厳しい一車線の国道である。おお、これが三級国道の楽しみよ…と独り言も尽きない。飛行機の着陸時に見えるくらいの高さで眼下に上って来る車が見える。ガードレールがないから余計に恐い。私は高いところが(恐いから)嫌いなんだ!!




椎葉村は、九州中央山地のやや南寄りの山深い村である。日向市に行くにしてもクネクネの国道を2時間以上も走らねばならないだろう。椎葉村から人吉方面へはもうひとつ分水嶺を越えなくてはならない。しかし、この椎葉村でミスコースを2度続けてやってしまった。




1回目は国見峠をほぼ下り終わった頃(2時間ほどかかる峠道を走り終わってほっとした瞬間)「内の八重林道」に迷い込んでしまった。分岐点を間違えているのを知らずに、山に入って行く。道は狭くなり、やがてダートになった。あわや遭難か!というところを林道入口にいたトレール氏軍団に道を尋ねて命拾いとなる。もうひとつは椎葉から湯山方面へ行くもうひとつの峠、飯干峠[1050m]を迂回し「林道大河内-桑の木線」を、地元のオヤジさんの誘導で越えたまでは良かったが、湯山方面への分岐点(大河内)での判断ミスがあったためだ。(昭文社:二輪車九州ツーリングマップ115p参照)




大河内の交差点からしばらく走ると、地図から想像する雰囲気と少し違うことに気が付き始め、やがて西米良村に抜けてしまった。もう随分と谷を下っていたので引き返す気にはなれなかった。湯山に行くのを諦めて日向に行こうかとも思ったが、ここは九州でも指折り深い山の中である。どこに行くにも時間がかかるので、仕方ないから走ることにした。




一瞬の判断とは不思議である。もしもこの時、日向に向かっていたら…、旅の後半はまったく違ったものになっていただろう。




あの時(大河内の交差点で)対向してきた人を信じないで、もう一度地図を確認していたらミスコースはなかった。対向の人は、自分の来た道が遠回りのミスであったのを知らずに私に教えてくれた。また、九州ツーリングマップの国道表示に、R338がR446と誤記されていたのも原因である。現在位置の確認を怠ったことと、国道が見つからず発言を信じてしまったことを反省する。




少し遠回りをしたが何とか湯山温泉に19時頃着くことができた。日本一の桜の名所とあるだけに桜の木が多い。新芽が吹き出して青々としている。温泉街であるのに湯の香りは漂わない。大河内の林道を越えるときに硫黄のような匂いがしてきたので、湯山温泉から風に乗って匂っているのかと思っていたのだが…。




湯山温泉(湯前町)の街の中にある市房YHに着いて、バイクはこっちよ…と誘導を受ける際に--(夕飯を買いに)まだスーパーに行きたいのでと言ったら--この街にそんなものはない!と笑われた。しかし、夕飯を作ってくれるという。家を出て以来、米を食べていない。YH利用は食事抜きと決めていたのだが、たまには宿の夕飯を食べてみるのもいいもので、峠が険しかっただけに旨い。それほどご馳走ではなかったが…。




ビールを許しているYHは多く、ここも例外ではなかった。




一日の記憶を消滅させられそうな、ほのかな酔いが襲ってくる。忘れたくない大事なことは身体が憶えているだろう…とつまらないことを考えながら、走りの疲れを癒していく。




元湯温泉という温泉センターがすぐ近くにあって\300。ここの風呂も黒川温泉とよく似た泉質で、すべすべの肌になる。うたせ湯もあった。YHのロビーでは久しぶりにくつろげて、神戸から来た50歳代(?)のご婦人と話し込んでしまう。旅には思い入れがあって、他人が見ても何の変哲もない景色や詩碑などで感激し、立ち止まってしまう話をしたら共感してくれて、うっすら感涙のご様子である。こちらも『熱く』なりやすいタイプなので、ついつい饒舌になってしまう。




旅人達が純粋なのではなく、旅に出てくると純粋になるのではないだろうか。純粋な気持ちには、薬(アルコール)によって得る『作られた酔い』よりも遥かに勝るものがあって、それがツアラーを引きつけているのかも知れない。市房山[1772m]に登る予定だと彼女は言う。キリシマ・ツクシ・ツツジ(?)というツツジが自生していて、魅力的な山(女性百名山/九州百名山)だそうである。




コンビニでアクエリアスを買った五ヶ瀬の街から、自転車で国見峠を越えてきた若者(チャリダー)と同室になった。この旅は国見峠を越えるためにやってきたようなものだと、彼は自分自身の旅を振り返っている。




全国の峠を幾つも越えているうちにどこかで出会ったような峠に、また出会うことも珍しくはない。しかし、似ているということは違うということである。「風の香りが違う、何かが違う」としか表現できない。しかし言葉ではなく、肌で感じたもので彼らとは共感できていると感じながら眠りに落ちていく。




旅とは、損得を振り返るものではなく、「どれだけ燃えたか」なのだろうか。本日の走行距離:257Km




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『夢をさがしに/九州』('94.5.2)


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∞'94.5.2∞




市房YHでみんなが朝食を取っている頃、ロビーで地図を見て今日のコースを考えていた。朝が早い割にはYHの連中はみんな出かけるのが遅いと思う。ぼんやりしていると幾人かの人がソファーに座って話をする形になった。--何処に行くのですか…--何処から来たのですか名前を尋ねるよりも重要な挨拶のひとつである。大阪から来ている「ハーレーダビッドソン」に跨る女の子。阿蘇の南を横断して今日は高千穂に行くという。一方で、多くの人達は鹿児島や桜島を目指すという。




--指宿温泉の砂むしに行ってみたかったけれど--指宿YHが取れなかったと言う女性。




旅はスリリングは方がいいに決まっている。ドラスティックな旅を続けたいと願っている。あとで考えたら「なあ~んだ」で終わってもいいから、その時々を精一杯にはしゃぎ回ってその場を満喫したいと、誰もが思っているだろう。「セナが死んだ」という話もここで初めて聞いた。バイク談義に花が咲く中で、ぼんやりとしているのが心地よい。朝のまどろみを味わっているようだ。




お天気が下り坂だそうですがなんて言っても--へぇ~、そうなんですかの返事を返してくれた群馬県から来ているR1Z子ちゃん。そうだ、私もこの子達のように「楽天家(オプティミスト)」にならなければいけないのだな、と感じる。




「お母さんには友達と出かけるって言ってきたんです。その子も、もうすぐ飛騨高山に出かけるし…」


ちょっぴり不良っぽく、ふと、女らしく…。




R1Zというバイクは浜松の"ひまじん"さんのご愛用のバイクで、名前は知っていたが実物をゆっくり眺めたのは初めてである。バイクに乗っている人で私ほどバイクのことを知らない奴も珍しいのではないかな、と苦笑してしまう。




出かけ前に尾張小牧のTW200氏に中日ネットを宣伝しておいた。もうすぐモデムを買うそうで、期待ができる。




あまりみんなと仲良くなって、情が移って走るのをやめてしまうのを私は恐れている。しかし、何を理由に走り続けなくてはならないのだろうか、という反問も浮かんでくる。




ハーレー嬢のマシンはピンクのカラーリングで、タンクにはボカシの絵が入れてある。人吉インターの手前までご一緒してみて初めて気が付いたが、ボディもヘルメットも靴も眼鏡の紐も、みんなピンクを入れてデザインしてある。すっごいおしゃれなバイクである。だた、バタバタとやかましいのが難点である。こんな威勢のいいバイクからこんな可愛いギャルが出てくるなんて、なんて刺激的であろうか。それだけで楽しくなってしまう。




曲がるのが難しいらしい。YHの出口の下り坂の急カーブをうまく曲がれるかどうかを彼女は心配している。「転けたらみんなで万歳をしたげる」なんて冗談の飛び交う中、栃木ナンバーのZ750氏と私の3台で山を下ることになった。Z750氏はR445に出るので…と言って途中で県道に消えて行った。人吉インターの少し手前で彼女と手を振って別れた。




北へ向かう人と南へ向かう人、行きずりの旅人同志は楽天家でないと、やはり旅は続けられそうにない。




人吉からループ橋を通り堀切峠[730m]を越えると、えびの高原が眼前に見える。R212はトラックや乗用車の多い幹線道路だ。えびの市街を通り抜けたら、えびの高原へと県道を上っていく。純子と来た10年前は反対側からで、雨の次の日で晴天に恵まれた気持ちのいい朝だったと記憶する。朝早く阿蘇方面へと向かって走った。記憶とは儚いものである。懐かしんでばかりもいられない。




この旅で出会った人は、関西・関東・東海の順に多い。今朝、話した人で、大阪からトレール(BAJA)で来ていた若い男性は指宿温泉へ、R1Zの彼女は桜島に泊まるという。少し話しをた彼女ともう会えないのかも知れないと思うと何だか寂しい。しかし、会えなくて当たり前でそれが普通のツーリングとも思う。自分の心は欺けない。寂しがっているのがありありとわかる。前に行ってしまったのか、まだ後ろにいるのかさえもわからない。R1Zのことで頭がいっぱいのまま走っている。




えびの高原の駐車場でバイクを止めてもソワソワしている。上りがやや渋滞したせいもあってエンジンはオーバーヒート気味である。水温計の針が半分を越えて上がって、ファンのかき出すラジエターの熱い風が足元に吹き出す。




えびの高原からは、霧島スカイラインを下ってR223を走り、県道に乗り換えて鹿児島空港のすぐ横を通って加治木町に出た。鹿児島湾の一番北側を思い浮かべてもらえばいい。桜島の頂上付近は噴煙のせいで雲がかかっているように見える。予想外でもあり当たり前でもあるが、鹿児島市内までのR10では、この噴煙のおかげで身体中に灰をかぶり悩まされ続けた。




南国だから熱い(暑い)のか、晴天だからかは判断不可である。とにかく暑い。市内に入っても汗が吹き出てくる。砂煙が身体の中入るのを嫌がってつなぎのチャックを目一杯上げていたのが余計にこたえた。




指宿温泉に行ってみようと考えていたので鹿児島市内の観光はパスしてもっぱら先を急いだ。途中のオートバックスでエンジンオイルの1.0㍑缶を買って、これで安心だ。アクセルひと捻りで煙が黙々と出るけれど、何とかこの旅は行けそうだという安心から少しアクセルも開け気味になっている。(7000RPMオーバーで急に煙が増える)




「カラオケのレパートリーは全部うたってしまって」なんていう冗談を(事実を)言うと、みんながうなずきあってくれる。ソロで走るライダー達は、孤独をそれなりに楽しんでいる。




R1Zの彼女のことが時々思い浮かぶ。今夜また、会えるだろうか。又会ったからといって一緒に走るわけでもないし、名前を聞くわけでもないが、ソロをしばらく続けていると、知っている人に会うのは嬉しいものである。




ピースサインを出すのもそのひとつの表れかも知れない。道ですれ違うごとに聞こえはしないが、「貴方もソロですか」とか「馬鹿だね、貴方も、バイクなんか乗ってさ」なんて呟いている。




彼女にもう会えないかも知れないと思うと、やり場のない寂しさがこみ上げてくるような気がした。




指宿駅前で話したチャリダー君が、長崎鼻のキャンプ場のことを教えてくれた。水もトイレもあり、綺麗な芝生でテントも張れて無料だそうだ。しかし、天気が怪しいので(?)結局、桜島YHに行こうと決め始めている。(R1Z子ちゃんに会いたいから?)




桜島YHに彼女は来ているだろうか。市房YHを出て以来、追い越したり追い越されたりしてないし、いったい何処に行ってしまったのだろう。




指宿の温泉街に着いても彼女のことが気にかかり、見物や散歩などをするわけでもなく、「砂むし」の様子を堤防からしばらく眺めていたが、また走り始めることにした。桜島YHに電話を入れて予約を取ったあと、M君を訪ねて知覧へ行くことにした。彼は東京の同僚で紆余曲折の後、久留米医大を出て何処かで医者をしているはずと聞いている。GWということもあって、もしかしたら実家に居るかも知れない。訪ねてみよう。




開聞岳を見ながらR226を走り、池田湖畔で小休止をした。でっかい鰻(うなぎ)がいるということだが、知覧を回って帰るならばちょうど良い時間であったので、それほどゆっくりとするつもりもない。道端の綺麗な花畑をじっくりと散歩するでもなく知覧へと急ごうとしたが、ガソリンスタンドで道を尋ねたら指宿スカイラインを走らなくては行けないという。即断で諦めて鹿児島市内を目指して、さっき来たR226を北上し始めた。




コンビニでポカリの1.5㍑ボトルとパンを買って食事とした。16時頃である。尾張小牧ナンバーのDT氏とコンビニの前で地面に座って話をした。桜島が見えるから余裕である。「雨の日のテントは、撤収するのが嫌ですよね」などと他愛もない話で意気投合してしまう。「DT」の文字が剥がれてしまって、少し汚れているのが旅の勲章のようにも見える。往路は高速道路で来てサービスエリアでテントを張ったそうである。DTで高速道路を九州まで走ってくるには根性が必要だろうな。




「じゃあ、お先に」


と言ってその場を失礼した。桜島に渡る前にJ君に電話を入れたいと考えていたらフェリー乗り場の看板があったので切符を買った。乗船場に行ったら2分後に出るという。電話をしようと思っていたが、まあいいか、島からしよう…というわけで、ほっと一息。




ところが、乗り込んだフェリーは桜島からどんどん離れていく様子である。あれれ。乗り合わせた人に聞いたら、「垂水港行き」だという。大ボケミス。とんだおまけ付きで、約20Km程、シーサイドラインを走って桜島に戻ることになった。




桜島周遊道路(溶岩道路)の途中で薩摩白波の2合ボトルを買い込みYHに到着となった。ライトを点灯しなくてはならないほどの時刻であったので、19時は過ぎていただろう。30台以上のバイクが止まっている。




ここは公営YHで、係りの人はメッチャ愛相が悪い。建屋の一階に駐車場があり、雨露が凌げるから、「明日は雨降り」の予想には優しいYHであり、愛相の悪さは我慢するべきか。値段も安いのはありがたい。素泊まりで\1950だった。




群馬ナンバーのR1Zが止まっている。




「彼女、来たのか…何処に行っていたんだろう」


そうつぶやきながら階段を昇った。




「わぁ~いたぁ~何処に行っていたの?」




思わずそう言ってしまった。旧友との再会というより、初恋の人に出会ったときのような衝撃である。彼女に捧げるのにドラマチックでキザな台詞(せりふ)をたくさん用意していたのに…。




荷物を部屋に置いて、風呂を浴びてロビーに来て、J君に電話を掛けた。留守番電話だった。




「今、桜島に居ます。帰ったら手紙を書きます」


とメッセージ?を伝えるしかできずに電話は切った。ごぜが峠の話もしたかったのに…。留守番電話は味気ないな。歌でも披露してやるのが面白かったかな。結婚式に行った時は貧乏していたけれど、リッチになったのかも知れないな。電話を切った後、意外と簡単に彼のことは忘れていってしまった。




電話が終わって、まわりを見渡しても彼女は居なかった。煙草を買おうと思って係りの人に尋ねても冷たく「自動販売機はありません」と言うだけである。ああ腹立つなあ。ロビーで煙草を吸っていた女の子にせびったら、快くどうぞといってくれた。何本か恵んでもらいながら他愛ない話をした。




明日の天気が怪しい。「午前中が40%、午後はそれ以上」と誰かが遠くで話しているのが聞こえる。東京から飛行機で鹿児島空港に降りてすぐ桜島に来たという子は、まだ明日以降の予定を立てていないという。


「桜島って本当に(写真のように)岩がゴツゴツしているんですか?」


なんて言っている。可愛い子である。ツアーで来るのが嫌なんだろう、きっと。ここにはそういう風に枠にはめられるのを嫌がって独自性を望む人が集まってくる。ライダーなんてのは、存在そのものが「変人」だから。『エキセントリック』と呼べば格好はいいが…。




R1Z子ちゃん、現れないかな、話がしたいな…と期待しているのがミエミエである。今日、どういうルートでここまで来たのかを彼女に聞きたい。--どれだけ私をヤキモキさせたか知ってるか!…なんて言えるわけもない。どうも、私は熱くなるタイプで、いけない。




ただただ待ち続けていたら、風呂上がりらしい姿でロビーに現れた。バイクに乗る時は髪を編んでひとつにしているので、別人のように雰囲気が違う彼女に驚きを隠しながら私は今日のルートを尋ねる。--人吉を出てガソリンスタンドに寄っているのを抜いたんですよそして今度は、ループ橋の手前で地図を見ていた私をすう~っと抜いて行ったのと彼女は話す。--気が付いていなかったようだったけど




私はまったく知らなかった。




磯庭園など鹿児島市内観光をして桜島への船に暗くなる頃飛び乗ったそうだ。もしも一緒に走っていたら、気も使わなくてはならなかっただろう。今、会えたのだから、別々で良かったのかも知れない。もしものことは、走りながらたくさん考えた。しかし、会えたんだから日記に残すこともないだろう。明日は、都井岬に寄って、宮崎港から川崎に向かう船に、雨でも晴れでも乗って帰ってしまうという。




部屋に帰って薩摩白波をポカリで割って飲んだ。多弁になるので気をつけてはいたが、きっとしゃべりまくっていたのかも知れない。今日は興奮した一日だったから。種子島や屋久島に行ってきた人が様子を話してくれる。また一方で、東京から高速道路を飛ばして人吉まで国内最長距離を走ってきたゼビウス氏。そんな旅仲間と珍しく11時頃まで旅の話に花が咲いている。




さて、明日のことも考えなくてはならない。しかし、私の予定も流されているのが小気味よいほどよくわかる。雨降りなんてのはそれほど苦にしていない。




「雨でも宮崎まで行くだけだから」


の彼女の言葉にこちらも勇気付けられているみたい。




宮崎市に行って中学時代の悪友のYちゃんを訪ねてみようか…と考えている。その後、四国に渡って紀伊半島に渡るかな…と漠然と思う間もなく眠っていってしまった。本日の走行距離:290Km




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『夢をさがしに/九州』('94.5.3)


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∞'94.5.3∞




昨晩、寝床に入る前に夜景を見にベランダへ出た。鹿児島市内が良く見えた。朝の空気を吸うためにまた一度出てみた。桜島の山裾が左手の建物の奥の方角に広がり、山頂は雲の中に消えている。鹿児島市内が海の向こうに見える。湿気の混じった空気だ。




雲の流れはほとんどないが、昨日の雲とは違って雨雲の端くれが空を覆っていることは否めない。駐車場に降りてGSXにオイルを足してやる。さあ、雨が降り始めるまでに何処まで行けるやら、と思って屋根から身を乗り出していたらポツリポツリと水滴が落ちてくるのがわかった。荷物にビニールシートをかぶせて、覚悟を決めて出発することにした。時刻は不明でおよその記憶もない。太陽も出ていないし気持ちも晴れていなかったからではないだろうか。YHを出てすぐの緩い坂道で大きなザックを背負った人が歩いているのを見かけ、振り返って手を上げたら、昨日東京から飛んできたという彼女だった。片手に持つビニールの傘が寂しそうなのが印象的だった。




雨は嫌だ。しかし峠の途中で田植えをしていた人達は雨を待っている。反面、集中豪雨も困る。去年の豪雨の爪痕はまだまだ各所に深い傷跡を残したままである。




桜島を一周する溶岩道路の北側半周は「断念」というより「まあいいや」って感じでパスした。途中にある遊歩道も修学旅行で来たからを理由にパスした。YHを出てR224(溶岩道路/桜島周遊道路)を左に廻ってR220を南下する。途中で煙草を吸っている時に、YHでバイクを並べて止めていた人達やR1Zの彼女が抜いて行った。そういえば、桜島YHはオンロードの方が圧倒的に多かった。やはり観光地が近いこともあるのだろう。




垂水市街を抜けて海岸沿いを走る途中でいよいよ本降りとなった。さっき抜いて行ったR1Z子さんも止まって雨具を着ている。もしかしてもう会えなかったら…折角の巡り会いも水の泡(?)になるので、名刺の裏に走り書きをしたラブレター(?)を渡しておこうと思いバイクを隣に止めた。「ツーレポを送ります」と書いた。私なりに思いっ切りおしゃれな作法で気取ってみたつもりである。




「もう少し私は走ります」


と言って先にその場を去ったのは照れ隠しだったわけで、しばらくして鹿屋市内でガソリンスタンドを見つけて給油のついでに雨具を着た。その間に彼女は又、私の前に出て行ってしまった。




「都井岬で会いましょうね、待っててね」


と独り言を呟く。彼女に対する呼びかけが多くなっているのが自分でもよくわかる。雨の中を一人で走る時には、孤独感を痛切に感じる人も多いだろう。さらに「何故こんなことまでして走らなくてはならないのか」とか「家族を置いて愚かだな」などと考えてしまう。




この旅(ツーリング)もいよいよ折り返し点を回って、終わりに近づいているのを感じる。北へ行こうとしている私の旅の疲れと寂寥感を、雨は容赦なく刺激してくる。




奥の細道で芭焦が「旅に病んで夢は荒野をかけめぐる」(?)と詠んでいる。東北から信越、北陸を旅し伊勢へと向かうはずであった芭焦は、その旅を美濃の大垣で突然中止している。「パタリと終わってしまって、そこが大垣だったところが面白い」と高校時代の田辺先生に習った記憶がある。




「旅に病む」とは何か。「夢は荒野を…」ってどういうことか、などとぶつぶついいながらR220を、R1Z子ちゃんを追いかけ都井岬方面に走る。




志布志の港街を通り抜けて串間市街から都井岬に向かう県道に入った。メッセージも名刺の裏に書いて渡したことだし、彼女にはもう会えなくても構わない。安心感に満たされて運転にも余裕が出ていることがわかる。都井岬を回る県道は、まだまだ2車線に満たない所が多い。雨が強く降っていてバンクするのもまままならない。どうしても足に傷を負った20年も前の事故のことが甦ってくる。雨降りは恐いと思う。安全運転で行くに越したことはない。




都井岬に入るにはパンフレット代として四輪は\200が必要で、バイクは無料。でも岬の駐車場は\50取られる。昔はタダだったように思うが。




峠に近づくに連れて、雨は本降りになっていく。もしかしたら止んでいくかも…と期待をしたが、それは儚い希望だ。駐車場にすでに止めてあったR1Zの横にバイクを止めて少し歩いてみよう…と売店の方に向かったら彼女が向こうからやってきた。先端まで行ってきました?と尋ねたら--いいえ…




それほどゆっくり海を眺めるわけでもなく立ち話をした。バイクに乗る格好に着替えてしまった時と、宿では、心の置き場が違うのかな、会話の中味も旅の話ではなくバイクの話だった。彼女はKX80も持っていてトランポにタウンエース(だっけ??)を買って、河原などを走ったりするという。エンデューロにも関心があるという。旅の手段にバイクを使っている私とは大きく違うなと感じた。




「馬と写真を撮ってから…」


と彼女が言うのでしばらく走って馬のいるところでシャッターを押すことにした。駐車場を出る頃には、雨脚が激しくなりかけている。こんな時には、強(あなが)ち走りっぱなしになってしまうが、彼女は「押さえるところはきちんと押さえて」いくと話す。




「しばらく一緒に走りましょうか」


馬と一緒に写真に収まって(ウマく撮れたかな)…さて青島を目指して走ることになった。成り行きか、故意にかは自分でも不明であるが、後ろについて青島まで走っていくことになった。




「おおっ、結構飛ばしますね」と届かぬ独り言をつぶやきながら日南海岸を北上する。雨はさらに強くなり、バケツの水をひっくり返した様に降り始めた。




「カーボンサーレンサーだし、買っちゃったんですよ」


都井岬の駐車場でそう話していた彼女は、直線になると青い煙を残して"す~うっ"と離れて行ってしまう。さっすが2スト。




青島では、バイクを降りて見学&休憩とした。R1Z嬢のバイクが群馬ナンバーなのを見て同じ群馬県のZZR(1100&400)の二人組が話しかけてきて、少し立ち話をする。(コント赤信号風の二人組だった)去年の雨の話や一日の走行距離の話で心も和む。




彼女が青島に歩いて行くのを送りながら「昔に来て(青島には)行ってますから」と言ってお土産屋街に残った私は、Yちゃんに電話をかけた。電話のコールに応答もなく、すっかり滅入ってしまった。彩へのお土産も気になったが、結局買わずに終わった。(*)Yちゃんは中学時代からの友人で、宮崎の学校に来て現地で会社を始めた。3人の子持ち。男性。




「もう(船に乗って)帰るだけですから」


と彼女は言う。今夜の宿も決まらない私は、宮崎駅まで行ってそのあとを考えるつもりに決心していたので、


「ここからはフリーにしましょうね」


そう言って、彼女と別れることにした。




宮崎空港にジェット機が着陸していくのが見える。両翼に点灯したライトがやけに明るく見えた。Yちゃんの結婚式に来て以来の空港の姿であった。シールドの中まで雨粒が入り込んで前が見えにくい。(眼鏡を外していることもあるが)




宮崎駅の屋根の下にバイクを入れYちゃん宅に電話を数度ほど掛けてみたが応答なし。ここまできてビジネスホテルには泊まりたくないし…と考えながら、JR・緑の窓口で時刻表を見ていたら、大阪行きのフェリーが宮崎港から出るのに気がついた。川崎にしか行かないと思っていたから、帰ろうと決心がつくのも早かった。フェリー会社に電話で確認したらキャンセルは"来て待たないとわからない"という。半分は帰りたい気持ち。残り半分はまだ帰りたくない気持ちで、複雑であった。




約10分ほど土砂降りの中を走って港に着いた。


「やっぱし来ちゃった」


と言って彼女の前に顔を出した時は、少しばかり恥ずかしいのと、もう一度声をかけたいのとで、気持ちは入り乱れていた。追いかけて来たみたいで、しみったれていてそういう自分が嫌だった。




キャンセル待ちの番号は12番。無理だと諦めているが、帰れないほうがいいような気もする。運を任せてしまっている。乗れたら大阪、乗れなかったら宿を探して、四国をまわって帰るだけである。




フェリーの待合い室で隣に座った若者は


「バイクを買って初めてのツーリングなんです。感激しています」


と話しかけてきた。雨にあった過去のツーリングの話をしたら嫌われることはわかっていながら、ずっと雨に降られ続けた昔話をしてしまう。しかし、それも彼には新鮮だったのかも知れない。


「ツーリングがやめられなくなりますよ」


何年もそのバイクに乗っているとバイクのご機嫌や弱点もわかるんですああ、そろそろ壊れそうだとか修理してやって一緒に走ってくれる一日中走り続けて、宿に着いた時なんかよく走ってくれたなって労ってあげたくなりますよ何を先輩ぶってしゃべっているのだろうと自分でもおかしくなるが、まじめに走るライダーになって欲しいものだ。




予約者(車)の乗船開始は、一時間以上も前から開始される。




R1Z子ちゃんは雨の中を19時過ぎに乗船口の方に消えて行った。待合い室の出口で見送っている私のことなどには気が付いてくれる様子もない。もしも気が付いたら手も振れたのに。




もしも乗れなかったらどうしていたか…と悩んだが、挙げ句の果て、つまりは乗れたのであります。




みんなの乗船が済んで一時間も過ぎてから、キャンセル待ちの乗船が開始された。大雨のせいで「雑魚寝(ざこね)」席の整理券が一枚づつ剥せない。出航の10分前のことである。




「ええい、みんな乗って!」


の係員の一声でキャンセル待ちの人達はみんな乗船可能となった。座席について「万歳ですね」と言い合い話が弾んだ。




深夜、船はかなり大きく揺れた。足が、頭よりもずっと高いところに行ってしまっているような感じで、幾度も目が覚める。でも、旅の道中の光景のひとつひとつを振り返るうちに、又、眠っていってしまう。




船は揺れ続ける。淡い眠りの中で、ひとつのシーンが甦ってくる。




(私):旅を続けて(九州を)一周回ってきた訳ですけど


きちんと計画していないから、最後が曖昧で…


どうしよう、どうしようで(ここまで)来て


雨が降って(予定を)急に変更して、


旅がストンと終わってしまうのが嬉しいようで、哀しいようで…


(貴方とのお別れが哀しくてとは言えなかったが)……


そうだ、名前を聞いていませんでしたね…(彼女):田上といいます…




夢のような旅は、ここで終わったのかも知れない。いや、終わらなくてはならなかった。本日の走行距離:219Km




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『夢をさがしに/九州』('94.5.4-5)後記


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∞'94.5.4-5∞




7:50、定刻通り大阪南港にフェリーは着いた。旅が、たった今、終わったのだという気持ちが突き上げてくる。旅を終わって、フェリーから降りる時に吸う空気には異様さを感じる。それは、社会復帰への逃避であり、嫌悪であろう。




早朝、船は紀伊水道を悠然と進んでいた。


船の甲板から陸が見えた。


左手が四国であり右手が紀伊半島か。


宮崎であれだけ降った雨も止み、


水平線付近の雲は切れている。


5時過ぎ、日の出時刻


雲は、赤く染まって海に映えていた。




低気圧の影響だろう


まだ風や波は残っており


甲板に立ち続けると少し肌寒い。


南九州は晴れているとニュースが告げる。


ざわめきが起こる。


関西地方は雨に変わるという。




お母さんと一緒に帰省している彩を、京都の実家に訪ねることにした。昨日の夜の電話では、直接家に(松阪に)帰ると言ったのに。大阪駅前のヒルトンホテルや千里ニュータウンのビルが私を現実に引き戻していこうとする。




京都で一晩泊まって、次の日、松阪へと向かった。






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あとがき


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私の旅は何だったんだろうか。土砂降りの雨の中、もしも、宮崎駅で野営していれば、まだ快晴の中を走り続け、予定通り四国に渡っていただろうか。




旅の手帖には走り書きでメモが綴られている。半年もすれば旅の記憶も薄れその崩れた文字の意味も思い出せなくなるだろう。それは、それで構わない。最後までカメラにフィルムは入れなかった。チャンスを失った。




景色は「自分の頭の中に焼き付いていれば良い」というのは私の口癖ではあるが…。今度から、旅に出る時には、会った人や話した人の写真を撮ってこようか、と考えている。




GSX、ありがとう。おまえとは、一緒に行く最後の長旅になるのかも知れない。できることなら直して乗ってやりたいが、現実という壁がある。旅が山場を過ぎた頃から急に愛着が湧いてきたのだが、懐中との相談もある。いつまでもこのままなら『煙が目にしみる』の物語は終われない。




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ノートから『語録』

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ノートから『語録』の一部を書き出しておくことにする
琴平YHでJRラー、トホダーの若い女の子と

|松阪っていいところですか(どうしてそんなこと聞くのかと思ったら)
|来年(卒業して)結婚して松阪に
|いくんです

阿蘇・長者原を出発前に尾張小牧ナンバーのZ900氏に今日はどこへ?と尋ねて

|山(九住山[1787m])に登ろうと
|思って…
|でもやめろっていわれてね
|女が登る山だって

阿蘇・大観峰にて、石野陽子みたいな女の子(可愛かった)

|ライダーはわがままですもん
|阿蘇は北九州から日帰りできます
|今日は「やまなみ」を回って帰るの(どうして一緒に走ろうと言わなかったのか)

国見峠を越えた日に、市房YHで夕食時に横浜から来た若者と(チャリダー)

|二輪という連帯感ありますよ
|この旅は国見峠を越えるために
|来たようなもの
|なんですよ

市房YHで、朝、雑談中に、群馬の女性(R1Z嬢)(お天気が下り坂だそうですが…の問いかけに)

|へぇ~そうなんですか(天真爛漫ね、いいなあ)R1Z嬢
|お母さんには友達と出かけるって
|言って来たの
|(彼女も)知っているから電話
|掛けてこないし…
|その子ももうすぐ飛騨高山に出かけ
|るし…

尾張小牧のTW200の男子に中日ネットを薦めて

|もうすぐモデム買いますから
|(ネットに)いきますね

砂むしの前で、なにわナンバーの男子と(暑いでしょうと聞いたら)

|バイクに乗って汗かいて
|またここで汗かいて
|ただ話題のために来ているだけですわ(大阪弁)

桜島YHでの雑談(誰と交わした会話だったか)

|(走ってばっかしで)
|薩摩ラーメン食べられなかった

煙草をくれた同い年の岐阜から来た女性と(未婚)

|日焼けして、砂むしなんか
|10分(くらいしか入ってられなかった)
|その後で風呂浴びて又宿で風呂浴びて…

都井岬駐車場でR1Zをみながら

|カーボンサーレンサーだし

日南海岸でぶっ飛ばしていて、バイクがねじれるようにバランス崩してあわや転倒か!の後、荷物を直しながら

|私って一日一回
|危ないことやっているんですよね
|昨日なんかもカーブでステップ擦っちゃ
|ったんです(群馬アクセントで)

青島の見えるところでZZRの男性たちが

|海の匂いがしませんね
|コンビニで
|「るるぶ」をその場でコピーして
|宿を探したよな
|去年の四国なんか
|カッパを着なかった日なんて
|一日もなかったよな

青島、お土産物屋さんの前で、田上さんと(お土産を買わないという私に対し)

|(子供の頃)私の父はふらっと
|何処かに出かけるんです
|何も買ってこない人でね
|出てくるのは(ホテルとかの)
|領収証ばかり

(お土産は何を買ったんですかと尋ねて)

|漬物です(ラーメン屋さんがあるので、誘うと)
|そうだ、お昼食べてませんでしたね
|そうですね、ラーメン食べましょうか

青島でラーメンを食べながら田上さんに(髪が雨に濡れて大変でしょうと尋ねたら)

|男の子と間違われたから絶対に髪は
|切らないっ

土砂降りの雨を見ながら宮崎のフェリー乗り場の待合い室で神奈川から来た男の子が

|初めてのツーリングです

宮崎、フェリー待合い室で田上さんとの別れ際に

|どうしようどうしようで来て
|雨が降って急に(予定を)変更して
|旅がストンと終わってしまうから
|嬉しいようで、哀しいようで・・
|また二、三年後、同じ日に同じ場所に
|ツーリングに来てて、会ったりしてね…
(名前、聞いていませんでしたよね)

|田上と言います
|たんぼの「田」に上下の「上」…

宮崎港で土砂降りの中キャンセル待ちのバイクも乗り込めたあと部屋に入って

|キャンセルのみんなで万歳三唱しましょうか

帰りの船の席でビールを飲みながら(R439なんかを四国で走っていて前からバイクが来て)

|たまに会うとニタッて笑ったりするんで

|すよね

|ああ、みんあ同じなんだなと思う

フェリーで一緒だった、種子島に行ってきたという

(名古屋ナンバーの)物静かでおとなしそうな男子と

下船前に、船の倉庫でエンジンをかけながら

|げげげ、すっごいバイクに

|乗ってますね(雰囲気があわない:うっちゃんに似ている)




………




彼は


南港を出て


京都に向かう私に


大阪市内で


ピースサインを残して


西名阪方向に


消えて行ったまっすぐに走り去る後ろ姿を見ながら


私は交差点を曲がった




もう二度と会えない


行きずりのライダー達今度


どこかで偶然にも会えたら


それはドラマだ(気が付けば…の話だが)

………

「語録」は、記憶を刺激する。私にとっては、写真よりも刺激的だ…。

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『夢をさがしに/九州』(支出表)

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ツーリングノートから(ガソリンはカード処理)

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・・4/29

・1390・航送運賃和歌山…小松島

・1700・旅客運賃南海フェリー

・2300・琴平YH

・250・ビール

・220・たばこ

・600・うどん/夕食

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小計・6460・走行距離223Km

・・徳島市内\1457(11.6㍑)

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・・4/30

・600・航送運賃三崎…佐賀関

・900・旅客運賃国道九四フェリー

・110・ポカリ(待合い室にて)

・670・やまなみハイウェイ

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小計・2280・走行距離332Km

・・別府市内\1882(14.5㍑)

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・・5/1

・260・やまなみハイウェイ

・100・黒川温泉共同浴場

・100・コーヒー(黒川温泉組合・売店)

・200・牛乳(阿蘇・大観峰売店)

・100・同上(ミルクロード・やまなみハイウェイ

・800・ざるそば(昼食)

・330・アクエリアス・1.5㍑ボトル

・3550・市房YH・夕飯付き

・400・ビール

・300・湯山温泉・元湯浴場

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小計・6140

・走行距離257Km

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・・5/2

・906・エンジンオイル(1㍑)

・842・食事(コンビニ:パン、ヤキソバ)

・229・ポカリ、1.5㍑ボトル

・480・航送運賃鹿児島…垂水港

・350・旅客運賃南海郵船

・350・焼酎2合ボトル

・500・TELカード(?)

・1950・桜島YH

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小計・5607

・走行距離290Km

・・人吉市直前\1847(14.7㍑)

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5/3

・220:たばこ

・50:都井岬駐車場

・520・昼食?青島にてラーメン

・3000・航送運賃宮崎…大阪南港

・8230・旅客運賃マリンエキスプレス

・110・コーラ(フェリー待合い室にて)

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小計・12130・走行距離219Km

・・鹿屋市内\1570(12.1㍑)

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5/5・

・関ドライブイン\・・・・(14.4㍑)

・(金額は不明、給料引き)

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・総計・32617・

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2009年5月11日 (月曜日) Anthology 旅の軌跡 | 元記事