悩むということ 三、  ─ 狡い奴たち

過去に在籍した会社で出会った人間の善悪な顔を思い出しながら少し脱線しよう

過去の道のりには人間の醜さが溢れていてそこでオロオロしていた期間が少しあった

でも そこを抜け出してからの人生で 視野を変えて 社会を冷静に分析すると「表・裏」が見えてくる

あそこで(悪を)学んだことを振り返ってみれば そのおかげで 人としての厚みと深さを備えた懐を得て 逞しくなった自分ができたのだと振り返っている

世の中には美的な談話の数と同じほど醜く『エゲツない』話がある

真面目に生きれば 周囲には善人ばかりがいるように思えるけれど ところが 実際に紛れ込んだ目前の社会(組織)には 優秀で使える人材が一割ほど その一方で不出来な奴が三割ほど しかも 全体の八割は 悪い奴だ(過言だが)と考えてよいことも知った

そう知らしめたのは 三十代に過ごした組織での凸凹な道だった

人生の選択の時に悩んでいる日記を書いている人を見かけるたびに もっと視点を変えようと言いたいが こちらの声は届かないし耳を傾けられることも少ない

そんな根拠を探るために「醜い」とは何かを考えてみたい
あまりいい話ではないがどうしても書いておきたいの触れておく

パーな会社に長年在籍したことで 二つの人間性をみることができたし 自分も成長できる礎ができた

メモを探ると いくつかの言葉が出てくる

「狡い 貶める 卑しい 蔑む 謗る 腐す」
「卑怯 誹謗 冷淡 非情 悪賢い 身勝手 薄情 横着」
「中傷 侮辱 脅迫 叱責 怒鳴 」
「逃げる 無関心 すばしこい 貧困な精神」── 
「パーな会社には 『狡い奴』が満ち溢れていたことを忘れてはいけない」

──と書いている

国立大学や有名大学の出身者のデパートのような集団で 世間から見えればエリート集団であり人気企業であり難関な会社でもあった

ところが 中に飛び込んだら(まあ何事でもそういうものだが)全く様子が違うわけで 総じて言えば「醜い」人間性の集団だった

松下幸之助の言葉は 素晴らしいし人生訓としても社会人としての手本としても 掛け替えのないものだったのだし 触発されて飛び込んできた面々は各々 入社したころは 清く美しく純真無垢な新卒だったのだろうと思う

ところがそこでそれを手本にしたはずの集団は 大きく期待外れの集団に姿を変える

それはそれで なるほどと認めて 集団とはこんな風にも成長⤵️するのだと納得することにしている(それ以上悪口を言ってもコチラの品が下がる・・)

大切なのは『そんな集団に変化していったのは何故か』を様々な角度から考えてみるのが良い

その(一種の)反省は 会社をスピンアウトしてから二十年間ほど別の新しい組織で社会人としてやっていく過程で大いに役立った
(そこも国立出身者ばかりだったが とても快適で心地よかった)

世の中には こういうギャップが存在して 表と裏があって 醜いものがあって 汚い奴らがいて そんなものをほどほどに(最低限度でいいので)体験するのがいい

八割が悪い人間だと書いてはいるが 私は性善説でそれらの人が『性悪』というわけではなく 日常に暮らすぶんには「イイ人」のことも多いと感じている

悩むということを乗り越えるには 悪いものを一通り乗り越えておく必要がある

昔からいう「人のふり見て我がふり直せ」を体感をすることだ

そういうわけで悩むなんてのはまだまだ青い証拠で 悩んでいるくらいならもっとやらなあかんことがあるのだという話

#悩む #醜い