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そして海になった

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 よく覚えている。水曜日だ。指定休は当時水曜と金曜で、土日という連続した休日は無かったものだから、その水曜日も用事などなくて、ただ仕事に行かなくて良い日であるだけだった。
 すこしの筋トレとジョギングをして、コンビニでアイスコーヒーを買ってイートインに入った。にがくてつめたい。外はきれいに晴れていて良い洗濯日和だった。すばらしい。とても良い休日の始まり方である。なんの気なしにTwitterを開いた。

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 目に爆弾がとびこんできた。びっくりして飲んでいたアイスコーヒーでむせてしまい、周りの人にすこし厳しい視線をもらってしまった。
 アカシアさんは、知り合ってまだ日は浅いが、数少ない友人の1人である。この人はとくに料理と香水について比較的造詣が深い方と認識している。最初はワインについてやりとりをしていたが、ワインと香水が似ている、という話を確かしたのだった。今年の正月あたりに初めて、この人おすすめの店へ一緒に飲みに出掛けた。昼から軽くやろうやというスタンスだったが、出てくる飯がぜんぶうますぎて、実はあまり記憶がない。たぶんよくわからん感想をずっと口走っていたと思う。覚えている最後の台詞は「あ〜!エビが反ってる!!!」である。大阪美食の水先案内人であり、「グッドラック」でいう堤真一である。「結婚できない男」の高島礼子でもある。「王様のレストラン」なら森本レオだろう。
 正月昼飲みの序盤あたりで、「西大橋に大層うまい欧風カレーを出す店があり、中でもここのカキフライカレーがすばらしい。ここのカキフライはカキフライ界で闘える」という話を聞いていた。カキフライ界とは。なんでもカキフライカレーが衝撃的すぎて、初めて食べに行った翌日、もう一度食べに行ったそうだ。そんなに言うかというくらい賞賛していたことが印象的で、うまいめしにぬりつぶされた記憶のなかにぽかりと残っていた。それを聞いた翌日早速食べに行ったが、たまたまカキフライを切らしていたため普通のビーフカレーを食べたのだった。ちなみに普通のカレーもめちゃめちゃよい。
 そんな堤で高島で森本のアカシアさんがほめちぎるカキフライカレーが、ずっとずっと気になっていた。

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 は〜〜〜〜〜〜。

 食いてえ〜〜〜〜〜〜!!!!!!

 ファミマのイートインで頭を抱えてしまった。
 人間というのは本当に大したことない生き物だ。「そのとき私はこう思うと同時に、こう考えてもいた」みたいにあたかも物事に対して別な考えが同時に浮かんできましたみたいな、多面的なものの見方を最初からしていたんですよ的な描写をする作品、そんなもんはウソです。最初からそんな並列処理は不可能。ヒトはそんなに冷静にはなれないし、冷静でいたくもないとすら思う。食べたい。ものっそい食べたい。みんな知っとると思うけど自分牡蠣めっちゃ好きやねん。食べたい。カレーも大好きやし。うまいもんとうまいもんまぜときゃあうまいんよ、ってどっかの芸人が言っていたが今回は真なんです。食べたい。というか牡蠣のシーズンに終わりがあることを考えていなかった。もう最後とか嘘やん。食べたい。
 頭の中が「カキフライ食べたい」でいっぱいになってしまっていた。夢屋まさるとひと昔前ネットで流行った「脳内メーカー」がコラボしたらこうなってしまうであろう妄想多次元空間が頭の中に展開され、すべての液晶にまだ見ぬカキフライが映っているが、すべて粗めのモザイクがかかっている。なんでやねん。こんな気持ちは思春期以来だ。はやく実物を見たいのだ。未知のカキフライがもつエロティシズムとでもいうべきか。
 ひとしきりうんうんうなっていたが、食べたい気持ちは膨らむばかりで脳内宇宙はエントロピーが増大しすぎて破裂しそうなので、とりあえず現実に帰って食べるための手段を考えることにした。そこで問題がでてきた。費用だ。
 たとえば洗濯しなきゃとか、部屋の掃除がとか、読まなきゃいけない論文がとか、カキフライ界への道を遮ろうとするものはいくらでもあったわけだが、そんなものはすぐに頭のゴミ箱に蹴り込んで無かったことにした。だが費用だけは別だ。いま頭を抱えているファミマは東京にあって、自分の肉体と汗をかいているアイスコーヒーも東京に存在している。かたや件のカキフライは大阪にある。今日中に往復するには新幹線に乗るしかあるまい。2万以上かかる。高い。ものごっつい高い。しかも今月金使いすぎてこれ以上使うと不安だという気持ちもある。しかも。この時期に。弱気な自分がむくむくと膨れ上がり、プラカップの中ではロックアイスがとけていく。
 
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 歴史には分岐点というものがある。それ以前と、以後だ。キリストが生まれる前と後。産業革命の前と後。世界大戦の前と後。世界の歴史に限らない。一人一人の人生に、なにかと出会う前と後がある。その境目で人は、なにかを失うと同時に成長していく。
 いまがその時なのだ、と思った。金がないというのはこの時に限れば甘えだ、なぜなら口座にはまだ往復交通費とカキフライカレー分の金はあるからだ。電気代?知らねえ。あとは自分次第なのだ。「カキフライロード」の通行料がタダだとでも思ってたのか?大体何のために地方の実家からわざわざ上京して社会人になったんだ。だれからも束縛されずに、自由に生きたかったからじゃないのか。この時代、これを逃して万が一次のシーズンまでに閉店するようなことがあったら、きっと死ぬまで後悔することになるぞ。それでいいわけないだろ。未来の自分に胸を張れ、弱さを捨てる覚悟を決めろ。さあいくぞ、1、2、5、4、
 勢いよく席を立ち、氷がほぼ溶けたアイスコーヒーというかもはや水を一気にストローで吸ってゴミ箱に投げ入れた。家に帰って最低限の荷物だけまとめる。こういう時、普段から荷物が少ない自分はとても楽だと思う。アカシアさんに今から大阪へ向かうと連絡した。驚いていたが現地で落ち合うことにする。新幹線の切符の値段は、まあ良い。
 肥後橋につくともう夕方で、ひらけた道路を夕陽が照らす中店まで歩いた。その時見た太陽があまりに立派で、THE ALFEEの「太陽は沈まない」を再生した。自分の中の江角マキコが脚立を担ぎ出す。人はどこまでも強くなれる。
 アカシアさんは東京からいきなり来襲したフォロワーを歓迎してくれた。着席して、人の良い店主に注文し、座して待つ。これまでのカキフライへの憧れを話すと、期待を最大に膨らませるレビューをしてくれる。あれほどなにかが待ち遠しかったことはない。
 来た。
 白米がなす小山の周りを濃い茶褐色をしている欧風ビーフカレーが取り囲んでいる。その上に小ぶりなカキフライが6つ身を横たえている。カレーの中にはごろりとした牛肉がふたつ入っていてさながら夫婦岩である。この一皿の上には天国のジオラマが載っている。
 カキフライをひと目見て気づいたが、普通のカキフライと質が違う。使っている牡蠣が、とかいう話ではない。衣の付き具合が全然違うのだ。これまで居酒屋などで供されてきたカキフライは、牡蠣の周りを分厚い衣が覆っていて、ゴツゴツした見た目をしていた。アメジストの結晶のような形だ。その衣の食感も楽しいといえば楽しいのだが、これは違う。薄い。この牡蠣たちはとても薄着だ。オパールのようだ。いやもう見つめるのがまどろっこしい。見た目の感想は後回しだ。口に運んだ。
 前歯がおそるおそるころもにかかっていく。熱い。自分の心臓が耳の裏側にあるんじゃないかと思う。熱い。紙一枚ほどにうすいのにはごたえのある黄金色の繭がわずかに押し返してくる。やぶるとその先に小ぶりの肉があって、熱を帯びた湿気が口の中に立ちのぼって、磯の香りが中咽頭でしずかに爆発して、咀嚼するたびに味が湧いてくる、いつのまにか閉じていた、目を、開く、前を見る、

                    海が




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 歴史には分岐点というものがある。それ以前と、以後だ。キリストが生まれる前と後。産業革命の前と後。世界大戦の前と後。世界の歴史に限らない。一人一人の人生に、なにかと出会う前と後がある。はじめて公園で膝をすりむいた感触、聴くたびに胸が締め付けられる思い出の曲、友との別れにこらえた涙、やっと出逢えた大切なあなた。
 そして、このカキフライカレーだ。
 衣の絶妙な揚がり具合に今年の驚きすべてを持っていかれた気持ちだったが、中身の牡蠣にも目を向けるべきである。杭打ち牡蠣とかいう製法らしいが詳しいことはわからない。でもとにかく味がしつこくない、けれども濃い。噛むほどに海の味が湧いてくる。牡蠣の汁はそのまま血を巡りからだに染み渡りそして肉体が海になる。鼻の奥から喉の1番下まで牡蠣の味がする。「一粒の牡蠣の中に世界を見出す」と書いたのはウィリアム・ブレイクだった気がする。中嶋らもが生きていたら牡蠣を食べるために長生きをしたくなって禁酒したに違いない。
 自分の体が海になってしまっているのだから、自分の体を走る波を止めることができない。対面のアカシアさんに感想やらなにやらを伝えようとするが時々思考が止まってしまう。「うまい」の波がくるのだ。波が脳の奥ふかくをゆらして、なにもかんがえられなくなってゆく。じぶんがかきになってうみのなかで揺れている。その一瞬のうちに永遠を握る。無限の広がりが牡蠣の中にとじこめられている。

 ここのカキフライカレーはまさに分岐点となった。もうカキフライカレーを食べる以前に戻ることはできない。ごつごつした衣の分厚いカキフライしか知らない自分には、もう戻ることはできないのだ。それはビール要らずの新たな味を知る喜びでもあるが、同時に悲しみの可能性をはらんでいる。もしこのカキフライカレーが食べられなくなる日が来てしまったら、そのとき自分はどうすれば良いのだろう。知らなければそれを恐れずに済んだのに(カキフライの話です)。あなたと出逢わなければ、遠くの地で恋焦がれることもなかったのに(カキフライの略)。分岐点で人間は成長すると書いた。それはかけがえのないきらめく思い出と、喪失に対する恐れや悲しみを合わせ持つことでなされるのだ。
 そして今回自分はなにを失ったのだろうか。おそらくそれは、なにかを目指して突き進もうとするときの、ためらいの気持ちではないだろうか。今となっては費用がどーのこーの言っていたことがばかばかしい。そこに欲しいものがあって、手の届くところにいるならば、とにかく行ってみるべきなのだ。ぼやぼやしていると2度と手に入らないものや、会えなくなる人がいる。後悔などすることがあってはならない。
 この日、シーズン最後のカキフライに、感動と共に与えられたものがある。何事もなければただ漫然と生きるだけの休日だった。それは、このカキフライロードを、あらゆる恐れを退けながら進み続けることとはまるで違う。某オシャレ漫画の最終回の言葉が語ってくれている。「だから人は、その歩みに特別な名前をつけるのだ。
 『勇気』と───」

 なお、カキフライカレーについてきちんとしたレビューをアカシアさんが簡潔に書いてくれているので、具体的な情報はこちらを参照されたい。
https://note.com/hinemosu_/n/n61b93fb600e3
 結局この日は、カキフライカレーの衝撃が冷めないまま東京に帰った。
 この日は他にもめちゃくちゃうまいケーキを買ったり、アカシアさんの案内で良いバールに行ったり、初心にかえってワインや香水の話をしたりしていたのだが、それはまた、別の話。









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 東京都を含む7つの都市において「緊急事態宣言」が発令されたのは、この13日後のことである。



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