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緑の粉ワサビ缶と青いアジシオ

ふらっと立ち寄った店がいいというのは嬉しい。カウンター、キッチンが見える、昭和レトロな老舗、みたいなところが僕の好みだ。今日もおけ以で餃子を食べた後に、まだ早かったのでもう一軒。以前焼酎の蔵元の友人が「ここ美味かったっす」って言っていたことから気になっていたのだった。寡黙の親父と隙間ないオーラで埋まる常連な親父たち。その友人は2階がいいって言っていたんだけど、どうしても僕は親父の前に座りたいものだ。今日はラッキーなことに、カウンター2名だったら行けるよとのことだった。

焼き場に指をあてたのだろう、あちぅっと指先を見る親父。おそらくめったにそんなことがないのだろう、本人も驚いている。客から出されたビールをそっとノンアルコールに変えて、文句言われても水よりも旨いんだよと即答する親父、黙る常連。カウンターの上を見ると、ありがちなゴルフコンペの写真がズラッと並んでいる。カウンターに座っている常連の一人が話しかけてくる、「近所に住んでんの?」赤ちゃん連れでふらっとカウンターに入ったからだろうか、そんなファーストパンチに、「長いんですか?」と尋ねる、「もう通い始めて長いんですか?」の意味だ。「いやいや、ここは長いけど、俺はまだまだ」急に顔色が変わる。「◯◯ちゃん帰るわ」聞き取れなかったけど、おそらく大将の名前だろう。親父はそっと目配せをして、再び焼き場へと戻る。きっと、常連の中でもヒエラルキーがあるんだろう。でも嫌な感じはしない。

「焼き茄子ちょうだい」の僕のオーダーに「あー焼き茄子は終わっちまったよ」との答え。ふと、何を食べようかとメニューに目をやるついでに、雑然と並んだ食器、調味料をみる。使わなくなったものもそのままの状態で置いてあるのだろう。そんな大将の思考回路を過去に遡ってみらえるのが、この手の古い店のいいところだ。キレイに整えている店だけが正しいわけではない、こういう汚い店もそれはそれで正しいのだ。なぜか粉わさびの緑缶が並んでいた。その上にアジシオのパックがあった。アジシオは世界一の塩だと思う。いきつけの天ぷら屋で一番大きい塩入れを開けるとそれがアジシオだ。ヒマラヤやゲラン、そしてメキシコの塩まで色々あるが一番旨いのがアジシオだ。そんなアジシオの袋に何故か安心すると、塩?タレ?と聞いてくる。タレでいけるものはタレ、あとは自動的に塩となる。塩をふるときに、持ち出してきたのがあの緑の缶だ。粉わさびをかけているわけではない、空き缶の蓋に穴を丁寧に仕込んで、そこからアジシオを落下させているのだった。もうこの時点で、天才である。

実にいい店だった。東京に眠っているこの手の店のすべてを発見していきたいと思う。

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