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ゴッホと黄昏流星群

目白に行きつけの酒屋があって、酒を探しに行くというよりもそこの店主に会いに行くというか。その男の名前は栗林幸吉さんという。独特のハイトーンボイスに微妙な間合いでスタンスをキープする独特の接客、膨大な知識量はもちろんのこと彼との会話が楽しいお店だ。

恵比寿でゴッホの映画をみたあとぐらいだったかな。フラッと立ち寄った栗林さんとアブサンの話で盛り上がる。本来はニガヨモギを使った薬用酒であり、ペルノ社の代名詞にもなっているこのお酒。ツヨンというニガヨモギの成分が幻覚症状を引き起こすということで、フランスでは1872年には販売中止の措置が取られる。ツヨンの再検証が行われ、現在ではニガヨモギを使ったアブサンが製造されるようになったが、それでもツヨンの濃度は各国のレギュレーションで厳しく管理されている。例えばEUでは35gm/L、日本では10mg/Lといった具合だ。

「アブサンはさぁ、昔はもっと美味しかったんだよ。ニガヨモギを使っていてね。幻覚症状を引き起こすという前に美味しいリキュールだった。だからゴッホは耳を切っちゃうんだよな」

そうニコニコと笑う栗林さんが持ってきたのは1872年前のアブサンだった。「少し飲んでみる?」と聞けばアブサンミュージアムにも空瓶しかなくて現存するのはおそらくこのボトルのみなんじゃないかなとのこと。グラスに入った150年前のアブサンを舐めてみる。僕が今までに味わったことがあるアブサンとは全く違う味がした。あの当時のパリはこんな優雅な飲み物を飲んでいたのか。

ある日のこと、僕がウィスキーをコレクションしていることを知っている栗林さんはまたニコニコしながらこういった。

「マフィアにいいの、見つけておいたよ。これこれ。」

そう言って出してくれたのは、黄昏流星群の挿絵のエチケットのクラインリーシュ2010だった。小学館の編集者だった山岡秀雄さんのボトラーズものだった。「台詞がいいんだよなぁ」っと指を置いた場所には、「一緒に死んでくれますか?」との熟年女性のコメントが載せられている。

黄昏流星群は弘兼憲史さんの描く短編オムニバス。熟年男女の恋物語といえばシンプルだが、人物の所作や風景の細かな描写にいつも感動する漫画だ。さすがは編集者、あの一言の台詞はこの2000万部以上を打ったロングセラーの背骨みたいな力強さを如実に現している。

しばらくして僕らが長いこと集めてきた500本を超えるウィスキーを格納する秘密のバーが完成した。一緒にウィスキーを探しあつめた相方が選んだお酒があの挿絵のエチケットボトルだった。

「あれ、なんで黄昏流星群?」

9年モノのクラインリーシュは、まだ若かったけど薫りある力強いウィスキーだった。バーの名前はハイボールズというが、このお酒はニートで少し加水するぐらいで味わいたいお酒かも知れない。

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