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親父の葬儀に向けて、日々準備する毎日

ワクワクする作業とは程遠い、かといって後ろ向きな作業といえばむしろポジティブな作業の連続である。週末に執り行われる親父の葬儀に向けての準備をしている。お袋がこれが最後だからという一言が響く。葬儀に参加することはあっても、自分から動いて何かをするということはなかった。だから全てが新鮮で、葬儀という故人にとって最後の行事の仕組みについて勉強する機会になっている。亡くなった人が主役となり、いろいろな人の思いが集まってくる。親父を知っている人、親父を知らない人、僕を通じて親父を知っている人、家族を通して・・・など、色々な人達がこの最後の行事に動き出している。

週末ということもあって、そこまでお袋が気張り過ぎないようにと見張るのも僕の役目なのだが、彼女の性格もあってかオーバードライブ気味に毎日を過ごしている彼女をみていて、同じ屋根の下で一緒に住んでいた頃の自分を思い出す。そういえば、あのときもこんな感じだったなぁっと。僕の友人らからも海外の弔文が集まってくる。親父を知らない人も多いのだが、自分の両親が亡くなったことと重ねて、丁寧にその言葉を紡いでくれることにただただ感謝する。人の想いに触れるという、人間らしい行動をこんなにも豊かに表現出来る人がいることを知ると、これからの人生もっと学ぶべきものがあることを知る。

通夜に出席したい、そして告別式に参加したい、そういう声もいただき忙しいだろうに、親父に会いに来てくれることは嬉しいものだ。ついこの間まで元気だったわけだから、もっと元気なうちに色々な人達に会ってもらえたらもっと良かったなぁっと思うのだが、そんなことを回顧録的に考えてもしょうがない。こうして親父が亡くなってから、彼が生きていた証左みたいなものを確かめる作業を皆が共同作業してくれていると思うと、身が引き締まる思いがする。仕事は粛々と進んでいくのだが、ふと合間に思うのが親父のことだ。感傷的に浸る暇はないものの、アスファルトを濡らす水のようにじわりじわりと心の中心へと広がっていく。今週はこの作業に集中していくことが、一番なのだろう。

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