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出島の街にWAGYUMAFIAを作る

WAGYUMAFIAを東京以外にも作ることになった。当初の想定で考えると全く想像していなかったことだ。もともとWAGYUMAFIAは東京と世界10都市のみに作ると決めてスタートした。僕らが訪れたい都市を10都市厳選する。そんなプロジェクトだ。だからこそ日本の地方展開はYAKNIKUMAFIAというブランドを立てていている。日本の主な役目はWAGYUMAFIAという世界観モジュールのショーケーシング、そしてYAKINIKUMAFIAや通して優秀な経営者を発掘する、この2つがメインの基軸だからだ。それでもその男は譲らなかった、日本を代表する都市にしたい、そのためには海外からVIPを集めてこの都市をPRしていきたい。そのためにはWAGYUMAFIAが必要だ、そう僕に伝えてくれた。

昨日の本コラムにも書いたが僕は歴史を学ばないと、現在が理解できないタイプだ。すぐに僕は長崎に飛んだ。過去にも砂糖の歴史など長崎についてはなんどかこのコラムにも登場しているが、実際に訪れるのは初めてだった。まっさきに出向いたのは出島だった。まず美術館の表現力が非常に良くできていると思った。遠い歴史の中に今僕は存在して、そのときに流通していた輸出品のリアルな商材郡に触れてなんとなく歴史の中にいる気分になる。ここから日本の秀でた産業は世界に向けて輸出された、それと同時に世界の当時の文化が長崎を通じて日本本土に入っていった。

ふと東アジアでのポジショニングを考える、そうすると間違いなく長崎という立地は博多と同様に要のような場所に位置する。現在は上海、香港へのルートが確立しているが今後このプロジェクトが成功したらもっと路線数は増えてくるだろう。出島の魅力、そして都市の魅力、そんなものが僕の心の中に深くささったのだった。次のミーティングでは僕はやりましょう、と断言でした。それは僕の中でもチャレンジだったのだが、この長崎を自分の中で再定義する、そのためにWAGYUMAFIAの役目がある。そんな号令がひとつ、走った日でもあった。

ジャパネット高田さんとの出会いは、オリビエロが作ってくれた。僕らの発表をまずオリビエロに伝えた、そうするとニュースを何度も見ながらあのときのきっかけを作ったのは俺だからなーっとガッハッハと笑った。これから僕はもう少し歴史を学び直し、この新しいプロジェクトに魂を入れていきたいと思う。新しい時代の出島的な存在に僕らも寄与できたら最高だ。


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