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僕にも小学校の同級生という存在がいたらしい

海外と行ったり来たりということもあって、なかなか竹馬の友的な存在がいなかったりするのだが、オーストラリアから戻ってきて迎え入れてくれた東村山の八坂小学校の同級生は3人は不思議と未だに交流がある。といっても頻繁に会うわけではなく、実に7年ぶりの再会した。最後に会ったのは新宿のデジキューという屋上で焼肉ができる施設でのイベントだった。WAGYUMAFIAが出来る前の話なので、僕も記憶がうっすらとしか覚えていない。

大抵僕の友達は記憶力がいい。遠い昔の記憶は大脳皮質と海馬の相互作用によって蘇る・・・はずだ、ただし僕にはその機能が極めて弱い。そんな時に古い友人がシェアしてくれる過去のエピソードは、僕にとって新しい経験を味わせてくれるようなそんなフレッシュな気分になる。吉岡というガキ大将みたいなやつだった男は、野球が好きだった。帰国した直後に、僕と彼は教師に呼び出され「君たち二人のことをみんなが嫌っている、迷惑になっているということを気づいているか?」みたいなことを面と向かって言われて、子供ながらにショックを受けたことがあった。オーストラリアの教育とは真逆だったからだ。

そんな大人は実は子供の味方じゃないということをすっかり理解した僕は、先生からの体罰にも慣れて、ジャパナイズされた生活を送っていた。当時はそんな暴力で子どもたちを抑え込むというのが当たり前の世界だった。テレビでヌーディティが許されていた時代、今から考えるととんでもない話だが、その頃のエピソードは映画になるぐらい面白い。武藤は秀才風だった、どうやら何かで喧嘩して給食時に僕はミルクをぶっかけたらしい。笑 お互いに何が原因で喧嘩したのかも全く覚えていないところがいい。もう一人の友人、吉野とはこの2人よりも近い存在だ。受験戦争に勝ち抜いた彼は東大の医学部へ進み、なぜか医者になる道を捨てて、電通の新聞広告の折込ストとして同社の顔になった。僕と堀江が作ったトライアスロンチームに入り、そのご縁で堀江と一緒にカレーのチェーン展開をしていたりもする。

吉岡と武藤は未だに東村山に住んでいる。東村山といっても僕らは久米川と八坂のあたりの小さなエリアを指している。吉岡のじいちゃんが阿波おどりを持ってきたこともあり、それを復活させるということで孫である彼が頑張っているらしい。「
吉野も浜田も東村山のために人肌脱いでよ」と吉岡、武藤もその呼びかけに首を何度も縦に振る。世界を引っ越ししまくっていた人生だったので、まさか自分に故郷のようなものがあるということを今まで感じたことがなかった。不思議と久しぶりに東村山を歩きたくなった。

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