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ルーティンの大切さ

以前はライターさんにお願いしていたのだが、赤坂の店舗を作ったときに、詳細のコンセプトとか料理とかを見ないと書けないと言われて、そんな当たり前なことを言われないと文章化できないんだったら自分で書いてやる、と啖呵を切ったのが3年前。それ以来、クラウドファンディングやらニュースレターなども自分で文章を書いている。

しかしそのライターさんが言ったことは至極当たり前の要望で、コンセプトデザインをしているのが僕だから、頭の中を分解して披露しないと当事者じゃないと書けるわけないのだ。書いてやるって言ったもののの、いざ静かに考えてみたとしても全く文章化できない。久しく文章を書いていないとこういうことになるんだなぁっと痛感したのだった。

そこから2年ほど経って、年末に文章を上げる苦しみを再度味わったため、これはアカンと気付いたのだった。僕が文章を書くのが好きになったのは、小学生の時に先生より毎日一題のテーマお与えられて四百文字詰の原稿用紙に文章なり小説なりを書くという千本ノックを1ヶ月したことにある。最初は苦痛だったがしばらくしていると、文章を書くまでの距離が短くなっている自分に気づいた。

その時の記憶を頼りに、年末から毎日文章を書くというノルマを自らに課したのだった。やはり最初は書き始めへの助走距離が長かった。毎日テーマを浮かべて、そして思うままに文章を書く。こんな簡単なことが、実に難しい。これがルーティンの怖さだ。そんな簡単なことやらなくてもいつでもできることを、いざデイリールーティンにすると全くできない自分がそこにいる。

今日のコラムで70日間連続となる。毎日休むことなく、どんなに疲れて帰ってきたとしても文章を書くことにしている。なんとなくこのルーティンを見つけられたことが嬉しくなってきたし、そして楽しくなってきた自分がいる。そしてあの時に啖呵を切ったライターさんの気持ちがようやく分かるような気がするのだった。

写真はこの文章を書いている、目黒のとんかつ屋大宝さんのカウンターにて。そうかぁ、ランチは若手が揚げて訓練しているのだな。ちなみにここは普通のロースか特上のロースかで僕の中で票が割れている。

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