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J-POPまもるくん問題まとめ😎💪‪👧🏻 ̖́-‬



上記ツイート、
「J-POPではよく“俺がおまえを守るから”という歌詞が歌われるが、いったいなにから・なぜ守る必要があるのか?また、このようなフレーズがJ-POPの歌詞の中に登場・定着したのはいつ頃で、どのような文化背景と関わり合っているのか?」
という問題、ぐぐぐういーーーっとまとめて、“J-POPまもるくん問題”😎💪‪👧🏻 ̖́-‬
を巡って脱輪が投げかけた問いに、ありがたいことにTwitter(現X)上でさまざまなご意見を頂戴した。
以下まとめとして、脱輪による問題提起を巻頭に据えた後、それぞれのご意見を匿名・本文のみの形で太字カギカッコ❝ ❞内に記し、それに対する脱輪の返信を右矢印→以降の本文にて転記していく。
(ツイートの引用に万が一差し支え等ありましたら、お手数ですが脱輪までお知らせください)


また、この問題については、脱輪が主催する文学サークル“お茶代” の2月課題として出題されることが決定している。


説明しよう!人類初!お金がもらえる文学サークル“お茶代”って!?①


説明しよう!人類初!お金がもらえる文学サークル“お茶代”って!?②



正直、まとめをつらつら眺めているだけでも充分楽しめるはずだが、これを読んで少しでも気になった方は、ぜひ当サークルまで自由なご意見をお寄せいただきたい。
自主的にものを考えたり文章を書く練習ができて、一生につきあってくれる読者ができて、主催者から感想がもらえて、志を同じくする素敵な仲間(通称“お茶代スト”)ができて、おまけにプロ並に原稿料までもらえちゃう!(100円だけど笑)
いいことづくしで夢みたいなサークル、お茶代はたのしいぞーーー!(❁ᴗ͈ˬᴗ͈⸝)っ🍵




✄–––––––以下–––––––✄


・はじめに脱輪(問題提起)

昔からずっと疑問なのが「俺がおまえを守るから」ってラブソングの歌詞。
ふつーに男尊女卑的だってのもあるんですけど、それ以上に「そんな守らんとあかんほど自分の彼女が何者かに狙われてる状況ありますぅ!?」ってことで。
「守る」がカジュアルな愛情表現として一般化してきた歴史に興味がある。というのも、今より遥かに男尊女卑的だっただろうJ-POP登場以前の流行音楽、フォークやニューミュージック、歌謡曲、演歌でさえも!の歌詞世界の中には、「守る」という言葉がほとんど見られない気がするからなんですよ。
代わって多く見られるのが「待つ女」のつらさや悲哀を描く歌詞。これは逆にJ-POPにはあまり見られない。
そこで雑な仮説を立てておくと、J-POPの登場によって、それまでの昭和歌謡的な「待つ女」の構図は「守る男」の構図へと変換され、男尊女卑的な視点にトーンポリシングが図られたのではないかと。
雑なままどんどんいきますが(笑)
J-POPの成功はおそらく、「守る男」主題の確立・普及を巡って、ヤンキーマンガやバトルマンガの隆盛と無関係じゃない気がする。
なぜなら、「守る男」を描くためには「守られる女」を、もっと言えば「守らなければならない危機的状況としての暴力の発生」が必要になるから。
暴力の気配が身近にあって、自分の恋人が日常的に戦い=バトルに巻き込まれる可能性があるなら、そりゃ守らなくちゃいけない(笑)
でも、ヤンキー漫画やバトル漫画で恋人が危険な目にあう理由って大体「あいつの女だから」なので、「いや守りたいんやったら別れてあげろよ·····」と思っちゃうんですが(笑)
同種のエンタメ作品には、多かれ少なかれこうしたマッチポンプ的な傾向が見られるような。
即ち、恋人になる→彼女が狙われる→俺がおまえを守るから→別れれば解決では?→別れる→やっぱり離れたくない!→再び狙われる→俺がおまえを以下略(笑)
これは、守る動機としての暴力の発生を無理に形作らなければならないために生じてくる矛盾なのかも。
それでいくと、『鬼滅の刃』の炭治郎はすごい。
突如現れた鬼に家族皆殺しにされ唯一生き残った妹は鬼化、いつ何時人を食い殺すか反対に鬼殺隊に処分されるかもわからない状況·····
そら守らないかんわ!(笑)
誰が見ても納得の動機づけ。プラス、恋人じゃなく兄妹という設定が「別れれば終わり」の矛盾を回避している。
逆に言うと、これぐらい危機的な状況じゃないと、「守る」なんて強い言葉は出てこないはずなんですよね·····
それがなぜかカジュアルに一般化してしまっている状況の“なぜ”について、みなさんと一緒に考えてみたいと思います☺️🙌


・A氏

❝なんでだろう……。
たとえば高度経済成長期なら、世間の荒波から彼女を経済的に守るとも言えたかもしれないけれど、むしろその時期にそんな歌詞が多く見られただろうか??
私も「なぜ守るなんだ?」と常に思っていたので脱輪さんの考察を座して待っています。。❞
→高度経済成長期と聞いて僕がパッと思い浮かぶのはクレイジーキャッツですが、イケイケドンドン&サラリーマン哀歌で、基本的には「男はこどもだから/こどもみたいに身勝手なあなたについていくわ(俺を許せ!)」な甘えのロマンス化を図る昭和歌謡路線、J-POP以前の男女観を引きずってる気がしますね。
❝ですよねえ。今から見るとむしろ当時のほうが女の人を守り得たのに、そうなってなくて、男は甘えたがっている。現代は男が女を守るということが概念的にも実際にもできなくなったがゆえに、そういう歌詞が乱発してるのかなーなんて思ったりして。❞


・B氏

❝考察でもなんでもないんですけど、わたしは「俺がお前を守るから」と見てまっさきにAIのSTORYの歌詞、「私が君を守るから」が浮かびました…!で、この歌詞は私は君の絶対的味方だみたいな心理的安全性の話だと思うんですけど、だから守るっていうのも争い的なものだけじゃなくて、核家族でつながりが希薄化して絶対的味方とか共同体が減っていくなかで味方感を出したい!みたいなことなのかな〜と思ったりしました
なんとなくアイの歌から感じただけですが……あと昔の守る系の話だとよく戦中の作品には守るために死にに行く描写があるなあと思ったりもしました。あれがどこまでほんとかはわからないけども❞
→おもしろい!
「敵から守る」ではなく「味方になる」。失われたイエ制度の紐帯を想像的に補完しているのでは?って話ですね。
もちろん僕も本当に“敵”がいるとは思っていませんが、じゃあイエ制度が強固に存続していた時代に、父が妻や子供を「守る」という発想が共有されていたのかが気になります。

・C氏

❝家庭における「父」の役割も否定され、家と職場を往復するだけの金稼ぎマシーンと化した男性の後ろめたさを感じます。
役割を探す過程において、複雑化した社会に耐えきれないからこそ、脱輪さんが仰るようなヤンキーマンガやバトルマンガの世界観という虚構をこしらえたのでしょうね。
要するに役割や敵が見えないのなら捏造すればいいと。
ある種の陰謀論。❞
→こちらはB氏のご意見の裏返しと言えそうで、戦後の高度経済成長期を経て、イエ制度や地域社会の絆が崩壊していった点に注目する見方ですね。



・D氏

❝都会のコンクリートジャングルで戦うソルジャーな我々にとって、絶対に裏切ることのない味方の存在が魅力的に感じるという事なのではないかな。
守る側と守られる側の2パターンではなく、お互い守り合うんだ。それがナウい俺たちのジャスティス。❞
→なるほど、大いに頷ける話ですね。そうすると、J-POPを含むポップカルチャーなりサブカルチャーの領域に「ウチらが普段生活している都市や都会は今やコンクリートジャングルであり意志的に戦わねば生き残れない戦場である」という世界観がいつごろ登場してきたのか?という点が問題になりそうですね。
これ、漠然と80年代後半〜90年代初頭ぐらいだろうと思ってて。「コンクリートジャングル」という単語や「戦場としての都市・都会」という世界観がヒット曲の歌詞の中に姿を現すのはたぶん90年代からで、尾崎豊と浜田省吾はその代表選手。70年代〜シティポップで確立された陽キャな都市像が突如陰キャに反転。
で、この流れは漫画家・岡崎京子のいわゆる“転向”とパラレルなように思える。80年代の記号的消費に淫する少年少女たちの姿を描いたあ・軽く享楽的な『東京ガールズブラボー』から、最大の問題作『pink』を挟み、「平坦な戦場で生きていくこと」をテーマにした90年代的渇きの極北『リバーズエッジ』へ。


・E氏

❝思いつくのは「戦わなければ生き残れない!」仮面ライダー龍騎のポップですね。昭和の採石場や河原から平成仮面ライダーはポストモダン建築が戦場になりました。空間的な変化はこの間90年〜00年かも。(画像省略)
龍騎の放送された2002年は小泉内閣の都市再生特別措置法により今も続く都市の再開発と高層化、空中を食いつぶす時代が始まりました。❞
→なるほど。「バトルフィールドとしての都市」の表象がポップカルチャーのなかにいかにして登場し、また定着してきたのかはおもしろいですね。



F氏

 ❝これ私も昔から疑問だったんですけど、個人的には「守る」=タナトス的欲望じゃないかな〜と思ってます(多くの場合無自覚かもしれない)
要するに、何でもいいのでなんかから恋人を「守って」「死ぬ」という……主眼はあくまで「死」のほうにあるんじゃないかと……❞
→なるほど、独ロマン派文学の主題“liebestod(リーベストート)”=“愛死”の精神ですね(笑)
「危険を伴う愛だから守りたい」ではなく「守ってる事実がある以上危険を伴う愛なのだ」という逆説を自らに納得させるために“敵”を捏造する必要があるんだと。
だから敵の顔は隠されなければならないわけですね。
 ❝死のエクスタシーさえ得られればなんでもいいわけです。笑❞



・G氏

 ❝脈々と受け継がれる敵のいない騎士道❞
→ウチらの国にはかつて武士道とゆーのがあったはずですけど、「俺がおまえを守るから」はたしかに騎士道ですねえ。中世ヨーロッパにおける封建制度って領主が領地とそれを守る小作人、城と姫、それらを守る騎士をぜえ〜んぶワンセットにして財産として所有することで囲い込むってな制度でして、一般的には騎士道って領主に囲われた騎士がけっして触れ合うことの叶わぬ姫に恋焦がれ、戦と恋愛詩を通してわが身を捧げる誠に禁欲的でプラトニックな愛の形態として見られてますが、実は裏で騎士と姫はガンガンやってたって話をどっかの文献で目にした記憶があるので、また探してみます(笑)



・H氏

❝守る対象が「お前の身の安全」に該当しない場合、その多くは「お前の笑顔」では…?(コソッ)❞
→なるほど!
その解釈でいくと、「俺がおまえを守るから」は同じくJ-POPの定型フレーズ「君の笑顔が見たいから」の言い換えに過ぎないと。前者がヤンキー、後者が文化系男子って感じですかね(笑)
では、いったいなにが「君の笑顔」を妨げる“敵”なのか?
ってな具合に、結局同じ問いに戻ってくる(𖦹_𖦹)
❝そうそう!さすが脱輪さん、明確に例えるなぁ😁
うーん昭和歌謡の「待ち続ける哀しみ」に相対する形で思考するなら「側に居る事」が笑顔を守る事に繋がるだろうし、現実的に考えるなら貧困も笑顔を奪う敵になり得るだろうし…でもパートナーを悲しませる事をする、という事が1番の敵な気がする😅
故に「お前が悲しむような事はしない!」という決意表明のような歌詞にキュンとなるのが現代人なのかもですね😌〈だから流行るわ多様されるわ…なのかも?


・おわりに脱輪(最後に残る問い)

日本のポップミュージックの歌詞とジェンダー観の変遷を巡っては、女性の社会進出が進んだバブル期にOLという新たに自立した経済主体から絶大な支持を集めた、J-POPのプロトタイプ=ニューミュージックの立役者でもあるユーミンこと松任谷由実『守ってあげたい』の大ヒットは外せないでしょうね。
女性から男性に向けて
「守ってあげたい あなたを苦しめるすべてのものから」
ですから、とんでもねえ母性ですよ(笑)
ところで、人々が浮かれ騒いでいたこの時代に、「あなたを苦しめるすべてのもの」として具体的に想定されていたものとはなんだったのでしょう?
女性たちは歌詞のどの部分に共感を寄せたのか?
J-POPまもるくん問題からは、一般に明るく楽しい表層の戯れと見られているJ-POPの深層=ダークサイドが覗いてくるような気がします。
ラカンで言う、恐怖の現実界が覗く象徴界の裂け目。
特にラブソングの歌詞には「この世は苦界である」という仏教的なニヒリズムが不可視の前提としてあるような(笑)
この世がそもそも苦界なら、そりゃいついかなる時も守ってあげる必要があるわけですよね。
生きてるだけで苦しいんだから。


が、喜ばしい変化もある。
近年、「俺がおまえを守る」だけではなく「あたしがあなたを守る」歌詞も少なからず登場してきており、AI『STORY』には「君がわたしを守る」他力本願スタイルさえ確認されることから、「守る」はそれなりに男女同権化・多様化していることが言えそう。
一方で、「守る」そのものの是非はやはり、問われる機会が少ないように思われる。
したがって最後に残るのは
「なぜだれも問わないのか?そこにはなにか巨大な抑圧が隠されているのではないだろうか?」
という問いだろう。


☆問いのまとめ

J-POPではよく“俺がおまえを守るから”という歌詞が歌われるが、
①いったいなにから・なぜ守る必要があるのか?
②また、このようなフレーズがJ-POPの歌詞の中に登場・定着したのはいつ頃で、
③どのような文化背景と関わり合っているのか?
④これらの問いが問われる機会が少ないのはなぜか?



✄–––––––以上–––––––✄

※ご意見をお寄せいただいた方々、ありがとうございました!🙏



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