見出し画像

ゴキゲンのタネを見落とさない

「今はいったい何月だ?私は今、何月を生きてるんだ?」が口癖になりつつある、NPO法人わがこと代表理事のおーみです。
もう6月なのに、4月に見た桜の写真をトップに持ってくるあたり、既にズレてます。

日頃から「余白」を意識するようにしている私。今、目の前にないものほど、人はよく口にする。私にとって「余白」とは永遠にそういう存在なのかも。

最近、友人のSNSにドキッとさせられる一言がありました。友人が息子さんと一緒に古民家の片付けをしていた時に、息子さんに言われた一言です。暑い中、重そうな木材を二人で運ぶ写真と一緒に添えられていたのは、こんな言葉。

「疲れてるからって不機嫌にならないの」

これ、息子さんが私に言ったんじゃないの?ってくらいドキッとしました。

私が疲れてる時って、きっと「余白」がなくなってる時のこと。
全部ぜーーーんぶ、まっくろに塗りつぶされたような状況。
そういう時って、確かに不機嫌になっちゃうな・・・。

不機嫌とは縁がなさそうな、淡路島「イングランドの丘」にいるカピバラさん

スケジュール的に体が身動き取れない時もそうだけど、気持ちに余白がない時も同じかな。こんな時は黄色信号です。
でもまだ黄色だから大丈夫。赤信号になる前に、なんとか余白をこしらえます。

最近の余白の作り方は、大好きな鈴木亮平さん♡の映画や舞台を見に行ったり、お天気の良い日にちょっと遠出をしてお買い物したり。途中でちょっとだけ寄り道したり。
そんな些細なことでゴキゲンになれるんだから、我ながら安上がりだなと思うわけです。

青い空、白い雲、緑の植物。赤いテント。最高の組み合わせ。

でも、まっくろに塗りつぶされてる時って、そんな些細なゴキゲンのタネも見えなくなっちゃう。これがまさに、余白ゼロの状況なんだろうな。
そう。本当に怖いのは、余白がゼロになることじゃなくて、日常のゴキゲンのタネが見えなくなっちゃうことなんだろうと思います。

先日たまたま、本当にたまたまフラッと入った写真展が、私好みでツボでした。
「隙ある風景」
日常の何気ないシーンばかりだけど、1枚1枚にタイトルがつけてある。
「写真で一言」みたいな大喜利の雰囲気も醸し出してて、面白かったっていうのもあるのですが、それ以上に、切り取られた日常の1枚1枚が、妙にリアルで、人間臭くて。ストーリーが感じられて。
なんだかわかりませんが、心も体も口元も、フッと緩むようなそんな作品の数々でした。

写真展の様子

ゴキゲンのタネ、見落とさないようにしなきゃね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?