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聴かせて!「Bettim Farm」のわがこと

2か月ぶりの「聴かせて!みんなのわがこと」、5回目はまんのう町羽間地区で農業法人として活動されている「Bettim Farm」さんにお邪魔しました。
羽間地区といえば県内では知られた「いちじく」の産地。まだ20代の若さで農業に取り組むみなさんの、いちじくへの想いを伺いました。

「聴かせて!みんなのわがこと」とは?
香川県内でとても素敵な活動をされている個人や団体にスポットライトを当て、「共感の輪が広がっていってほしい」という想いから、その活躍や想いなどの わがこと(我が事)をインタビュー形式でお届けします。

Vol.5
Bettim Farm

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野球少年、不思議なご縁で農業に出会う

-Bettim Farmさんといえばいちじくですよね。以前からフルーツサンドのお店で使われているのを見て、気になってました。

篠原さん:ありがとうございます!まんのう町羽間地区はいちじくの産地として有名なんですよ。
このあたりは土器川のそばにあって、土中に石が多く、水はけがいいんです。それがいちじくの生育条件にピッタリ合っているといわれています。
ぼくたちもこの土地で、600本のいちじくの木を育てています。

-農業のイメージからすると、みなさんお若くてビックリです。

篠原さん:ぼくが28歳、太田が27歳、あともうひとり正社員で高橋というのがいて、いま25歳ですね。会社がスタートして3年になります。

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太田さん(左)と代表の篠原さん

-もともとご実家が農家だったんですか?

篠原さん:いえ、ひいじいちゃんのころは農家でしたが、祖父や父の代は別の仕事をしていました。ぼくも出身は徳島で、まんのう町に来たのは中学生になったときからです。
就農するまでは中学・高校・大学・社会人とずっと野球漬けの毎日でした。中学時代は野球部の強い町外の中学校にわざわざ越境通学して、そこから高松商業へ、そして東京の大学へと、ずっと野球に明け暮れてましたね。だからまんのう町に住んでいても、地元には縁もゆかりもなかったんです。

-がっしりした筋肉質な体格は野球で培われたのですね。そこからなぜこのお仕事に?

篠原さん:社会人野球に入って2年ほど経って、そろそろ辞め時かなとか考えていたころにちょうどひいおじいちゃんが亡くなったんです。100歳でした。
お葬式には近所の人や親戚がたくさん集まってくれたんですが、そこに親戚の白川さんという人が来てたんです。その白川さんが、50年前に羽間地区で初めていちじくの栽培を始めた人でした。

羽間地区では、それまでは農家の軒先に自家消費する分くらいを植えていただけだったそうです。それが、50年ほど前に米の生産が増えすぎて減反政策が始まったとき、白川さんが「羽間のいちじくは美味しい。きっと売れる」と本格的に栽培を始めて、「はざまいちじく」という名前でブランド化したんです。

いちじくをケースに入れるときは、裂け目の形が同じものをまとめていくそうです

-はざまいちじくってもっと昔からだと思ってました。そうだったんですね。

篠原さん:ぼくも地元のことを全然知らなくて、いちじくのことも詳しく知らなかったので、それから白川さんにいろいろ教えてもらって、すごく面白いなと思ったんですね。自分の住んでいる町に全国に誇れるものがある、って嬉しかったんです。
それから「いちじくって稼げるんですか?」って軽いノリで白川さんに相談したら、「ワシやいちじく一筋で45年やってきて、子どもはいま警察署長や。そこまで育てたんぞ」って(笑)
そして「やるんやったら教えてやるから、やってみろ」って言ってくれたんです。

-不思議なご縁ですね。ひいおじいちゃんが繋いでくれたみたいな。

篠原さん:でもひいおじいちゃんはすごく頑固者だったんで、もし生きてたらきっとやらせてもらえなかったと思います。「農家なんてやめとけ」って(笑)

インタビューでは不在でしたが、トラクターに乗る高橋さん


農業に本気で向かい合うように

-太田さんがBettim Farmに入られたきっかけは。

太田さん:ぼくは篠原さんの高校の後輩で、本業は財務コンサルの会社をやっています。
Bettim Farmにはこの6月から入って、農業もやりながら中小企業の支援もしてます。以前は税理士法人で働いていたんです。

ーそれはまた、農業とは全然畑違いな感じですね。

太田さん:もともと中小企業の事業承継に興味があって、そういう意味では農家も同じなんですよね。担い手がなかなかいないというところを、IT化でサポートしたりとか、いろいろできるんじゃないかというのがあります。
これまで積み重ねてきた歴史を引き継いで磨いていくことが大事だと思うんです。

篠原さん:ぼくらのところにも「うちのほうはハッサクの産地で有名だったんやけど、引き継いでくれんか」みたいな話が来るんですよ。
ただ、いまは新しいブランドを作るよりも、いちじくの生産を引き継いで磨いていくというのにやりがいを感じますね。目新しいものではなく、歴史があるというところに惹かれてます。
いまのこの地域を見ていると、ぼくらが引き継いでいなかったらはざまいちじくはなくなっていたかもしれない。ぼくらがやることによってこの先100年続いていくなら、それが嬉しいです。

この日はオクラの出荷作業中。黙々と袋詰めする太田さん。

-いちじく以外にもいろいろ野菜も作っているんですよね。

篠原さん:そうです。でも、最初からそうだったわけではないんです。
いちじくのシーズンって8月~10月までの3ヶ月しかないですし、そもそもいちじくって苗木を植えてから最初の収穫まで3年かかるんですよ。
だから3年前、2019年に会社を立ち上げたときはもちろんいちじくのこともやるけど、すぐに収益に繋がらないので代理店の仕事もしたり、アパレルもやったり、って感じでした。

ところが、年が明けて2020年、緊急事態宣言が出たころに会社の仕事が全部なくなったんです。みんなで脱サラして始めた会社だったので「どうしよう、バイトでもするしかないか」って思ってました。
でもそのとき、やっぱりみんなで何かやりたいってなって。じゃあもう畑やろうか、となったんです。

-それもまた運命ですね・・・

篠原さん:そうなんです。改めて本気で農業に取り組むことになって、でも最初は何も分からないから近所の農家さんにどんどん聞きまくって、ひたすら頑張って。

そうしたら、地域の人たちからも認められるようになったんですね。
白川さんからも「お前ら農業頑張っとるな。うちの畑2つ、お前らに任せるわ」と言ってもらって、そのおかげで3年待たずにいちじくを出荷できることになったんです。

ー頑張ったからこそ、ですね。

篠原さん:その後も、なにか分からないことがあればすぐに白川さんや近所の人に聞きにいってます。白川さんは農業指導員の人たちが学びに来るくらいすごい人なんですが、そんな人がすぐ近くにいてくださって、その50年もののノウハウを受け継ぎながらやってるって感じですね。

それもまた、ひいじいちゃんがここにいて、地域の人たちと繋がっていたからというのは感じます。

取材中、近所の人がスイカを差し入れに。田舎あるあるな風景です。


課題はいっぱいあるけれど

-農業って大変なイメージがあります。天候リスクもそうですし、豊作すぎても値崩れするし。

篠原さん:もちろん重労働というのもありますし、農業はスケジュールどおりにはいかないので、どうしても休みが取りづらいというのはありますね。
ぼくらも収入はまだまだ不安定で、なんとかギリギリ生活できるくらいでしかない。収入をもっと上げていくための仕組みがまだ作れていなくて、そこは課題です。
1年目はみんなで農業楽しくやろうぜ、みたいな感じで、農業する人がもっと増えたらいいなって単純に考えてたのが、いまでは就農希望の人がきても「もう1回考えてみたら」って(笑)

ー経験や知識もとても重要ですよね。

篠原さん:たとえば秋の間いちじくに力を入れすぎてしまうと、その時期に冬野菜の植え付けができなくなります。そうすると冬の間の売り上げがなくなってしまうので、計画的に進めていく必要があります。
そうした、準備だったり収穫するまでの段取りはノウハウが必要で、経験がものを言う部分は大きいです。
うちとしても、そうした人材を時間をかけて育てていく必要がありますね。

ー生産だけでなく、流通や販売も意識していますよね。

篠原さん:生産者が美味しいと思うものを消費者も求めているはずなんですが、流通を考えるとそう単純ではないんですよね。
羽間のいちじくは「美味しい」から売れるけど、他の野菜はそれだけではダメで、JAや流通が求める規格に合っていないものはどんなに美味しくても売れないんです。出荷できないものも結構あって、それだと利益がなかなか上げられない。
そこをどんな仕組みにすればいいのか、なかなか悩ましいところですね。

いちじくの花は実の中にできます。花が咲かないのに実がなるから「無花果」なんだとか。
華やかなお仕事ばかりにとらわれず、着実に成果をあげるBettim Farmさんのよう。

-これからどんな未来を目指しますか。

篠原さん:いまはまず、いちじくの生産をもっと広げていきたいと思ってます。しっかり地力を付けたいです。
もっとたくさん収穫できるようになったら、シーズンオフはジャムとか加工品もやっていきたいですね。
そうして、地域の人たちが歴史を積み重ねてきた羽間いちじくを受け継いで、さらに全国に広めていきたいです。

いまは農業って根性、体力勝負なところがあるけど、デザインとか経営とかまだまだ開拓の余地があると思ってますし、そういうスキルに特化した人材がいてもいい。女の子ができないなんてこともない。収穫するだけが農業じゃないっていうふうになっていけばいいなと思います。
はざまいちじくを100年後に残すこと。これはずっとぶれずに続けていきたいですね。
まずは自分たちが理念を持って、方向性を作って、そこに共感する人たちが集まってくれるといいなと思っています。


取材を終えて

いちじくという収益が全く安定しない果樹をやっていくのは相当の覚悟がいること。
特にいちじくは後継者が少なく、彼らがいなければ、はざまいちじくは10年後には本当になかったかもしれない。

Bettim Farmさんを応援したくなるのは、流行りや「見せ方」の方に注力することなく、農業の本質をしっかり学び、作ることにしっかりと目が向いているからこそ。

そして何より、はざまの地域として「100年後もいちじくを残したい」というブレない思いに強く共感します。

わがことスタッフと一緒に
農業の未来を担う若者たちに乞うご期待!

Bettim Farm | 株式会社Bettim
Web:https://www.bettim.jp/
https://www.instagram.com/bettim.farm/


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