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聴かせて!「福島の子どもたち香川へおいでプロジェクト」のわがこと

新年度のスタートですね。今回の「聴かせて!みんなのわがこと」は、
高松市西内町の事務所を拠点に活動されている「福島の子どもたち香川へおいでプロジェクト」さんにお邪魔してきました。

2011年3月11日14時46分頃に東日本大震災発生、東京電力福島第一原子力発電所の事故から12年。あの時、みなさんはニュースを見てどのように感じていたでしょうか? 「福島のことが他人事ではなくなった…」という人たちの輪が広がる活動が香川にもあるんです。

「聴かせて!みんなのわがこと」とは?
香川県内でとても素敵な活動をされている個人や団体にスポットライトを当て、「共感の輪が広がっていってほしい」という想いから、その活躍や想いなどの わがこと(我が事)をインタビュー形式でお届けします。

Vol.8
福島の子どもたち香川へおいでプロジェクト


子どもらしい時間を

-現在の活動内容について教えてください

渡辺さん:放射能汚染の不安の中で暮らす福島やその近県の子どもたちに、自然の中でのびのびと子どもらしい時間を過ごしてもらおうと、これまで長期休暇中の13回の保養プログラム、8回の ホームステイ、年間を通じての「おいでハウス」(生活用品のそろった借り上げ民間住宅)での受け入れなどで、のべ約900人の福島の子どもたちとそのご家族を香川に迎えました。

さらには 移住してきたご家族の子育てや交流支援、福島の現状を知るための講演会・上映会・写真展の開催や、さまざまなイベントでの活動報告パネル展示も行っています。

―活動を始めてどのくらいになるのでしょうか

渡辺さん:2011年3月11日に東日本大震災、東京電力福島第一原子力発電所の事故が発生して、その後2011年7月に活動を開始し、2012年11月にNPO法人化しました。

当時を思い出しながら語ってくださった 事務局の渡辺さと子さん

-はじめたきっかけは何でしょうか

渡辺さん:チェルノブイリの原発事故(1986年)の時に、三女が赤ちゃんだったんですね。私はそのころから脱原発の活動を続けていたけど、充分な活動はできていなかったことを痛感させられました。私たちの力が足りなくて、福島のことが起きてしまったんだ…と。福島の人たち、特に子どもたちに申し訳ない、何とかしなきゃという気持ちで始めました。福島の子どもたちに何の罪もないし、わるくないのにって。

-「子どもたちに何の罪もない」その通りですよね

渡辺さん:そうなんです。それなのに原発事故の影響で、福島の子どもたちは外で遊べないんですよね。だから、参加費が無料でなんとか子どもたちを香川に招けないか、と考えました。

保養プログラムの実現

-子どもたちを香川に招くために、まず何から始めましたか

渡辺さん:2011年7月初めに福島市渡利に住む中手さんを招いて講演会を開き、参加者に呼びかけるなど色々なルートでボランティアや支援を募りました。当初は、助成金もゼロで活動資金もゼロ。
でも、募金活動で何とか参加費無料の保養プログラムを実現しました。バス1台を借り上げ、子ども29人と保護者 10人を迎えて、2011年8月8日から11泊12日の保養はぶっつけ本番!

夏は五色台少年自然センター、同年冬にはみろく自然公園で行いました。
ボランティアの募集をしたら、子どもキャンプの経験がある人が多かったのですが、そもそもこのプロジェクトが子どもたちへの企画であったから、みなさんの協力が得られたんだと思います。

ボランティアさんはみなさん、ご自分の得意を生かしあって活動していました。中にはバス型の募金箱を作ってくださる方もいて、このプロジェクトを通じで出会った人が素晴らしく、「人材の宝庫」だな、と思っています。

ボランティアさんが作ったバス型募金箱

-保養に参加したみなさんはどんな様子でしたか

渡辺さん:五色台で開催した夏保養に参加した人たちが、みろくの冬保養で再会して抱き合って泣いている姿や、お母さんが泥遊びをしている子どもたちの姿を見て涙を流している姿を見ました。

-子どもにとっても大人にとっても大切な場所ですね

渡辺さん:以前、小学5年生で参加した子が、高校生になってヤングボランティアとして参加してくれたことがあって。大学生になってからも来てくれました。参加者として来ていたから、子どもたちの気持ちがよくわかるんですよ。
また、高校生の時からボランティアとして参加してくれ、大学生、社会人になっても活動に参加し、中間支援の活動にも関わっているという子もいます。いい人材が育ったなって、うれしくなりました。
12年活動をやっていると、そういう「びっくり!うれしい!」っていうことがあります。この活動に参加したことが、彼女の将来にプラスになったのかなと思うと感慨深いですね。

その他にも、20歳になって就職して、香川に来てくれた男の子もいました。彼らにとって、香川が懐かしい場所となっていることをとてもうれしく感じます。

うどん打ちに挑戦!

他人ごとではない

-「おいでハウス」のきっかけも聞かせてください

渡辺さん:年間を通じてご家族で滞在できる「おいでハウス」(生活用品のそろった民間住宅) を設けたきっかけは、2011年夏の初めての保養活動の終了間近に、参加者の3人のお母さんから「もう少しこちらに滞在できないだろうか」というご相談を受けたことでした。

大急ぎで探したところ、無料でお借りできる家が庵治に見つかり、そこが「おいでハウス」 第1号となりました。その後、牟礼、宮脇、伏石ハウスと一番多いときは4軒の「おいでハ ウス」をお借りして、これまでにのべ123家族377人を迎えてきました(現在は鬼無ハウス 1軒)。

財政的にも大変だったけど、ボランティアさんの協力もあって、2011年冬には67名が福島から参加しました。中には、滞在をきっかけに香川に避難・移住してこられたご家族、移住を決めて「おいでハウス」に滞在して家探しをしたご家族などもいます。

鬼無おいでハウス

-お母さんたちの思いが「おいでハウス」の提供者とつながったのですね

渡辺さん:そうですね。以前、伏石ハウスの提供者がNPO法人福島の子どもたち香川へおいでプロジェクトの10周年記念誌にこんな思いを寄せてくださいました。

私は、2011年3月の東北沖を震源とする地震、それに続く津波のニュース映像が今も鮮明に記憶に残っています。人々のありふれた日常の生活が一瞬のうちになくなる情景に心が痛みました。 私は、NPO法人福島の子どもたち香川へおいでプロジェクトの活動を知る機会があり、住宅の提供をすることとなりました。古くなった住宅ですので満足してもらえるかなと不安がありました。移り住んだ何人かの利用者の方とお話をする機会がありました。小さな子どもさんを連れ新たな出発を目指す方、仕事を探す方など様々な事情を抱えながらも皆さんの前向きな姿勢や思いに触れることで一抹の不安も消え、皆さんから元気をもらえました。その後、東北の地域の復旧・復興のニュースや写真を見るたびに、安堵の気持ちと共に、触れ合った人たちを含め被災地域の皆さまの平穏な日常生活の取戻しを願わずにはいられません。               

(伏石おいでハウス提供者)

渡辺さん:このように「福島の子どもたちのため」というだけじゃなく、 香川の人たちが福島の人たちの思いに触れることで、他人ごとではないと関心を持ってもらいたいと思っています。福島の人たちかわいそうね、で済ませちゃいけない。

-自分ごととしてですよね

渡辺さん:ボランティアさんの中には「南海トラフ巨大地震が起きたら原発事故は自分たちにもふりかかってくるかもしれない、と思うと10年で終わりではなく、まだまだという感じがあります」と話してくれる人もいて、自分たちのこととして考えてもらっているなと感じています。

情報発信を続ける

-その他にも、講演会やイベントなども開催されているのですね

渡辺さん:広報活動として、いろんな切り口での情報発信が大きな柱になっています。3月初旬には毎年、瓦町FLAG8階のギャラリーで写真展や講演会を開催するのと合わせて、同フロアの高松市民活動センターで1カ月間、活動風景写真などの壁面展示をしています。今年は福島県富岡町の写真展と、当時中学生だった女性にお話をしていただきました。

継続開催している写真展

渡辺さん:昨年は初めて日本画展にも取り組みました。震災後、被ばくした牛を「殺処分せよ」という国の命令を拒否して、事故の生き証人として牛を飼い続けている吉沢正巳さんの「希望の牧場」の牛たちを描いた戸田みどりさんの日本画です。その他にも一番来場者数が多かったのは、被災地に残された犬猫たちの写真展でした。残されたペットたちの写真を涙ぐみながら見ている来場者もいましたね。

お子さん連れの家族、若い方も含め幅広い年齢層の方が熱心に見て下さったり、ボランティア参加を申し出て下さったりする方もいて、開催した甲斐があったと感じています。

2022年3月に開催した日本画展

―知ることが大切ですよね

渡辺さん:コロナの影響下で保養の再開ができるかどうか目途がたっていないんですが、保養活動をしていなくても会費を送ってくださる方もいるので、広報活動はしっかりやっていこうと思っています。

ただ、広報しているつもりでも、来場者が少ないことや、写真展を手伝ってもらえる人が少ないことは悩みでもあります。12年の月日が経って、どうしても関心が薄れてきている感じがしますね。

―他県でもこのような活動はあるのですか

渡辺さん:あるけど、だんだん少なくなってきましたね。高知県にもありましたが、5,6年前にやめたと聞きました。四国以外でも活動をやめたところが結構あって、おそらく資金面や活動面、時間面、年齢などで活動する人がいなくなっているのが現状でしょうね。だからこそ、ここでもう少し踏ん張らなきゃいけないと思っています

―もっと若い人たちにも来てほしいですね

渡辺さん:そうなんです。
とはいえ、ボランティアをするには仕事が忙しく時間が無いのが若い人。
そして、そんなことよくやっているね、といわれるけど楽しい!と思えるような人でなければ、使命感だけではなかなかやってみようとは思えないんですよね。

「だれかのために」という喜びがあれば、もっとみんなに余裕があれば…と思います。中間支援のような後押しがあれば、そういうのをやってみようかという人も出てくるかもしれないですよね。

ヤングボランティアと遊ぶ子どもたち 楽しそう!

風化させないために

-保養の再開を待っている子たちもいるでしょうね

渡辺さん:私たちが子どもたちを香川に迎えることができるのは、1年間のうちわずかな期間、わずかな人数でしかありません。それでも活動を続けるのは、福島の子どもたちに出会うことで、 福島の現状を他人ごとと思わない人たちが、香川の地で増えていくことが大切だと考えているからです。

また、子どもたちが成長していく過程で、自分たちのことを大切に思っている大人が周りにいるということを知ることもとても重要だと考えています。福島の子どもや親にはいろんな課題がある。福島だけじゃなくて、どこで暮らしていても育って行く上でさまざまな課題がありますよね。そんな中で、大人が子どもを「あなたのことをちゃんと見ているよ」というメッセージを子どもたちに送りたいんです。

そして、この社会の中には多くの矛盾や問題があるけれど、色々な大人が色々な思いをもって懸命に生き、力を合わせて活動しているということを子どもたちが感じ取ることは、とても大切なことだと考えています。

保養の再開がまちどおしい

-これからどんな活動をしていきたいですか

渡辺さん:福島の子どもたちのため、というだけじゃなく、 香川の人たちに自分のこととして考えてもらいたい …そのために福島のことを知る講演会や上映会、 写真展などにも取り組んできました。香川の中で風化させないために、まずはこのような広報活動を続けていくこと、そしてコロナが収束に向かうであろうこれからは、できれば保養も再開できたらいいなと考えています。活動を続ける意味は大きいと思います。大変なことをよくやるねえ、と言われるけれど、心やさしい人たちが関わってくれる楽しい活動なので続けられるんですよ。


取材を終えて

香川から遠く離れた福島での、12年前のできごと。そのできごとをその時も今も、渡辺さんがこんなにも自分ごととして捉えることができるのはなぜなんだろう?と思ってお話をうかがっていました。

被災された方々の福島での大変な思いや復興に向けてのお話などはほとんどなく、この活動を通して渡辺さんが出会った「人」の話がほとんどでした。福島の子どもたちの健全な成長を心から願っていること、そして、活動を通じて出会った福島の人たちやボランティアの方々の笑顔を見たいという気持ち…。

つまり、「人の幸せを願う気持ち」が、この活動に繋がっているんだなと感じました。

穏やかな口調とは裏腹に、ひしひしと感じる渡辺さんの壮大なパワー。まだまだこれから。コロナ禍で休止していた活動も再開できるようになることを願っています!


わがことスタッフと一緒に

NPO法人福島の子どもたち香川へおいでプロジェクト
Web:http://fukushima-kagawa.com/
Facebook:福島の子どもたち香川へおいでプロジェクト

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