見出し画像

聴かせて!「讃岐GameN」のわがこと

今回お伺いしたのは讃岐GameN代表の渡辺さん。名前のとおり、県内でゲーム制作を中心とした、ゲームにまつわるさまざまな普及活動をされている団体さんです。
ゲームと地域、ゲームと仲間づくり。なんとなく、あまり繫がりのなさそうなイメージ。ところが、それがすっかり覆るようなお話を伺ってきました。

「聴かせて!みんなのわがこと」とは?
香川県内でとても素敵な活動をされている個人や団体にスポットライトを当て、「共感の輪が広がっていってほしい」という想いから、その活躍や想いなどの わがこと(我が事)をインタビュー形式でお届けします。

Vol.14
讃岐GameN

香川でしかできないゲーム体験を


—讃岐GameNさんの活動について教えてください

渡辺さん:
2017年からスタートして、いま8年目です。
県内でゲーム制作をしている学生・社会人で、勉強会や交流会を開催しながらゆるく集まっています。
また、市内中心部の商店街と連携して、ゲームのお祭り「SANUKI X GAME」を主催しています。

―活動を始めたきっかけは

渡辺さん:
少年時代はゲームが大好きで、いつかゲームクリエイターになりたいと思っていました。でも、多くの家庭と同じで両親の理解を得られなくて、いつしかその夢に蓋をしていたんです。
それが、医学部6年生で国家試験合格の見通しが立った時、ふとゲームクリエイターへの思いがよみがえってきまして。そうなるといても立ってもいられず、大学卒業を目の前にしてプログラミングスクールに通い始め、自分でもゲームを作るようになりました。
そして、医師として地元の高松に戻ってきた時に讃岐GameNを立ち上げたんです。

―医師になる直前でゲームの勉強を1から始めるなんて、すごい行動力ですね

渡辺さん:やりたいことをやるというのが大事だと思っているので。
実は、もうひとつ「燈屋」というゲストハウスも同じ頃に始めています。

—ゲストハウスもされているんですね!医師とゲームとゲストハウス…3つ同時って大変じゃなかったですか?

渡辺さん:やっぱり大変でしたね。でもやっぱり、やりたいことをやらないで後悔したくなかったんです。
ぼくの好きな言葉で大学の先輩が言ってた「無計画通り」というのがあるんですが、確かに無計画なんだけどそれがいい感じだなあ、と(笑)

讃岐GameN代表の渡辺さん。
今回はIT系ということで(?)zoomでのインタビューでした。

—香川でゲーム制作をしている人ってどのくらいいるんでしょうか

渡辺さん:皆さんが思っているよりは多いと思います。
実はゲーム会社が1社、香川にあるんですよ。これはすごいことで、そもそもゲーム会社がない地方の方が多いと思います。
また、ゲーム専門学校だけでなく、香川には高専も商業高校も工学部もあるので、ゲーム制作をしている人は結構いると思います。

ただ、それは今だから言えることで、僕が香川に帰ってきた2017年時点ではそういう人たちと出会えるコミュニティはありませんでしたし、僕自身技術者でもありませんでしたから、県内には何のツテもコネもありませんでした。
うちみたいな団体も、知っている限りではほかにないと思います。

―そんななかでゲームのコミュニティを立ち上げたのですね

渡辺さん: ゲームもひとりで作るよりみんなで作った方が楽しいし、クリエイター同士で情報交換ができればいいなというので始めたんですが、やっていくうちに「自分たちだから創れる、自分たちにしか創れない、そんな新しい面白さってなんだろう」ということを考えるようになりました。

「情報交換したい、仲間と制作したい」というだけなら、正直ネットで見つけた方が早くて便利で、実際、だいたいのクリエイターさんはすでにオンラインコミュニティに属しています。だから、香川という土地に”わざわざ縛られた”讃岐GameNには、なかなか価値を感じてもらえませんでした。
けど、やっぱりクリエイターさんたちとやるなら「面白い」って思ってもらいたい。お金がなくても機会がなくても、そのど真ん中には向き合わざるを得ませんでしたね。

ヒントになったのは瀬戸芸でした。場所と共働することで成立する面白さがあることに気づいて、「ああ、土地に紐付く讃岐GameNが目指すものづくりはこっちだ」ってハッキリ思いました。
それまでは、いわゆるポケモンとかスマブラみたいな、モニターの中で完結するゲームを作ってたんですよ。でも、そういうゲームって香川でつくらなくても良いし、香川で遊ばなくてもいいじゃないですか?

その全く逆で、香川でしか創れないし、香川でしか遊べない、「面白い」を創ろう、と。
香川でしかできない経験がある、と体感したことで、ここじゃないとできないゲーム体験をつくることにチャレンジしよう、そう思うようになりましたね。
「SANUKI X GAME」は、それをカタチにできたイベントだったと思います。

勉強会の様子。
若者を中心に幅広い年代が集まります。


ゲームだからこそ、子どもや若者が祭りの主役に


—「SANUKI X GAME」は、どんなイベントでしょうか

渡辺さん:ゲームファンだけがゲームのためだけにやるんじゃなくて、この街の人がこの街の未来のためにやる行事を育てたい、という想いを込めた「お祭り」です。
回を追うごとに参加者が増えてきて、昨年の第3回では約100人のゲームクリエイターが約40のゲームを出展してくれています。ゲームソフトだけでなく、ドローンを使った迷路やボードゲーム、すごろく、モルックなんかもあります。

—ゲームがお祭りになるなんて、すごく面白いですね

渡辺さん:「街のみんなのためのお祭り」なので、出前授業に行っている小学校の子どもたちと一緒に作ったゲームを展示したり、市場の人に生きた魚を持ってきてもらって釣り堀をしたり、学生さんが子どもたち向けに餅投げをしたり。
ゲーム依存症についてのトークイベントや、現役ゲームクリエイターによる作品アドバイスを受けられるブースもあります。

また、ゲーム業界で活躍する著名人だけでなく、香川の卒業生たちにスポットライトをあてたトークライブを開催したり、イベント会場となるアーケード街の店主さんたちにもスポンサーになっていただいたりと、これだけ多種多様な人たちに支えてもらっているゲームイベントもなかなかないと思いますね。

—なぜゲームで「お祭り」をしようと?

渡辺さん:先ほどお話しした、「香川でしか創れない面白さ」を考えていった結果ですね。

いわゆる、ゲーム関係者・ゲームファンだけを対象にした”イベント”なら、すでに日本中にあるわけです。同じコンセプトのものが香川にあっても、ぼくが参加者ならより規模の大きい都会の”イベント”に参加します。
だから、違うコンセプトのものにしたいと思って、いわゆるゲームクリエイターだけが創るものでない、ゲームファンだけを対象としない、サンメッセみたいな”イベント会場”でもない…と考えていったら、自然と街中で皆でやるゲームを「テーマ」にしたもの…それって「お祭り」だよね、ってことになりました。

それと、従来のお祭りって「年配者からやり方・作法を継承する」しかないわけで、それだと祭りのメインはある程度年齢と経験を積んだ人たちになりますよね。主役になるまでに下積みが必要なんです。
それがゲームというコンテンツなら、小学生でも作り手・担い手になれる。世代を超えて共通体験となりうるゲームだからこそ、子どもや若者が祭りの主役になることができるんですね。そこが面白いと思うんです。

「SANUKI X GAME」の様子。
アーケード街にこたつのある4畳半の空間が出現。

—イベント会場に畳を敷いてこたつを置いているのが面白いですね

渡辺さん:道行く人に「なんか面白そうなことやってるな」と思ってもらいたくて(笑) でもなんかいいですよね。
こういうことって人が多い都会だとやりにくいんじゃないかと思うんです。逆に高松だからアーケード街でこんなことができてしまう。これこそが高松でゲームイベントをやる意味だと思います。
そして、特に子どもや若者に「香川でもこんな面白いことができるんだ」と思ってもらえたら嬉しいですね。

―若者への思いが「SANUKI X GAME」には詰まっているんですね

渡辺さん:以前ゲームカンファレンスで東京に行った時に、地方で同じくゲームコミュニティを作ろうとしている若者に出会ったんですが、その人が真顔で「地元に、頑張ってる人なんていないじゃないですか」って話していたのが心に残っているんです。
そういえば自分も高校生の頃は「香川に仕事はない」って考えていたな、って。

そこから、自分の生まれ育った場所をネガティブにしか捉えられないのって幸せじゃないな、なんとかしたいな、という思いが生まれてきました。
地元の意欲のある若者に「香川もやるな、頑張ってるな」って思ってもらいたい。じゃあどうすればいい?
そうやって地方ゲームコミュニティの役割や都心部との差別化について考え続けたのが、いまの讃岐GameNに、そしてさらに「SANUKI X GAME」につながっていますね。

『どのような境遇でも人は創る力に満ち、夢は叶えられる』
そんな社会を作るのが、讃岐GameNのテーマなんです。

SANUKI X GAMEの案内チラシ
ゲームのイベントながら、地元の多様な企業・店舗がスポンサーに


高松だから「SANUKI X GAME」も実現できた


―渡辺さんの本業はお医者さんと聞きましたが、ゲームとなにか繫がりはあるんでしょうか

渡辺さん:今でこそ、病院とアプリ作りをさせてもらったり、ゲームについて保護者とゲームクリエイターで意見交換する場を作っていますが、最初は本業とは別のものとしてスタートしたんです。

大学は岡山で、工学部でした。その頃は特になにかをしたいという夢もなかったですね。
21歳の時に初めて海外に行き、それからインドやカンボジア、タイなどを回りました。そうした途上国で、日本なら輸血で助かるような命が助からないのを見ているうちに「命を救う仕事がしたい」と、25歳にして大分大学の医学部に入り直しました。

—25歳からってすごいですね、それだけ人生の転機になるような出来事だったんでしょうね

渡辺さん:そうですね。それからいろいろあって、いまは精神科の医師をやっています。
これもきっかけがあって、医学部在学中に同級生の実家によく遊びに行ってたんですが、その家が専門里親といって、虐待を受けた子どもや非行傾向を持つ子どもを預かっていたんです。

そうした子どもを見ていて感じたのが「生きたくないけど生き続けている苦しさ」でした。
「生きたいけど生きられない」途上国の子どもたちはもちろん大きな問題だけど、ぼくにとっては「生きたくない」という子どもたちのほうが、さらに切実な問題だなと感じたんです。

だから「どう生きるか、どう幸せに暮らすか」ということが、いまの自分のテーマになっています。

―ゲストハウスもお医者さんとは繫がらなそうに思えますが

渡辺さん: こちらも実は繋がっているんです。
医者になった頃、地域に出かけていって医療や健康をテーマに座談会をやってたんですが、そこで気がついたのが「みんなが来てくれるわけではない、むしろ医者という肩書きをまとうことで絶対に会えない人たちがいる」ということでした。
医者として地域に出ても、結局病院の領域が外に広がっているだけで、医療や健康に興味のない人には届かないのではないか。じゃあどうするか、と考えました。

その頃出会った言葉に「思ったようにうまくいかない状況を変えたければ、今までのやり方を変えなければいけない」というのがあって、なるほど、それはそうだと素直に感動したんです。
それで、医療や健康というものを表向きに出さない「燈屋」という実験場をつくりました。

燈屋でのひとこま。
讃岐GameNの活動ともコラボしているそう。

—なるほど、結果を変えるための実験場ということですね

「燈屋」は、ゲストハウスと名乗っていますが、実態は「たまり場」というか「大学のサークルの部室」みたいな感じです。特に強い目的意識があるわけではないけど、いつも誰かがいて、何でもないおしゃべりができて、そのなかでいろんな情報交換ができて、さまざまな価値観に触れることができる。そんな空間の再現なんですね。

「街ってテーマと肩書きばかりだな」と感じたから「テーマも肩書きもない飲み会」をやったりしているうちに、たまたま店の前を通りかかってふらっと入ってきたり、人づてに聞いたりして、うちを面白そうと感じてくれる人が集まってくれました。

そんなことを何年も続けているうちに、「燈屋を面白がる人、居心地がいい人」という新しい人間関係のハブに「燈屋」はなっていったんです。
そしてそんな人たちが、「SANUKI X GAME」の運営メンバーにもなってくれています。

讃岐GameNのクリエイターさんたちがコンテンツ、いわゆるお祭りの中身を創って、燈屋のメンバーが運営とか広報とかお祭りの外を固めるといった感じで、手分けして運営しています。
今まで別々の活動だったものが、街のお祭りのために繋がったのは嬉しかったですね。

—そこが繋がったんですね!とはいえ、「SANUKI X GAME」の運営は大変だったのでは

渡辺さん:ものすごく大変でした(笑)
でも「高松で面白いことしたいね」というみんなの思いがあったし、「燈屋」のメンバーでなにかやりたいというのも後押ししてくれたように思います。

社会って、なんとなく川の流れのようなイメージがぼくにはあって、必要とされるところに水が流れていくんだと思うんです。
「燈屋」も、「あえて街の中で肩書きもテーマも求めない場所」を実験的に掘ったら、幸い水が流れてきてくれて、5年かけてお祭りを運ぶぐらいの流れが生まれました。

こういうイメージを持ってしみじみ思うのですが、燈屋みたいな小さな穴を掘るだけで、こんなに水が流れ込んでくる高松という街自体が本当に豊かな川だと思うんですね。
高松だから「燈屋」が実現できたし、だからこそ「SANUKI X GAME」も実現できたんだと思います。

燈屋で「SANUKI X GAME」の作戦会議中。
「プレイ、ミライ」のキャッチコピー通り、みんなで未来を作り出しています。


若者が帰って来れる場所とお祭りを


—これからの展望を教えてください

渡辺さん:やっぱり讃岐GameNが掲げる『どのような境遇でも人は創る力に満ち、夢は叶えられる』社会を作る、ということは常に意識していますし、そこにちゃんと近づいていくための活動をしていきたいと思っています。

当面の目標としては、「SANUKI X GAME」を地域のお祭りとしてしっかり根付かせたいです。そのために地域の子どもたちや若者と継続的な関係性を作れたらと思っています。
子どもたちやその親も巻き込んで人のつながりを作り、街のインフラになるようなところまで成長させていきたいですね。

あと、病院のなかでのゲーム開発というのも考えています。ゲーミフィケーションといって、医師や患者さんが持っている困りごとをゲームという手段で解決することを考えてまして、まずはそういう下地を作れたらと思ってます。

—本業とゲストハウスとゲームの3つが、お互いに繋がってきていますね

渡辺さん:医療関係者が燈屋の飲み会に来て、燈屋の常連さんがゲーム制作に乗り出し、ゲームクリエイターが病院に入っていってゲーム制作をする。そうしたいろんな活動が、年に一度のお祭りという形で繋がる。
全部が繋がるように考え続けてきたことが、形になってきているなと思います。

—そこに若い人たちももっと関わってもらえるといいですね

渡辺さん:ありがたいことに、讃岐GameNには進学などで香川県を離れた若者も多くメンバーとして参加していて、時々連絡が来たり、相談を受けたりしています。
そうした関係性がずっと続いているのは、とても大事だなと思っています。

地元を離れて時間がたつと、それまで地元で紡がれていた関係性がなんとなく疎遠になり、途切れてしまうことがありますよね。それってすごく残念だなと思うし、しんどくなったときに拠り所が多いに越したことはない。だから、ここから旅立つ全ての若者に、いつでも帰って来れると思ってもらえる地元コミュニティでありたいと思いますね。

―若い人たちが帰って来れる場所、確かに大事なことですね

渡辺さん:讃岐GameNでは大学のサークルみたいに、4月に入ってきた新メンバーを新歓で歓迎して、3月には卒業するメンバーのために追いコンをやるんです。

ぼくは、若い人が県外へ出て行くというのは決して悪いことでなくて、それは健全な好奇心のあらわれだと思うから、一度はしっかり外の世界を見てきてほしいと考えてます。
そして、いつかまた香川に帰ってきてくれたときに、実家のように「お帰り」って迎えたい。そのためには、追いコンでちゃんと「行ってらっしゃい」って言っておかないと、って思ってるんです。
いつの間にかいなくなってるなんて、家じゃないですから。

地域から巣立って行った若者が帰ってこれる場所として讃岐GameNや燈屋を続けていきたいし、帰ってきたくなるお祭りとして「SANUKI X GAME」を続けていきたいですね。


取材を終えて

さぬきげーめん…ゲームの団体?ゲームの団体って、ゲーム好きな人たちが集まって、それぞれの画面に向かって黙々とゲームしてるってこと?
初めは何をしている団体なのか、まったく見当がつきませんでした。さらに、代表者は医師で、ゲストハウスも運営している…と知り、頭が混乱。

しかし、渡辺さんのお話を伺うと、これが全て繋がりました。それも、定規で線を引いたように3つの円が繋がる、というよりは、3つの円が重なり合って、ふくらんで、ふんわりと一つになった、という感じでした。
好きなことに蓋をしてしまった少年の想いが、讃岐GameNという形で高松に根付くことになるとは。

渡辺さんのお話は、聞いていてずっとワクワクが止まりませんでした。きっと、讃岐GameNも新しいワクワクを生み出してくれるんだろうなと思います。これからの活動も応援しています!

スタッフと一緒に記念写真。 1時間半があっという間の、密度の濃いお話でした。
渡辺さん、ありがとうございました!

讃岐GameN
https://sanuki-gamen.jimdofree.com/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?