幸せって何だっけ?
こんにちは。NPO法人わがことの鹿庭大智です。
最近のマイブームは、ゼリーを凍らせてフローズン状態にして、風呂上がりに食べることです。
疲れた体に沁み渡り、あー幸せーって思います。
幸せって何だっけ?
昔、ポン酢しょうゆのCMでこういう問いかけがありました。
お金があること、家族がいること、仕事があること、好きなことができること、体が自由に動くこと、長生きできること、そういうことが幸せだと答える人も多いかと思います。
「幸せとは?」という問いの答えの多くは、その人の今の現状、もしくは望むことなのだと思います。
もちろんそれは幸せのかたちではあります。「生きていること」それ自体が幸せだと感じる人もいると思います。
でも、誰にとっても感じられる「幸せ」というものはないのでしょうか?言い換えると「こうなれば幸せ」という、誰にも当てはまる定義のようなものはないのでしょうか?
誰か答えてくれる人はいるのでしょうか。
神様、どうすれば幸せになれますか?
人生に行き詰まり、絶望し、そう心の中で嘆いたことがある人もいると思います。
困難や孤独に打ちひしがれ、人生に光が見えない時、自分の人生を恨む人もいるでしょう。
人はなんのために生まれてきたのか
それにすぐ答えられる人は、現代の世では少ないように思います。
生まれてきた世の中の政治が悪かったり、戦争をしていたり、疫病が流行っていたり、災害が多かったりすると、「こんな世の中でなければもっと幸せになれた」と感じてしまいそうです。
親の愛が感じられなかったり、結婚したけど相手の愛情が足りなかったり、生まれてきた子供に障害があったり、親の介護をしなければいけなくなると、「自分の存在はなんなのだろう」と感じてしまいそうです。
学校の先生に認められなかったり、会社の上司に怒られてばかりだったり、いじめられたりすると「自分はこの世界に必要ないんじゃないか」と思ってしまうかもしれません。
私自身、以前はとてもネガティブで自己肯定もできず、20代の時はどうしても前向きに生きられなくて悩み苦しんだ時期もありました。
世の中には幸せになれる人と、幸せになれない人がいる
そう思っていました。
でもそれは違うことに気付きました。たくさんの人に教えてもらいました。人を喜ばせようとする人は幸せそうに見えました。そして自分もそう変われるということを受け入れました。
そうしたらもう幸せだったんです。
神様からの答えはきっとこうだったんです。
自分が幸せになれると気づいた時、人は幸せになれるのです
そして私が周りの人たちから教えてもらった幸せは「なんのために人は生まれてきたのか」という問いの答えでもありました。
そういえば、アンパンマンも「何のために生まれて、何をして喜ぶ」って歌ってましたが、アンパンマンは毎日バイキンマンをやっつけてたので、なんか歌詞としっくりこないなーって思っていたことがありました…
私が幸せそうに見えた人たちはみんな「誰かの幸せのため」になにかをしていました。仕事でも趣味でも活動でも家庭でも、自分ではない誰かの笑顔や安心のために頑張ったり時間やお金をつかっている人は、一見大変そうに見えることがあっても幸せな顔で笑っていました。
そしてそういう人たちは皆共通して、人の悪口をあまり言わないんです。それは見返りを求めていないからなのだと思います。
なかには誰かのために頑張る人たちを見て“偽善者”と言う人もいました。でもその人たちの共通点は自分の苦労や問題を、周りの環境や人、世の中のせいにしているところです。「誰も自分を幸せにしてくれない」と思っていることが多いです。私自身、昔はそのように感じていたこともあるので、それはよくわかります。
でもそんな自分から変わることができたので、私は大切なものを人より多く見つけられたのかもしれません。以前のネガティブな自分は、今では神様からのギフトだと思っています。
幸せってなんだっけ?
それはきっと、自分の中にある人の幸せを願う心なのです。それは誰でも持つことができることというよりは、もともと生まれもった心なのだと思います。
だって人が笑ってくれると嬉しいものですよね。
今回の写真は、私の本業である八百屋sanukisで仕入れさせてもらっている鳴門の蓮根農家、林さんの写真です。sanukisでは「しらゆき蓮根」と名付けてますが、これがまた美味しくて美味しくて、食卓で幸せを感じさせてくれるような蓮根なんです。林さんもまた、食べる人に喜んでもらいたいという想いで、規模を大きくせず丁寧にいい蓮根を栽培してくれています。私は、林さんの蓮根と出会えたことを幸せに思っています。
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