『痴人の愛』読了

谷崎潤一郎の『痴人の愛』を読み終えた。

どうやったら私にも河合譲治が出来るだろうか考えていたけれど、
結論から言うとこの手の手懐ける技術は無いように思った。

実を言うとこれは私のS心の奴隷を作りたいという邪な欲から読み始めたものだった。
結果としていくらかの私にもいかせそうな技はあったが、それはもう私としても心得ているものが多かった。

ナオミにあって、私にないもの
それは「美貌」だった。

彼女の顔はメリーピグフォードに似ている。
日本人なのに、どこか日本人ではないような顔立ちだった。
美貌を以てして彼女はファムファタルになるのだ。

ナオミが浮気性でワガママなところを相手に受け入れさせて、尚且つ自分を好きでいさせる。
これは、自分の魅せ方をよく知り、自分に自信があるということでないと、なし得ないことだ。

譲治は自分で追い出したにも関わらず、ナオミを忘れられない。
品がなくて、ワガママで、浮気性で、それでいて自分に自信がある。やはりそれが実を結ぶのは「美」という武器があってこそだ。ナオミはおそらく譲治を下にみていたと思う。こいつはわたしを嫌いにならないと驕っている。そして、飴と鞭の加減がとても上手だ。弄ぶ天才だ。

惚れた方の負けとはいったもので、下にみられていようが浮気されようが、好きになったら許せるものだ。
見放されないためならなんでもする男をわんさかみてきた。ナオミほどの技量はないけれど、焦らしは大変有効な手段だ。目の前に欲しいものをちらつかせられた人間は、理性を簡単に捨てることができるようだ。
対等であることを望む相手に、自分を上だと、絶対だと屈服させる快楽ときたら。私の中のS心が反応する。

譲治だって最初はナオミを育ててやろうとか、自分がさも上であると自覚していたのに、終盤に差し掛かると彼が彼女に屈し、跪き、ひれ伏し、忠実な犬のようになる。作中では犬よりも馬かな。
なんて屈辱。
なんて理想の征服の仕方だろうか。ナオミ、恐るべし。

「ナオミはいつも私の情欲を募らせるようにばかり仕向ける、そして際どい所までおびき寄せて置きながら、それから先へは厳重な関を設けて、一歩もはいらせないのです。」
「私は誘惑が恐い恐いと云いながら、本音を吐けばその誘惑を心待にしていたのです」
Mの素質のある人にはたまらないナオミの勧誘っぷりは、譲治と一度友達に戻ってからの畳み掛けがすごい。
ここで彼はこう思うだろうからそれを敢えて制して、情欲を掻き立てさせる。
我慢をさせることは、支配の基本のき、なのだから。

譲治の母が亡くなって実家に帰ったとき
「つい昨日まではナオミの色香に身も魂も狂っていた私、そして今では仏の前に跪いて線香を手向けている私、この二つの「私」の世界は、どう考えても連絡がないような気がしました」
これは私も実家に帰るとなんとなく意識して気持ち悪く感じるところだ。
東京の私と、実家にいるときの私は、別人のようで両親の知らない私が東京にはいる。
どちらが本当の私だろうか。
ふたつの自分の間の溝が深まれば深まるほど、実家に帰りたくなくなることがある。乖離しすぎていて、自分の容量を超えてしまう。
どうしたらいいんだろう。私はこれから、20年過ごしてきた実家を越える年数を東京で過ごすことになるだろう。
おそらく東京で20年も生きた頃に折り合いをつけれるような気がするのだ。
それまでは生きてみようかとも思った。

譲治とナオミは丁度ひとまわりくらい年齢が違う。このご時世、世間的にひとまわり違うことなんてざらにあるし、そんなにロリコンだとか感じないのだけれど、年が上の男性方はひとまわりも下の女性を好きになったら、引け目を感じるものなのだろうか。
それはそれでなんだか可愛い。
なんとなく、「少女椿」のみどりちゃんとワンダー正光を思い出した。あれはもっと離れていそうな気がするけれど。
どちらも女性側のワガママを年上の男性が受け入れるように描かれる。

年下の女性のワガママはかわいいですか?慎ましい方が好きですか?振り回されるのが好きな男性がどれくらいいるのかアンケートをとりたいくらいだ。

私ももっとワガママになったら、私だけの河合譲治ができるのかもしれない。

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