ニコチンの幻。⑯「21歳大学1年生になるまで。」part 3
こんばんは。
今日は改めて自己紹介シリーズの続きです。
Part 3 です。どこまで続くのでしょう。皆さん飽きてきましたかね。ごめんなさい。
わたしも割と、絶対忘れるもんかと思っていたはずなのに思い出せない過去の存在に振り回されています。
悲しいものですね。
とにかく、まだ読んであげてもいいよっていうひとありがとうございます。
いや、ほんとに。
ここまで来たので、このまま細かく書いていこうと思います。このくらいのペースで。最後まで。
よろしくお願いします。
では始めます。
(part 2 はこちらからどうぞ。)
短期間の登校拒否の繰り返しのなか、「学校のこと」への気持ちの依存と、その「学校のこと」に向き合う絶望と疲れを共存させていた私は、高校2年生の時、一度生徒会執行部から離れました。そして同時に、性懲りもなく文化祭実行委員長という役職に就きました。
文化祭実行委員長を担うことで、ひとのために必死になっている感覚を満たしつつ、生徒会執行部の活動での絶望を避けたのだと思います。
文化祭というわかりやすい目標を得た私はまた見事にその仕事にのめりこみました。
ただ、晴れて文化祭を終えたとき、その達成感と引き換えにやりがいを失ってしまいました。わかっていたはずのことだけれど、想像以上の衝撃でした。
あまりに大きな喪失感に、また新しくひとのために何かやっているという型を手に入れなければダメだと焦っていたような気もします。
その喪失感を大きなきっかけとしてわたしは、「それなりに、でもちゃんと普通に過ぎる学校生活」を諦めました。
このままなんとなく勉強して、なんとなく高校生を終わらせる幸せを捨てられる気がしたんです。新しい「人のため」という型のために。
そして私は学校を飛び出しました。(物理的に)
(ちなみに山奥にある学校だったので無断で敷地を出ることは大問題でした。)
ここまでするほど本気なんだと、この行動でわかってもらえる気がしていたと思います。私は学校のことのためにここまでできる、ここまで本気なのだから、ちゃんと「学校のこと」を話し合わせてほしい、生徒の声を聞いてほしいというアピールのつもりでした。
衝動的に決まった覚悟を計画的に行動に移すことに私はまた必死になったんです。一番先生がいない時間、バレにくそうな時間、場所、事前に調べ準備しました。
驚くほどに事がスムーズに進む感覚の中、一度でも我に返ってしまったらすべてが止まってしまうような気がして、とにかく勢いに任せました。
無断で学校の敷地を出たあと、街灯もないような道を歩き回りつつローカル鉄道の駅にたどり着き、電車を乗り継ぎながらなんとか友達の家を目指しました。
そして家族とひと悶着あった後、力をすべて使い果たしたように数日間実家に引きこもりました。
しかしこのときはまだ自分の行いとそれに対する覚悟にある程度の自信があり、これでやっと先生たちにまともに話を取り合ってもらえると思っていたので、一度学校に帰りました。
実際、脱走をきっかけに話を聞いてくださるようになった方はいました。
ただ、一人の先生から、しかもずっとまともに話を取り合ってくれなかった先生から言われた「他にやり方はなかったの。」の一言にわたしは絶望してしまいました。
わたしたった一人の全力のアピールにいったいどれほどの価値があると思っていたのかと、恥ずかしくなりました。
そして気力体力ともに使い尽くした私は、流れのままに何もしない何もできない長期間の登校拒否をはじめました。
そして、実際に真剣に話を聞いてくださった先生たちの動きが下火になっていく様や、自分が行動しようがしまいが変わらず、何もなかったように生活は戻り進んでいく様に、そりゃそうだと妙に納得しました。
同時に気の抜けた満足感に支配され、わたしの全身全霊のアピールは終わりました。
ただ家の中で、何をする気も起きず、時間が過ぎるのを待つだけの日々で。昼間に何もできないのがしんどくて、日が昇るうちは起きていたくないと、生活のリズムが崩れる一方の日々で。
動かない自分への嫌悪と絶望だけを生きがいとする日々で。
生徒会活動、文化祭、脱走と、目の前のものに必死になってごまかしてきた何かのつけが回ってきたような気がしていました。
そのままどうにもこうにもならず、なんとか進級できるように試験だけ別で受けたりしながら約半年間、実家で登校拒否を続けました。
はい、今日はここまでです。ちょっと暗い話でごめんなさい。
次回でやっと高校卒業後の話には入れると思います。
ながながとお付き合いくださる方本当にありがとうございます。
ではまた。
2020年9月23日 20:31 だいぶひんやりしてきましたね、
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