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ニコチンの幻。⑭「21歳大学1年生になるまで。」part 2



こんばんは。

今日は前回の続きです。part 2です。


前置きを書きすぎるとこの話終わらなくなってしまうので、早速始めます。


(つづき。part 1 はこちらからも。)


「学校をよくすること。」にのめりこんだ私は、その曖昧さを意識できないほどなりふり構わず必死でした。


必死になることだけが自分の存在を正当化してくれるのだと感じていたような気がします。


本当に望まれていることはなんなのか。初めはそんなことまで考えが及ぶこともなく、ただただ自分の時間を生徒会の活動に費やすことで、この活動はよりよい生活を自分たちで作り上げるために必要なのだと、自分は人のために頑張っているのだと思い込んでいました。


生徒から、ああしたいこうしたい、こうした方がいいを集めては、先生方にそれは難しい、今はまだ早い、もう少し様子を見ようと断られる。話が進まないんです。


その繰り返しの中で私は、何をしているのかわからなくなりました。


「生徒たちが主体的に作り上げる生活など本当は求められていないのかもしれない。」、「私たちに作り上げる権利なんてそもそも与えられていなかったのかもしれない。」と思うようになり、「いや、そうさせたいと思わせられない、信頼させられない私たちが悪いんだ。」と考えるようになりました。


やっかいだったのは、あの時のわたしは、少なくとも同じ学校に集まっている人間は自分たちの生活に対して同じように理想を高く掲げ、そこに向かう努力を同じように欲しているような気がしていたところだと思います。


いまならわかります。自分が頑張ろうと思えないときに熱くなっているひとを見てしんどくなることあります。ただ頑張る方向かタイミング、もしくはその両方が合わなかっただけなのに。しんどくなっちゃいます。


簡単に言ってしまえば、周りが見えていなかった。だから空回りしていた。そういうことだと思います。


ただ、必死でした。さもそれが当然のように。


だから、周囲との温度差に絶望し続けながら、その環境を乗り越えるべき逆境ととらえることしかできなかった。

必死でありさえすればいつか報われるのだと思い込み、自分の生活、勉学をおろそかにすること、その自分の生活を捧げているという満足感に依存し、正義感を満たしていたのだと思います。


1期生として先輩がおらず、進学志向の生徒も多くはなかったことも影響して、全部ほっぽりだして勉強に集中しようなんて選択肢を選ぶ勇気もありませんでした。


卒業後の受験生期間にこの話をいわゆる進学校に通う友達にしたとき、「べつに学校のことなんて気にせず勝手に自分で勉強していればよかったじゃないですか。」といわれたときは確かに納得しました。


でもその時の私は、必死だった私を過去として置いてしまうほどには勉強が大事だと思えなかった。


というのはたぶん、近くで自分のためにちゃんと勉強していた後輩への嫉妬。しなかった私の、できなかった事実を肯定したいための嫉妬。


大事だと思えないということで、大事にしなかったできなかった自分を簡単に正当化できますからね。

本当は勉強するべきだと思っていたはずのわたしの嫉妬です。先輩がいる人たちは自分のことだけに必死になれていいななんていう醜い嫉妬です。自分で選んだくせにね。




そんなこんなであまりに必死な私は温度差に疲れ、情緒不安定がひどくなり、だんだんと不登校気味になっていきました。


短期間の登校拒否を繰り返したので、勉強はさらに遅れました。


学校を離れればもう一人で気にせず勉強ができるような気がしていたし、親には、「もうちゃんと勉強がしたい。」とか言って登校拒否を説明していたのに。何もできませんでした。


そしてその遅れの正当化のために、余計に「学校のこと」への気持ちの依存を高めていってしまったのです。




はい、とりあえず今日はここまでです。
長いですね。なかなか進まなくてごめんなさい。


暗い話重い話になってしまうかもですが、少しでも興味を持ってくださる方はよろしくお願いします。

ではまた。


2020年9月17日 0:49 26℃ 湿度75% 今日買ったニラのせいでほのかにニラ臭い室内より。

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