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被ばく線量は推計60ミリシーベルト 福島市の1歳児 甲状腺がん裁判〜第4回口頭弁論

 東京電力福島第一原発事故による放射線被ばくの影響で甲状腺がんを発症したとして、当時福島県に住んでいた17歳~28歳の男女7人が、東電に損害賠償を求めた訴訟の第4回口頭弁論が1月25日、東京地裁(坂本三郎裁判長)であった。

 被告の東電側は、原告らの甲状腺被ばく線量は10ミリシーベルト以下で、事故とがんに因果関係はないと主張している。根拠としているのは、国連科学委員会によるアンスケア報告書(※1)だ。

 この主張に対し、原告側は高エネルギー加速器研究機構の黒川眞一名誉教授(加速器物理学)の意見書を提出した。

 黒川意見書は、2011年3月15~16日にかけて福島市を襲った放射性物質を含む雲、いわゆる放射性プルームによる被ばくだけで、当時福島市に住んでいた1歳児の甲状腺被ばく線量を約60ミリシーベルトと推計した。

 法廷で原告側の只野靖弁護士は「アンスケアによる推計被ばく線量は、重要なデータを無視している」と指摘した。

 重要なデータとは、事故によって大気中にばら撒かれた、放射性ヨウ素131の実測値のことだ。

 事故当時、福島市の紅葉山公園に設置されていた、放射線を観測するモニタリングポストはヨウ素131を計測していた。ヨウ素131は甲状腺がん発症の原因となる放射性物質だ。

 黒川意見書はこのデータを解析した平山論文(※2)を基に、放射性プルームがもたらした、ヨウ素131の大気中の濃度に1歳児の呼吸量と等価線量係数(※3)を掛けて甲状腺の被ばく線量を算出した。

只野弁護士が法廷で示したスライドから抜粋

 その結果が60ミリシーベルトだったが、これはあくまでも呼吸による被ばくに限った線量だ。

 只野弁護士は、実際には「この数値よりもかなり高くなる」とし、①3月15日以外にも観測されたプルームの影響②ヨウ素132など他の放射性物質による被ばくの影響③飲食による被ばくの影響−などは考慮していない点を上げた。

 そして、アンスケアの杜撰な報告書を根拠とする東電側を厳しく批判した。

 「アンスケア報告書は実際なにをやっているのか。極めて大雑把なシュミレーションしかしていない。平山論文を参考文献として引用はしながらも、被ばく線量の解析や検証には全く使用していない。本件事故の放射性ヨウ素131の大気中濃度の実測値はほとんどない。その中でこの平山論文は、これを実測した極めて貴重なデータに基づいたもので、これを解析や検証に用いていないこと自体が不合理だと言うべきです。以上の通り、アンスケア報告書による、甲状腺被ばく推計量は極めて不合理なものでありまして、これに基づく被告の主張も前提を欠く不合理なものというほかありません」

 原告側弁護団は次回以降の弁論でも、東電が根拠とするアンスケアの矛盾を追及する方針だ。

4回に及んだ手術 頭の片隅に常にある再発の不安

 また、この日の弁論では2人の原告が意見陳情した。1人目の原告は、事故当時中学生で中通り出身の20代の男性だった。

 男性は大学2年生の時に甲状腺がんが見つかり、手術を受けた。術後、しばらくは声が出なかったが、経過は良好だったという。

 だが、1回目の手術でがんは取り切れず、半年も経たずに2回目の手術となった。手術は7時間にも及び、麻酔から目が覚めると声が出なかった。

 男性は「暗い手術室の中で痛みに耐えながら、声が出ないことに強い絶望を感じた」と振り返り、「こんなにも辛く、声も失うのなら、いっそ、死んだ方が楽かもしれないと思った」と明かした。手術を終えてから丸一日が経ち、ようやく声は少しずつ戻ってきたという。

 それから1年後、就職活動の真っ最中に3回目の手術を受けた。それでも再発を繰り返し、入社2年目にがんはリンパ節に転移した。がんは声帯をつかさどる反回神経に隣接していたから、声を失うかも知れなかった。

 「声は失くせない」

 仕事の合間を縫って、セカンドオピニオンを受けた。「反回神経の切除は回避すべき」との意見書をもらい、声は救われた。

 4回目の手術後には、高濃度の放射性ヨウ素を服用し、がん細胞を破壊するアイソトープ治療も受けた。

 「再発するかもというのは、頭の片隅には常にある。がんの再発は覚悟しているが、前だけを見たいと考えている」

 4回もの手術を余儀なくされた男性はこう吐露した。

 そして最後に 「自分の病気が放射線による被曝の影響と認められるのか。この裁判を通じて、最後までしっかり事実を確認したい」と語った。

5回目の検査で見つかったがん 2年間で1センチ以上増大

 続いて、20代の原告女性はプライバシー保護のための遮蔽をせずに意見陳述した。原告として初めてだった。

 女性は中通り出身で事故当時は小学生だった。福島県が事故後実施している「甲状腺検査」で2年前にがんが見つかった。

 検査を受けたのは5回目だった。中学生の時に1回、高校生の時に2回、大学生の時に1回受けていた。

 1回目と3回目はまったく所見がない「A1判定」、2回目と4回目はのう胞が認められ「A2判定」だったが、がんの兆候はまったくなかったという。だが5回目の検査結果は悪性で、がんと診断された。

 女性はがんと告知された時の心情を次のように語った。

 「先生から『1センチ以上あるから手術をしなければいけない状態だ』と説明されました。私はその言葉を聞いて頭が真っ白になってしまいました」

 それから2か月後に手術を受けた。術後、しばらくは首を固定しなければならず、思うように首が動かせなかった。人の声が頭に響き、ちょっとした物音が気になりイライラした。

 「首を動かしたら、傷口が開くんじゃない かと気がかりで、とにかく怖くて、首を動かせなかった」

 次第に情緒不安定になり、家族に「うるさい」と怒鳴ってしまうこともあった。退院してから1か月後、首を動かせるようになり、精神的にも体力的にも少しずつ余裕を持てるようになった。

 「ところが、気持ちが落ち着いてくると、自分は一体、何をしているんだろうと、自分で自分を責める時間が増えました」

 そんな頃、自分と同じ境遇の人たちが甲状腺がん裁判を起こしたことを知った。

 「裁判を知ってから、甲状腺がんになった人が福島県内だけでも300人以上いることを知りました。自分が思っているよりもはるかに多い人が甲状腺がんで苦しんでいる。事の重大性を知り、今、立ち上がらないといけないと思いました」

 そして、女性はこう続けた。

 「4回検査を受けても、見つからなかった甲状腺がんが、2年間で1センチ以上も大きくなり、5回目の検査で手術が必要になったのは何故なのか。スクリーニング効果によるものなのか、過剰診断なのか、被曝の影響なのか」
 「裁判は、今まで謎にされてきたこと、事実を明らかにする場だと思っています。私はそのために、今、ここにいます」

 次回3月15日の口頭弁論でも、2人の原告が意見陳情する。

(※1)アンスケア(UNSCEAR)=原子放射線の影響に関する国連科学委員会が、一昨年公表した福島第一原発事故に関する報告書
(※2)平山英夫他(2015)福島県モニタリングポストのNaI(Tl)検出器波高分布データを用いた空気中I-131放射能濃度時間変化の推定
(※3) 呼吸量は1歳児における軽作業と座位の平均値として仮定。等価線量係数は国際放射線防護委員会(ICRP71報告書)におけるガス状ヨウ素の係数。

















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