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13歳でがんになり、17歳で2度目の手術   「全てが変わってしまった」  高3の少女が意見陳述 子ども甲状腺がん裁判〜第2回口頭弁論

 東京電力福島第一原発事故による、放射線被ばくの影響で甲状腺がんを発症したとし、事故当時福島県に住んでいた17〜28歳の男女6人が、東電を訴えている裁判の第2回口頭弁論が9月7日、東京地裁(坂本三郎裁判長)であった。

 「自分の考え方や性格、将来の夢もまだはっきりしないうちに、全てが変わってしまった」。この日、法廷で意見陳情した高3の少女(17)は、涙ながらにこう語った。

 少女は幼稚園の年長の時に、浜通りで被災し避難した。甲状腺がんは中学1年の時に、学校の検査がきっかけで見つかった。県が事故当時、18才以下の子どもたちに実施している甲状腺検査だ。

 検査の時、医師と看護師はモニターの画面を見ながら何やら話していた。検査ではプローブと呼ばれる器具を首にあて、甲状腺の内部を画面に映して診る。「何度も何度も押しあてて診ていたので、不安な気持ちでいっぱいでした」。教室に戻ると、自分よりも後の順番の人たちの検査はすでに終わっていた。長い間、診察されていたことがわかった。

激痛を伴った穿刺吸引細胞診

 検査の結果、悪性が疑われた。より詳しく診察するため、穿刺吸引細胞診(せんしきゅういんさいぼうしん)をすることになった。穿刺吸引細胞診とは、首に注射針を刺し細胞を取り、良性か悪性かを診断する検査だ。

 中学校からの帰り道、検査を受けに病院に行った。首に針を刺されることを想像すると、恐怖で涙が一気にこぼれた。

 「『あ。今から首に針を刺されるんだ』と直感し、想像できない痛みに対する不安が、一気にあふれてきたんだと思います。怖かったです。初めてだったし、経験したことのないことをやるのだから」

 診察台に横になると、細くて長い針が視界に入った。針が首にグサッと刺されると、あまりの激痛で動いてしまった。細胞は上手く取れず、もう一度刺された。

 「とても痛かったです。細胞に刺さったときは、なにか深いものにグサッと刺さった感覚がして、気持ち悪かったし、痛かったです。どうして自分がこんなに痛い思いをしなくてはならないのだろうと思いました」

 細胞診の結果、がんだと分かった。 

 「その時、自分が具体的にどう思ったかはあまり覚えていませんが、ただ漠然とした不安だったと思います。私の体はどうなってしまうのか、入院するとなると、学校を休まなくてはならないのかなど、様々な不安がありました」

 まだ13歳だったが、手術せざるを得なかった。なにもかもが初めての体験で、胸がどきどきした。なによりも術後がつらく、全身麻酔から目覚めても体は動かなかった。麻酔は抜けきらず、起きているのになにもできない。そんな状態が長く続き、精神的にも肉体的にもきつかった。

 「絶対安静の次の日、1日ぶりに食事が出ましたが、ものを飲み込むとき、手術したところがあまりに痛くて、涙がぽろぽろ出ました。15分くらい頑張って食べてたのに、おかゆが2cmくらいしか減っていなくて悲しくなりました。これからどうなっていくのか、 手術後は、手術前と同じ生活を送ることができるのか。これからの不安で、眠れない日もありました」

再発したがん 過酷なアイソトープ治療

 つらい手術に耐えたものの、がんは再発した。2回目にがんと分かった時は、驚くこともなく、ただ残念に感じたという。

 「2回目の手術は甲状腺がんを全て摘出し、かつリンパ腺まで摘出したので、摘出した右側の肩が上がりにくくなり、抜糸をした後は、首の右半分の感覚がなくなりびっくりしました。手術から半年以上経ったので、いまはだいぶ感覚は戻ってきましたが、触るとなんともいえない鈍い気持ちの悪い感触です。たまに、つっぱるときがあってとても辛いで す。後遺症に近いものがあると思います」

 がんは甲状腺だけではなく、リンパ腺にも転移していた。アイソトープ治療を受けることになった。

 アイソトープ治療とは、放射性ヨウ素の入ったカプセルを服用し、体内からがん細胞を破壊する治療法だ。この治療は大量のヨウ素を用いるため、放射線を遮る特別な病床で行われる。自身が放射線源となってしまうため、他者を被ばくさせてしまうからだ。そのため、線量が下がるまで隔離される。

 「入院期間は1週間でした。最初は意外と短いなと思っていましたが、入院してみると、とても長い1週間に感じました」

 ヨウ素を服用した翌日、喉が腫れて熱くなり、呼吸がしづらくなった。どんどん悪化したが、ナースコールで症状を訴えることしか出来なかった。医療者も被ばくしてしまうため、誰も簡単には病室に近づけない。

 「入院中は、これらの副作用と病室でじっとする生活が続き、眠れるかどうかも不安で、 精神的にも身体的にも大きな負担がかかりました。もう二度とこの治療は受けたくありません」

将来への不安 一生飲み続けなければならない薬

 過酷なアイソトープ治療を受けた直後に、この裁判は始まった。まさか自分が裁判の原告になるとは、夢にも思っていなかったという。

 「自分の考え方や性格、将来の夢も、まだはっきりしないうちに、全てが変わってしまいました。だから私は、将来自分が何をしたいのかよく分かりません。ただ、経済的に安定した生活を送れる公務員になりたいと考えています。恋愛も、結婚も、出産も、私とは縁のないものだと思っています」

 今の高校生活で、青春を楽しむつもりはない。それよりも金銭的な不安が大きいため、大学の推薦を得て、安定した将来につなげることを優先している。

 「18歳になって医療保険にも加入できなかった場合、これからの医療費はどうなるのか。病気が悪化した時の生活はどうすればいいのか。本当に不安です」

 精神面での不安も大きい。甲状腺を全摘したため、一生薬を飲み続けなければならなく、 定期的な検診も欠かせない。

 プライバシー保護のため、証言台の周りはパーテーションで遮られ、傍聴席から原告の姿は見えない。まだ幼さの残る小さな声は、最後にこう訴えた。

 「この裁判で、将来、私が安心して生活できる補償を認めてほしいです」

「100ミリシーベルト以下」ではがんにならない?

 一方、東電側は答弁書で「(原告らは)甲状腺に有意な放射線被ばくを受けていない可能性があり、受けているとしても被ばく量は極めて限定的」と主張している。その主張の根拠は概ね次のようになる。

 1福島県における1080人の小児甲状腺被ばく量調査では、「毎時0.2マイクロシー ベルト」(※1)を超える者はいなかった
 2福島県が11年6月27日〜19年2月28日までに実施した、ホールボディカウンター(WBC)による内部被ばく検査では、預託実効線量1ミリシーベルト未満の住民が99.1%を占めた
 3UNSCEAR2020年/2021年報告書(※2)において、事故後1年間の甲状腺被ばく線量は、避難していない10歳児で約1.0〜17ミリシーベルト、避難した10歳児で1.6〜22ミリシーベルトと推計される

 要するに100ミリシーベルト以下の被ばくでは、甲状腺がんにならないというのだ。原告側の井戸謙一弁護士は、法廷で次のように反論した。

 1「甲状腺被ばく量の実測値は、測定場所の空間線量を差し引き、正味値を算出することになっていた。だが誤って、被験者の着衣表面の線量を引き、バックグラウンド値が大きくなりすぎた。その結果、半数以上の子どもの被ばく量はゼロやマイナスになった。これはあり得ない数値で、このような杜撰なデータは参考にならない」
 2「検査開始時点において、半減期8日のヨウ素131は8224分の1に減衰している。そのような時期のWBCの結果で、被ばくの程度を推定することはできない」
 3「UNSCEARは公正中立な組織ではなく、原子力推進の立場にある。そしてこの報告書の内容は、研究者らから幾つもの誤りが指摘されており、住民の被ばく量の過小評価につながっている」「チェルノブイリ原発事故が起きたウクライナでは、被ばく線量10ミリシーベルト以下で16%、10〜50ミリシーベルトでも36%の小児が甲状腺がんになった」(※3)

閉廷後、記者会見する原告の弁護団=東京・霞ヶ関

 争点は100ミリシーベルト以下の被ばくで甲状腺がんになるのか否か。

 閉廷後の記者会見で、井戸弁護士は「100ミリ以下でもがんになるという論文はいくつもある。それに対して、ならないという根拠は示されていない」と指摘した。

 この日、事故当時小学6年の20代女性が追加提訴した。浜通り出身で、昨年の夏に甲状腺がんと診断され手術を受けた。


(※1)1歳児の甲状腺被ばく線量100ミリシーベルトに相当するとして設定された値。
(※2)UNSCEAR(アンスケア)=原子放射線の影響に関する国連科学委員会が、昨年公表した福島第一原発事故に関する報告書。
(※3)Mykola D. Tronko Ph.D et al.(1999)Thyroid carcinoma in children and adolescents in Ukraine after the Chernobyl nuclear accident

 




 

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