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瞑想ってキライ

瞑想って大層な言葉だと思う。
なんでこんな難しい字をあてがったんだろうか。
瞑想する事は、じゃがいもの皮をむくことよりもよっぽど簡単だ。
まぁ言ってみれば、じっと座って目をつぶったり、歩いたり走ったりしてるだけで、瞑想はできるからだ。
本人が、瞑想してるって自覚があるだけだ。

ダライラマは、瞑想について2つあると行っている。
心を安らげるための瞑想と、
物事を分析するための瞑想。

ほとんどの場合は、心を安らげるための瞑想になるだろう。
今日も仕事頑張って疲れたけど、
少しこうやって落ち着いた時間を取ると、
リラックスできたなぁ、みたいな感じ。

分析するための瞑想は、自分の心の中を考えていると、あれ、なんだこの気持ちは、これって言葉にするとなんて言うんだろう?
という感覚が、それに近いのかもしれない。

どちらもわからんでもないけど、
99%以上は前者の心を安らげるための瞑想をしていると僕は思う。

とにかく、今はどっちだ、とか言うのはどうでもよくて、とにかく、1日の中でほんのちょっとの時間でも、落ち着いた時間を作ろうよ、と思う。

それを瞑想って言う難しい漢字を当てはめているから、「瞑想やってるんや、うわ、なんか変やなぁ」と思われてしまうのが残念。
あんたもやってるのに、と思うが、口には出せない。
座禅、でも固いし。あんた坊さんか?と言われる。
修行っていう言葉も固いし。

Googleがマインドフルネス、と言葉置き換えてポジティブに広めていってくれてるのは、
すごく嬉しい。

日本人らしくて、気軽な置き換えられる言葉ってなんだろう。

しんどいんだったら、しんどくなくなりたいもんね。

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