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「また」は、やってこないかもしれない

プロジェクトマネージャをしています。

大好きなカフェがなくなった時
ああ「また」は
やってこないかもしれないんだ。
という当たり前なことに気づきました。

色々なものが、いつも必ずそこにあるって
勝手に思っちゃってるけど
それはただ奇跡が重なっているだけの話。

すべてのものが「また」が
やってくるかどうかはわからない。

サービスとかも同じで
悩んでいる間に
受付が終わっちゃって
次回・・って思ってたら次回はなかった!
なんてことも
つい先日あったばかり・・

大好きなカフェがなくなった時も
自分の力のなさが残念だったな・・
もっとできることがあったんじゃないかって
すごく考えた。

ま、なくなることは
本来は自然なことだし
私なんかがどうこうできることでは
もともとはないんだけど。
それでも、大切!大好き!って思うものは
もっと大切にしないといけないんだと
痛感しました。

命も同じ。
明日が「また」やってくるかどうかは
誰にもわからないわけです。

「また」はこないかもしれないんだから
「今」を大切に生きていこう。

大切なことを書き忘れたので、追記!

大好きなカフェはなくなって
本当に残念で
胃袋も口も心も身体も寂しくって。

けど、なくなったからこそ
新たなものも生まれるわけで!
だからこその
今があるわけで。

なくなることを、恐れる必要は本当はない。
もちろん、寂しいし、残念だけど。
空いたスペースは
必ず埋まるから。
新しい種がまかれて、
新しい花が咲く。

自然とはそういうこと。

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