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スケッチ「12月24日の手紙」

ヨハンへ

1899年12月24日

 この手紙を読みはじめる頃には、あなたはきっとヨーロッパへ帰る蒸気船に乗っていることでしょう。二十世紀を待ちわびるこの"新世界"・ニューヨークで、楽しいクリスマスを過ごせましたか?
 出番を終えて楽屋に戻ったら自分宛てに知らない小包が置かれているなんて、きっと驚いたでしょう。本当は最後に一言でも挨拶がしたかったし、プレゼントも直接渡したかった。その代わりに、こうして少し長い手紙を綴ることを許してください。

 あなたが私たちの合唱隊にふらりと現れたのは、十一月の終わり近く、ちょうどクリスマスキャロルの練習が始まった頃だったと記憶しています。
 一か月だけ滞在する旅行者だと言いつつ物珍しそうに練習を見ていたかと思ったら、数日後にはあっという間に隊員たちと打ち解けて、さらにいつの間にかクリスマスのコンサートに参加することにまでなっていた。私はそういう風に誰とでもすぐに仲良くなれるほうではないし、そもそもこの合唱隊はほとんど地域のクラブ活動みたいなもので知らない人が入ってくることなんて滅多にないから、アルトの列の隅で事の成り行きにただただ驚いているばかりでした。
 それに、練習のない日でも、特に年の近いテノールの数人とは、一緒にセントラルパークの一角で雪遊びをしたり、街頭のバンドが奏でる陽気な「ジングルベル」に合わせてステップを踏んだりしているのを時々見かけました。あなただって私と同じ十九歳のはずなのに、無邪気に笑っている姿は少年のようで、自由で身軽な動きはまるで若い猟犬のようで。呆れるような、羨ましいような気分でした。

 最終的に、アルト列とテノール列のさかい目で、私たちは隣り合って歌うことになりましたね。初めてその場所で歌ったとき、実を言うと、私はあなたの歌声に惚れ込んでしまったのです。正直、そう表現するしかありません。あなたの歌声は情感豊かで伸びやかで、隣にいるだけで私まで元気をもらってしまうような気分でした。それでも決してひとり目立つわけではなく、だからこそハーモニーの中で確かに輝いていて。その音のひとつひとつに、私はいつの間にか心を奪われてしまったのです。
 そんなことを思う人がいたなんて、その時のあなたは夢にも思わなかったでしょうけれど……。

 それからは、毎回の練習が今まで以上に待ち遠しくなりました。あなたの歌声に耳を傾けるのが癖になっていくと、自然と他のみんなの歌声も色々聞こえてきて、私自身の声もその中に溶け込んでいくのが分かる瞬間があった。それが心地よくて、ずっとこうして歌っていたいと何度も思いました。
 でも、そう願うたびに、あなたが旅人の身であることを思い出さずにはいられないのです。クリスマスの日を楽しみに思いながらも、その時が来てしまうことに、私ははじめからうっすらと怯え続けていました。

 駅前のデリのテラス席で初めて行き合った日のこともよく覚えています。
 雑誌か何かを熱心に読んでいるのを見かけたとき、いつもの活発な姿とは少し違う真剣で大人びた雰囲気に、ほんの一瞬目を疑ってしまったものです。それでも思い切って話しかけてみると、驚いたことに、その手元の冊子はオーケストラのスコア譜でした。道理で合唱のときも音符や記号を読むのが速いわけだ、と合点がいったものです。
 普段合唱の楽譜しか見たことのない私からすると、たくさんの楽器の音が一気に書かれた長大な交響曲のスコア譜は、まるで訳の分からない外国語のようにさえ見えました(しかも実際に、あのスコア譜の表紙と説明文は外国語でしたし)。あなたが好きだと言ったバッハやシュトラウスも、それまで全然聞いたことがなかった。
 でも、隣でターキーのサンドイッチを食べながら、あなたがその楽譜を眺めてうっとりと目を細めたり小さく鼻歌を歌ったりするのを見ていると、そこに表された音楽を読み取れるようになってみたい、といつしか興味が沸いてきました。いつもたくさんの友達と笑い合っているあなたが、楽譜を前にじっと黙り込み思索に耽っているのを目の当たりにして、一体その時あなたの頭の中にはどんな音が響いているのだろう、と好奇心に駆られたのです。
 それからはよく同じ席で落ち合って楽譜を見せてもらいながら、レコードを聴いたり、気に入った場面の感想を話したりして、そのうち他の交響曲や協奏曲にも興味が出てきて……。新しいことを学ぶのは大変だったし、あなたと好みが別れたり意見が食い違ったりしたところも色々あった。でも、そうして夢中で進んでいるうちに、たった一か月前には想像もしていなかったほど、オーケストラの音楽が大好きになりました。
 あなたと出会ったからこそ辿り着くことができた、初めての場所。まるで白うさぎを追って少女アリスが迷い込んだ不思議の国のように……なんて例えたら、あなたはきっと困ったように微笑むのでしょうね。

 デリの目の前にあるのは知っていたものの、楽器屋に入ったのも私にとっては初めての経験でした。
 あなたが奥のショーケースに入ったチェロに気付いて、自分もオーケストラでチェロを弾くのだと打ち明けるように言ったとき、その細められた瞳にリースのろうそく飾りがちょうど映り込んで、はっとするようなオリーブ色に輝いたのを、今でもはっきりと思い出します。
 すぐに、是非演奏を聞いてみたいと言うと、あなたは少し表情を曇らせて「悪いけど、こっちには楽器を持ってこなかったんだ」と小さく呟いた。それきりしばらく黙り込んでしまったので、困らせることを言ってしまったかな、と少し後悔しました。あの時は、ごめんなさい。

 その日の帰り道、あなたは本番では前半の三曲だけを歌ってすぐ他の用事のために帰らなければいけない、しかもその用事の後そのまま帰りの船へ乗り込む予定だ、ということを何気なく教えてくれました。
 内心かなり動揺したし、最後の時間がそうあっけなく終わってしまうことを想像すると、残念で仕方がなかった。それで、折角ならクリスマスプレゼントを買おうと思い立ったのです。
 本当はあのチェロを贈りたいくらいだったけれど当然それは無理な話だから、何日も迷った挙句、いつもの楽器屋で松脂をひとつ買いました。実は、弦楽器の演奏に松脂が必要だということも、あなたに教えられて初めて知ったんですよ。やはり最高級品には手が届きませんでしたが、透きとおったべっ甲色の松脂がきらびやかな装飾の箱に収められているというだけで、私のような夢想家には十分、宝石にも劣らない美しさを感じられたものです。
 併せて、手紙を添えるための便箋と封筒も新調しました。白い天使の模様が私たちの歌った教会を思い出させるようで、なかなか気に入っています。

 しかし、数日後、思いもよらないことが起きました。
 週末の夜遅く、この辺りで一番のホテルの前に集まったどこかの楽団員らしき人々の中に、あなたの姿が見えた気がしたのです。私は目を疑いました。でも確かに、仕立てのよい外套に身を包み大人たちと穏やかに会話する青年は、間違いなくあなただった。
 そして次の日の新聞記事を見て、やっと気付きました。あなたは高名な指揮者、あのヴィルヘルム・スーターの息子だったのですね。

 その途端、プレゼントを贈るどころか、あなたと今まで通り話すことさえ、おこがましいことのように思えてきました。もしかしたらあなたは不思議に思うかもしれないけれど、本当にそんな気分に支配されてしまったのです。
 考えてみれば、こんな小さなプレゼントをあなたが喜ぶかなんて分からないし、そもそも親戚でも何でもない、知り合ってすぐの人からの贈り物を受け取る筋合いだってない。あなたには素敵な家族もいるし、私よりもっと仲の良い友達だってたくさんいるでしょう。結局これは、私が贈りたくて贈るだけのもの。
 この手紙だって、本当のところ、私自身がこの一連の出来事を忘れたくなくて勝手に書きはじめた物語だと言い切ってもいいのかもしれない……。

 それでも、結局諦めることができませんでした。一日、また一日と聖夜に向かって輝きを増していくこの街の空気が、そうはさせてくれなかった。
 私はどうしても、あなたが私にくれた大切な思い出を、私のやり方であなたに返したかったのです。どうかこのわがままを許してください。

 あなたと出会い、話し、そして一緒に歌うことができて、私は本当に幸せでした。この旅を終えた後も、あなたが穏やかで楽しい日々を過ごしていけるよう、心から祈っています。

 それでは、さようなら。

ありったけの感謝を込めて
ティナ・ホワイトリー 





ティナへ

1899年12月26日

 手紙を読んで、船の中で急いで返事を書き始めました。
 誰かに手紙を書くなんてほとんど初めてだから、下手な文章だったら申し訳ない。見ての通り字もきれいじゃないし。それによく考えたら、君の住所だって分からないや。封筒には教会の住所を書いてみるから、これでどうにか届くといいな。

 まずは、素敵なプレゼントをありがとうございました。
 君も知っての通り、僕はクリスマスの合唱を途中で抜けて、すぐに父の出演するコンサートを手伝いに行かなければいけなかった。でもコンサートにはチェリストとして参加した訳ではなくて(そもそもそんな実力はないし)、父の秘書のような立場で裏方仕事をしていただけでした。

 そう、僕、すごくチェロが上手いわけじゃないんです。
 確かに小さい頃から習ってはいるけれど、特に最近はどれだけ練習しても思ったような音が全然出なくて、練習に嫌気が差してきていた。今回父についてきたのも、何の計画もない現実逃避みたいなものでした。
 そんなわけで、君が僕のチェロを聞きたいと言ったときも、今はチェロのことなんて考えたくもない、とやっぱりいら立ってしまいました。それでそのあと何を話せば良いのか分からなくなって、黙っているしかなかった。
 でも、勘違いしないで欲しいのは、「やっぱりチェロを持ってくればよかったな」って気持ちも確かにあったんです。自分でも驚いたけど。だから君が謝る必要はないし、むしろあの時の態度を謝るべきなのは僕の方です。

 では、どうしてそんなことを思ったのか。きっと、なりゆきで合唱隊の練習に参加しているうちに、僕が再び音楽に向き合えるようになったからだと思います。
 ここに来る前の僕は、気付かないうちに、自分の役割をただこなすためだけに演奏するようになっていた。でも、このクリスマスの合唱を通して、一緒に音楽を作ってくれる人々がいるってこんなに素晴らしいことなんだ、と改めて感じました。
 そして、君の話のおかげで、目の前にいる人のために演奏するという一番大切なことに、もう一度ちゃんと挑戦してみようと決意することができたのです。

 僕が合唱の練習に初めて参加したのはニューヨークに着いた次の日だったんですが、誰か気付いてなかったかな、実はその前日にも教会で少しだけ練習を見ていました。
 みんなが心を込めて喜びや悲しみや祈りの言葉を歌っているのが、オーケストラばかりやっている僕には新鮮で、素敵だと思った。特に君は、歌詞に合わせて声色も表情もころころ変わって、本当に歌が好きなんだな、というのが伝わってきました。それってすごいことだと、僕は思います。そんな君が僕の歌を何度も褒めてくれて、素直に嬉しかったです。

 それに、君はレコードで聴いた色んな曲に対しても、想像力豊かな思いもよらない感想をたくさん話してくれました。
 君は普段あんまり人の輪の中にいる方じゃなくて、むしろ暇さえあれば一人で小説を読みふけっているようなタイプみたいだから、興奮気味な口調は意外に思えたけど、同時にその表現力には納得感もありました。
 君みたいな手紙が書けないのと同じように、君みたいに音楽の感動を言葉で表すことも、僕にとってはけっこう難しいことです。それを聞いていて、もし君が僕のチェロを聴いたらどんな感想をくれるんだろう、君があっと驚くような演奏をしてみたい、と強く思うようになりました。

 来年の十二月、また必ずニューヨークへ戻ります。うまくいけばもっと早くにでも。
 その時はチェロも持っていくから、是非何か聴いて欲しいです。君の好きなチャイコフスキーやシューマンも練習していくけど、やっぱり一曲目はバッハのプレリュードがいいかな。

 それまで、元気で待っていてください。

ありがとう
ヨハン・J・スーター



(見出し画像は、東京ディズニーシー・アメリカンウォーターフロントの一角、マクダックス・デパートメント・ストアの店内。ここは特に冬の時期の雰囲気が昔から大好きなエリアで、本作の舞台の着想元でもある。)

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