創作童話「月またぎ」
2月の終わりを舞台とした、即興の創作童話です。
(見出し画像は、以前作った版画の下絵の一部。)
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ある月の最後の日が終わって、次の月の最初の日が始まる。このとき、世の中のさまざまな機械が、月の数字をひとつ進め、日の数字を1に戻します。
実は人間も、知らず知らずのうちにこの「月またぎ」の作業をしています。想像していただくのは難しいかもしれませんが、前の月の船のいちばん後ろから、次の月の船のいちばん前のところへ、ひょいと飛び移るのです。そして、飛び移った先の船を一ヶ月かけて後ろまで歩いていくと、また次の船へ飛び移るのです。船と船の間の水面には夜空に浮かんだ月が映りますから、そういう意味でも月をまたぐかっこうになります。
たいていの人は、この月またぎを眠っている間に行います。たまたまその日に夜更かししたり徹夜したりしても、数日間は帳尻が合うようになっているので、心配ありません。
ですから、多くの人は、自分が月またぎをしていることには気づかないのです。
では、なぜ私が月またぎのことを知っているのか。それは、一度これに失敗してしまったことがあるからです。
どうやら、ごくごく稀に月またぎに失敗する人がいて、それはたいてい2月から3月に飛び移るときのようです。そこには4年に一度だけ「うるう日」という小舟が浮かべられて、船の間隔を調整するので、またぐ感覚を間違えやすいのだと私は思います。
あのときの私は、確かにいつもと少し違う様子でした。目の前の未来と、もう少し先の未来と、来るかどうかもわからない遠い未来に、それぞれ不安が現れていたのです。しかもそれらはすべて私が初めて出会う不安で、消し方も分からなければ、話し合って落ち着かせる方法さえわかりませんでした。体の方だって少し疲れていました。
そうしてふらふらと歩いているうちに、私は2月の船の端が近づいていることを忘れてしまいました。その上、数年前の2月29日、うるう日の小舟に乗ったときのことを、ぼんやりと思い出していました。すると、私は足を踏みはずし、あっという間に船から落ちてしまったのです。一瞬見えた夜空の月が、ぐるんと足の方へ逃げて、見えなくなりました。
私が落ちたのは、今年は使われないはずのうるう日の小舟でした。それは2月と3月の間のすき間に、宙づりになって、気づかれないようにひっそりと眠っていたのです。
ひどく頭を打ちつけて、私は小舟の上にしばらく横たわっていました。両脇の船から船へ飛び移る人影も、やがて途切れました。
(私は今、世界から忘れられているんだ。)
ぼうっとした頭が、ひとりでにそんなことを考えはじめました。
(誰も助けに来ない。誰も何ひとつ説明してくれない。)
それでも、心はどこか落ち着いていました。ここまでおかしなことが起きると、未来に待ち構えている不安なんてもはやあてにならないのですから。
(そもそも、ここは本当に「うるう日の小舟」なんだろうか?)
私は、その不安の方をちらりと見やりました。
(もしかしたら、この不安から一旦離れるために私が無意識に作った、隠れ穴ではないだろうか?)
大きな問題が刻々とこちらに迫ってくるとき、時間を止めたい、と言う人がいます。
(あるいは……私がその不安と向き合うために誰かが作った、落とし穴なんだろうか)
今ある問題を解決するためにはあまりにも時間が足りないとき、時間を止めたい、と言う人がいます。
(そもそも、私がこうして今ここにいるとき、時間は進んでいるのだろうか?)
目線の先に、白い月が小さく光り続けています。
ぐらぐらするような頭の痛みがひいてきたので、私は体を起こしました。辺りを見回すと、この小舟を吊るための太いロープが、両脇の船から垂れていることに気がつきました。なんとかこれを伝っていけば、3月の船に乗ることができるはずです。
私はぐっとロープをつかんで、なんとか体を持ち上げました。
(明日は友達に会う予定がある。明後日はアルバイトに行く。明々後日は旅行の準備をして、その次の日から旅行だ。あるはずのないうるう日にとどまっている訳にはいかない。)
ロープはしっかりしていて、私は自分が思っているよりもずっと早く、船の上を目指して進んでいきます。
(でも)
見えなくなっていたはずの不安が、ふいに頭をもたげました。その途端ぐらりと体が傾き、ロープを持つ手がずり落ちました。慌てて固く握った手のひらがひりひりします。心のどこかが、この小舟にいればいつまでも不安を押さえつけておくことができるぞ、と叫んでいます。
(でも、でも)
私はまた上を見つめて登りはじめました。
(私は戻らなくちゃいけない。明日を迎えなくちゃいけない。毎日毎日船の上を進んで、毎月毎月次の船へ飛び移っていかなくちゃいけない。だって私には、目の前の未来にやりたいことがある。もう少し先の未来にも、行きたい場所がある。来るかどうかもわからない遠い未来に、なりたい自分がある。)
結局私は、世界から完全に忘れられるまでうるう日の小舟の上にいるような覚悟は、できなかったのです。それだけは、どうしようもない人間だったのです。
船の上にたどり着いた頃には、もう月は空にいませんでした。まだ他の乗客たちは先頭にいて、話したり笑ったりしています。私もその輪に入ろうと思って一歩を踏み出しました。
そのとき、背後から一筋の光が船を照らしました。日の光です。
それがあまりにもあたたかく、やさしい光だったので、私はふっと体の力が抜けてしまい、船の床に倒れました。そしてそのまま、眠ってしまいました。
目が覚めると、それは3月1日の朝でした。いつもと何ひとつ変わらない朝でした。
私はその日見た不思議な夢のことを、いつまで経っても忘れることがありませんでした。
ですから、ある月の最後の日が終わって、次の月の最初の日が始まるとき、私たちがあの船の上で月またぎをしていることを、私は知っています。それがどんなに大変なことで、失敗するとどうなるか、そして、新しい日が来るというのがどれだけ不思議なことなのか。それを覚えている限り、私は未来を見つめて歩いていくしかないのです。
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