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スケッチ「ひと組のトランプ」

あぁ、店主さん、お久し振りです。

いいえ、今日は本を見に来たわけではないのです。買い取って頂きたいものがありまして。……いや、古本ではなくて、古道具の類というか。古本屋でありつつ、そういう類の買い取りもひっそりやっていらっしゃるといつもお話しなさっていたので。

はい。お見せいたします。このひと組のトランプです。

仰る通り、子どもの遊び道具というよりむしろ本業の手品師が愛用するような、有名店の品物です。種も仕掛けもない……と言いたいところですが、ほらここに、一枚だけ両面に裏側の模様が描かれたカードが混ざっています。ですが、それ以外に足りなかったり汚れていたりするカードは無いはずです。

えぇ、勿論、高く買っていただこうだなんて思ってはおりません。広く出回っている品ですから、二束三文の値段しかつかないでしょう。どちらかというと、店主さん、貴方にこのトランプを預かっていて頂きたいのです。お願いできますか。

……理由、ですか。お聞きになりますか。まぁ、大したことでは無いのですが、話すと少し……長くなるかもしれません。お聞きに、なりますか。

分かりました。お話しいたします。



以前お話した通り、私が新しくできた劇団の下っ端女優としてこの町に引っ越して来たのは、一年と少し前のことです。私は稽古の後に、劇場の隣にある古いレストランに通うようになりました。そこは昼間はいくらかひっそりとした佇まいをしていますが、夜になると、奥の方のテーブルに近所の若い劇団員やら踊り子やらが集まってきて、毎晩のように酒を飲みながら話に花を咲かせているのです。

はじめてその宴を見たとき、面白いところに来たものだ、と胸が高鳴ったのをよく覚えています。いくつかの小さなテーブルを囲んで、それぞれ楽しそうに笑ったり泣いたり考え込んだりしている人々を見渡していると、その中に叫ばれた一つの声が、ひと際高く耳に入りました。

「さあさあみなさん、ご注目。今夜ご覧にいれますのは、消えては現れる摩訶不思議なトランプ。まず初めに、そこの君、この中からカードを一枚お引きなさい。」

私と同じくらいの年頃の青年が、赤いマットをひいたテーブルにトランプを広げ、取り囲む数人の観客に手品を披露していました。私は好奇心でそのテーブルに近づき、五、六人の観客の後ろからこっそりと手品の様子を眺めていました。

彼の腕前は見事なものでした。私は手品に関しては全くの素人なので詳しい良し悪しは解りませんでしたが、ただ、驚くべきは彼の演技でした。観客を惹きつけ、楽しませ、そして驚かせるために、彼がとる身振り手振りや表情、いちいちの言葉の抑揚や声色。それらは私が舞台の上で表したい姿、ずっと追い求めていきたいと思う憧れの姿に、とてもよく似ているように思えたのです。

手品が終わると、彼は観客たちに感想を求めました。どうやら彼らは気心の知れた仲間同士であるようでした。勇気のない私は、近くのカウンターに席を取ると、喧騒の中から途切れ途切れ聞こえてくる彼らの会議にそれとなく耳を傾けながら、夕食を済ませました。

それから数日間、私は毎晩のようにレストランへ赴き、同じように彼らのテーブルを気にかけながら夕食を摂りました。そして一週間ほどたったある日、私は思い切ってそのテーブルに話しかけました。彼らは快く、新参者を受け入れてくれました。

あのテーブルには、実に色々な仕事を持った人々が集まっていました。例えば、劇場つきの楽団の新人奏者だとか、地元の新聞に芸術関連の寄稿をしている若手評論家だとか、動物曲芸師の卵だとか。当の彼は、飲み屋や芝居小屋で小銭を稼いでいる流しの手品師でした。誰もが町では少し変わり者で、しかし自分の仕事にはとにかくひたむきな人間でした。実を言うと私も劇団の仲間たちとあまり打ち解けていなかったものですから、ああして毎晩彼らと一緒にいられるのはとても心地が良かったのです。

私は彼らと好きな脚本家の話などでひとしきり盛り上がったあと、彼のトランプ手品を見たこと、女優の端くれとしてその演技に惹かれたことを、こっそりと打ち明けました。彼は少し照れながら、それはありがとう、と快活に言いました。

「そうだ、ちょうど最近できたばかりの新しい手品があるんだ。みんな、また感想を教えてくれるかな」

私は大きく頷きました。彼はトランプを箱から取り出すと、目を閉じて息を吸い込みました。次の瞬間、見開かれたその瞳が、私の目の前でランと光りました。

その手品は、カードを使ってひとつのストーリーを演じきる、全く新しい演目でした。彼は慣れない動作に手こずる場面もありながらも、より一層くるくると表情を変え、長い手指に神経を張り巡らせながら、鮮やかにカードを操り続けていました。全てが終わると、私たち観客は大きな拍手を送りました。そして、仲間たちは冷静な分析を交えつつ、感想を伝えていきました。私は、ただなにか物凄いものを見たような気分になって、素晴らしかった、と呟くことしかできませんでした。

あぁ、私は自分が思っている以上に、心が躍る、という体験を追い求めてしまう人間なのでしょう。今までそんな体験をひたすら演劇にだけ求めてきましたが、それだけ頑固だったからこそ、かえって、手品という似て非なる領域にあんなにも心を奪われてしまったのかも知れません。


それからも、私は足繫くレストランに通い、彼らと親睦を深めていきました。彼らとは時々昼間にどこかへ出かけたりもしましたし、反対にもっと夜遅くまで開いている店を見つけて夜更かししたりもしました。

彼は時々ふらりと顔を出しては、溌剌と喋ったり黙り込んで考えたりを繰り返すような人でした。

ある時、酔った私は彼の前で役者という仕事についての持論をつらつらと話していました。そういうとき彼は大抵何も言わず食事を続けているのですが、案外ちゃんと話を聞いていて、後になって自分の考えを伝えてくれるのです。しかもそれが私には思いもよらない内容だったりするので、私は彼の話をいちいち面白がって聞いていました。
「確かに君が言った通り、僕が手品の中で演じている個々の人物像は、僕自身の一面を切り取って作った仮面かもしれない。でも、それを言ったら、今こうして話している僕だって仮面だ。このレストランにいるときの僕と、家族や故郷の友人といるときの僕と、人前で手品を演じているときの僕は、それぞれ違う仮面を被っていると思う」
「へぇ。確かに……理解できるかもしれない。私はむしろ、自分がどこにいても、どんな役を演じていても、それは全て自分自身の延長線上にあると思う。樹木がいくら枝を伸ばして形を変えても、元を辿れば一本の幹でしかない、みたいな」
こんなとりとめのない話を、何時間も一生懸命にしていたものです。


かと思えば、彼は時々突飛なたとえ話を持ち出して、会話の流れを突然変えてきたりもしました。訊くと、手品の導入の小話に使えるから色々勉強している、とのことでした。

「なんだか、人間ってこの大富豪のカードみたいだ」
例えば、またある時、戯れに始めた大富豪の途中で、次の手を考えているように見えた彼が突然こんなことを言いました。
「……と、言うと?」
「相応の機会が訪れたり、相応の人間と巡り合ったりしたときに、一番の力を発揮することができる。3は最弱だが、スペードの3はジョーカーに勝る。似たもの同士のカードが4枚揃うようなことがあれば、革命だって起こせる。中途半端な8だって、使い道次第だ」
言いながらハートの8を出すと、うず高く積みあがった場のカードを慣れた手つきで片付けました。
「本当は、僕もテーブル上の手品だけじゃなくて、広い舞台で大掛かりな装置を使った手品をやってみたいんだ。老若男女、沢山の観客の視線を集めてさ。まぁ、僕にそんな機会を掴める力があるとは思えないけれど」
開き直ったように欠伸をする彼が、私には本当に哀しそうに見えました。やはり、手品を披露しているときの輝かしい表情が、彼のすべてだと錯覚してはいけなかったのです。あれは仮面の一つでした。だからといって、この哀しそうな目つきが彼の素顔だと思うのも正しくはありません。その夜、結局私は彼にかける言葉を見つけることができないまま、家路につきました。


さらに数か月が過ぎると、彼は段々とレストランに姿を見せなくなっていきました。最後に会ったときには、なんだかひどく疲れた様子で、私がろくに言葉も交わす機会もないまま去っていってしまいました。それにあの頃は、私自身も劇団の稽古でかなり忙しくしていました。

あれは確か、土曜日のことだったと思います。私がひとりで近所をぶらついていると、たまたまサーカステントの裏を通りかかりました。随分前からあるけれどそういえば入ったことはないな、とぼんやり考えていると、裏口で出番を待っている団員たちの声に、聞き覚えのある口上が混じっているのを感じました。私ははっとしてそちらに首を伸ばしましたが、そのときテントの中から出番を終えたピエロたちがどっと出てきたので、声の主を見分けることはできませんでした。私は急いで表へまわり、チケットを買って、歓声の鳴り止まないテントの中へ歩み入りました。

テントの中は押すな押すなの大盛況でした。ブラスバンドの絢爛な音楽が、高い天井に反響してどこからともなく降ってきます。なんとか舞台が見えるところまで進んだとき、会場の照明が一気に暗くなり、舞台中央をスポットライトが照らしました。音楽がひっそりと止み、観客も息を潜めました。

「さあさあみなさん、ご注目。今夜ご覧にいれますのは、華麗なる魔法のひととき。この真っ赤なテントの中を、隅から隅まで、驚きに満たしてみせましょう!」

その姿は、紛れもなく彼でした。一張羅と帽子を悠々と着こなし、見たこともない大きな道具を操りながら次々と手品を披露する彼は、まるで夢でも見ているかのように燦然と輝いていました。拡声器を通したその声が身体を揺さぶり、私は息の仕方も分からなくなるほどでした。


興行が終わり、私は観客の波に乗ってテントを後にしました。段々と人影がまばらになっていくと、熱に浮かされたような気分も落ち着き、私は何度も深呼吸をしました。角を曲がって大通りから外れたとき、私は、涙を流しはじめました。

自分でも、はじめはどうして泣き出したのか分かりませんでした。ただ、とぼとぼ歩きながら心をまさぐっていると、どうやらそれは哀しみの涙だと解ってきました。

そうです、白状します、私は哀しかったのです。彼がめっきり現れなくなったのは、いつの間にか彼が大人気のサーカスに入団していたからだったのです。彼は遂に夢を叶えたのです。きっともう、少なくともしばらくのうちは、彼が熱心に研究していたトランプの手品を目の前で見ることはできないでしょう。見ることができたところで、その瞳の輝きは、私が憧れたそれとは違うものになっているでしょう。私は私を恨みました。彼の幸せを心から喜ぶことのできない自分を恨みました。彼を輝かしい存在だと半ば崇めていながら、同時に自分と同じところに立つしがない人間であって欲しいなどと願っていた私が、醜くてなりません。あぁ、滑稽だ、滑稽だ。

……はは、そう言っていたらまた涙が出てきてしまいましたね。ごめんなさい。どうかお気になさらないでください、自分でもどうしようもないものですから。


あれ以来、私は彼と会っていません。サーカスも見に行っていません。今でも時々あのレストランには顔を出しますし、仲間たちとも親しくしていますから、うまくやっていそうだという噂は耳にしています。私は私で、先月は遂に大好きなある短編の演目で主役をもらって、今までにないくらい楽しく演じきりました。仲間たちのうちの何人かも見に来てくれて嬉しかったのですが、やはり、彼の姿を見かけることはありませんでした。

とはいえ、仮に会う機会があったところで、私は彼とどんな話をすれば良いのか分りません。なんだか、このまま思い出に閉じ込めてしまうのが良いようにさえ思えてきます。最後がどうであれ、彼の演技が私の憧れだったことに変わりはないのですから。

それで、このトランプを売りに来ました。彼と知り合って少し経った頃に、簡単な手品を教わるために買ったものなのです。店主さん、いつも良くしてくださる貴方を見込んでお願いいたします。どんな安値でも良いのです、どうかこれを預かっては頂けませんか。いつかきっと、二倍、いや三倍の値段で買い戻しに来ますから。


……あぁ。本当に、ありがとうございます。




(見出し画像は、メディテレーニアンハーバーの入り口付近をフィルムカメラで撮った写真。トランプやサーカステントを映した写真が手元に無かったので、雰囲気で。)

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