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いつでも自分は好きだから。

noteを書いても記事を振り返る習慣はあまりなくて、書いてはまた書いてを繰り返している。

いまぼくがnoteに書いた記事は178個。他の媒体を合わせたらもう少し増えるかもしれないけれど、意外と書いていることに気づく。

1ヶ月前に書いた記事を読みたくて探すと、根本的なスタンスは今とあまり変わっていなかったことを確認した。

たった30日では変わらないだろうと思いながらも時代の変化の早さは並ではないので、自分もその早さについていけているのか知りたかった。

思考の変化を時代と同列で並べることは違うかもしれないが、自分が大切にしたいと思う価値観だったので、不変であればいいなと思った。

ちなみに、今日の西野さんのサロンの投稿はぼくら若い人を中心に向けられたもので、その温かさと強さに心が感極まった。

西野さんに限らずとも、分野ごとに頑張っている人はたくさんいて、日に当たってなかったり、黙々と取り組んでいたり、背中で語るタイプが多い。

ぼくはTwitterが好きだし、SNSが好きだし、活動や発信はしたい派だけど、それが全てじゃない。

つい承認欲求に駆られてしまうこともあるけれど、本質は人とのつながりのはず。

時間や場所を超えて届くツールが生まれ、いつでもどこでも届けることができる。

ツールなので、活かすも殺すも発信者次第になる。ツールは人を選ばないから。良いニュースも悪いニュースも生まれる。

せっかく使うのであれば、ぼくはいい方向に使いたい。良心とか偽善とか言われてもそれでいいと思っている。

多分ぼくはこっちの方がお得だから、で選んでいる気がする。喜んでもらえた方が嬉しいし、やってよかったと思える。

正義感で動くひともいるだろう。親や親しい人から教え込まれた話を継いでいくひと。それも一つの動機。

「あなたがなぜそれをするのか 」って気になりますね。ひとそれぞれで違うと思うし、抱えている背景も広く深い気がして。

いま別の媒体で自分の一生を遡ってなるべく書き出してみているのですが、書ききれません。自分でも書いたことのないくらいの文字数に。1万字はあったような。

何をして何を感じて、どうなろうと思ったのか。

後付けされた虚構の理由より、当時のシンプルな心境を尋ねてみたい。

だからぼくはいま、こうして今を刻んでいるのかもしれない。

ありのまま、今しかない感情を閉じ込めたくて。

15歳の自分から届いた手紙は、それを書いた記憶を思い出せてもその心までは思い出せなかった。

当時はなぜそんなことを思ったの?
聞きたいけど、当時の自分はもう自分の中にはいない。

今の自分があるのは過去の自分がいるから。
わかってるけど、過去の自分の声を聞いてみたいなと思うことも。

変わりやすい時代と心だからこそ、変わらない自分を愛して抱きしめたいのかなと。変わらない自分をいつまでもリスペクトして。

変わっていいし、変わらなくてもいい。いつでも自分は好きだから。

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