ロマンを求めなくて何が人生だ

僕はゲームが好きだ。
メタルギアソリッド、クラッシュバンディクー、モンスターハンター、ラチェット&クランク、キングダムハーツ。

男の子であれば誰しも聞いたことはあるだろうし、実際にプレイしたこともあるタイトルばかりだろう。
僕も小さい頃はずっとゲームばかりしていた。
友達と同じゲームをして、進度を報告しあったり、攻略法を教えたり教わったりするのが本当に楽しかった。

しかし、僕はある時からぱったりゲームをしなくなった。

ゲームをするくらいなら勉強した方がいいんじゃないかとか、その分働いたらお金がもらえるとか。
多分、大学生になったくらいから損得で物事を考えるようになってしまった。

それは今でも変わっていない。
エンジニアやデザインの勉強も楽しいからやっているとは自信をもって言えない。
楽しいとは感じているが、どちらかというと、「これはやっていて価値がある」と思えるからやれている。

ネガティブな意味では無い。
エンジニアやデザインの勉強も仕事というゴール(将来性)があるからできるのであって、それがなかったらゲームと同じくできないかもしれないと思っているから。

逆に言えば、ゲームをすることが仕事に繋がるのなら、僕は喜んで毎日ゲームをしていると思う。
なぜならゲームをするという行為が将来に繋がっているからだ。

僕はいつからかゴールや合理性、将来性を感じなければ物事に取り組めない体質になってしまった。
合理性という縄で自分を縛って、将来性というインスタントな言葉で自分を洗脳している。

でも、友達の一言がそれら全てを解放してくれた。

「それってロマンないよな」

コーヒーについて話していた時である。

ミルを買ってきて豆から挽いてみようかと思った。
でもインスタントのコーヒーも十分美味しいし、本当に美味しいコーヒーが飲みたいならカフェに行けばいい話だ。
豆を探しに行くこと、豆の重さを計ること、ミルで豆を挽くこと、お湯の温度を測ること、ミルを掃除すること。
色々考えるとめんどくさいし時間がもったいないと、そんな風に考えていた。

「それってロマンないよな」

確かにそうだ。
効率ばかり考えて何が楽しいのだろう。

僕たちは効率のために生きているのではない。
その先に何があるかなんて考える必要はないんじゃないか。

合理性を追い求めるなら、死んだ方がマシだとすら思える。
人間は生きてる時点でコスパが悪い。

面白そうだ。
楽しそうだ。
やってみたらどうなるんだろう。

そんなロマンを感じたのなら、将来性なんて気にしないで自分の心にしたがってやってみればいい。

“Never let the future disturb you - you will meet it with the same weapons of reason and mind that, today, guard you against the present...”

「未来のことで悩むことはない - 未来には、今日のあなたが現在の問題に対処するために使っている理性と心の力で向かい合えるだろう。」

マルクス・アウレリウス 『自省録』より

メタルギアソリッドを本気でプレイしたおかげで、世界情勢や軍事•政治に興味をもって勉強するきっかけになった。
キングダムハーツを本気でプレイしたおかげで、英語への抵抗がなくなったし、単語を覚えるきっかけになった。

後付けで過去を美化することなんていくらでもできる。

一生懸命取り組めば無駄なことなんて一つもないんだ。

今を必死に生きること。
それこそが未来につながることなんだ。

ロマンを求めなくて何が人生だ。

この人生をロマンで溢れたものにするために、僕は全力で今にぶつかることに決めた。


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