風変わりな作品二点に就て~勝手に芥川研究(番外編)
現在、私は芥川龍之介の作品年表を作成しています。底本は岩波書店の全集(全二五巻)です。サクッと検索できるものが一つあった方が私も芥川ファンも便利というのが理由です。ネット上に既にあるのですが、小品や短歌、詩歌など欠けているものが多いのですべてを網羅したものを作成しようと思っています。作成途上で、読んでいない詩歌や随筆、ちょっとしたメモ(noteで書くような軽いもの)を振り返るのにも丁度良いのです。
そのようなメモというか今風に言えばエッセイでしょうか、小品を早速見つけてとても不思議に思ったのが次の作品です。
風変わりな作品二点に就て
青空文庫へのリンクを貼っておきました。岩波書店の全集では一三巻163頁に収録されています。普及版の全集では「風変りな作品に就いて」というタイトルになっています。
これは「文章往来」という雑誌に大正一五年一月に掲載された小品で、読めば分かるとおり、「奉教人の死」と「きりしとほろ上人伝」の二作について自らの考察を述べています。この二作、特に後者は、芥川が相当自信を持って書いたもので、それらを批評する観点からこの小品を読む人が多いでしょう。
ただ私が注目したいのは、最後の三節です。
驚きませんか。過剰気味とさえ思える自信と作家としての気力に満ちあふれています。こんな芥川は他に見たことがありません。
しかし、現実には大正一五年(昭和元年)には神経衰弱が甚だしく、肉体もボロボロで、この年の四月に小穴隆一に自殺の決意を告げており、この時期の芥川はいわゆる「晩年から死」の時期にあたるのです。
すると一体このような生気と自信にあふれた芥川の言葉はどこから出たのでしょうか。斎藤茂吉の制止も聞かず、薬が増える一方だったので、一種の躁状態だったのでしょうか。そこが私にはさっぱりわからないので、今回の芥川研究は「番外編」とさせていただいたのです。
今回は、簡単ですが、驚くべき芥川の一面を紹介しました。年表を作りながら、その背景についてもう少し調べてみたいと思いますので、番外編ということでご容赦ください。
それではまた!
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