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日常に潜む光と影~海外渡航雑記

いずれも一九八〇年代のことであるから、現在と齟齬があるかもしれない…


ドイツ銀行の裏道

一九八五年冬、フランクフルトは大雪でトランクを引きずってホテルから目と鼻の先だというのにメインストリートを歩くだけでも大変だった。目的地はドイツ銀行。やっとの思いでたどり着いたが荘厳な建物を見上げるだけで「天下のドイツ銀行」の風格に気圧された。その日は、ドイツ銀行で欧州通貨統合(マルクやフランなどの「ユーロ」への移行)に関する会議に出席する予定だった。
会議が終わったあと、お洒落な商店街を見て回った。そのときに、狭い路地越しに隣の通りが見えた。興味本位で少し覗いてみた。
麻薬中毒者、アル中、売春婦、乞食… 周囲に散乱する空き缶や瓶。見るからに怪しげな物売り(おそらく麻薬の売人だろう)。みすぼらしい身なり、痩せこけた頬とぎらっと光る目で徘徊する姿があちこちにあった。わたしは怖くなって慌ててメインストリートに戻った。再び雪道で彩られた美しい街並みとそびえたつドイツ銀行が目に入った。
通りが一筋違うだけで、天国と地獄くらいの差がある。
天国の住人は地獄には立ち寄らない。
地獄の住人も天国には近づかない。
暗黙の了解のうちに両者は成り立っていた。
文字通り光と陰がごくわずかな距離で隣り合っていた。
ドイツ人は日本人に優しく温かいし、気質も似ている。デュッセルドルフに長期滞在してたとき心底そう思った。
だたフランクフルトは怖い。
いやどこも日常はこういうものかもしれない。


ブリュッセルの飾り窓

ブリュッセルは美しい街だ。
雨が降っても小雨なので傘はいらない。
上着を羽織っていれば十分だし、むしろ濡れた石畳がかえって美しく見える。
石畳の歩道を彩る様々な建物も歳を重ねた壮麗さと素朴さが同居していて、東京やニューヨークのような派手さはいっさいない。
何より歩いている人がほとんどいない。
そもそも人口が少ないのだ。
もともとヨーロッパは、かつてペストで大量に人が死んだので日本や米国と比べて人口密度が低いが、ブリュッセルは特に人が少ないと感じた。そう言うと死人の街のように思うかもしれないが、石畳にしてもステンドグラスにしても街のたたずまいがあまりに美しいので歩いていて不快な気持ちは全くしない。
しかしあの場所だけは別である。
あの場所とは駅近くの繁華街にある飾り窓だ。
いわゆる風俗街だが、ベルギーでは売春が公認されているため、夜になると繁華街でいっせいに飾り窓が開く。
遠くから見ると赤く照らし出された硝子に影絵のように女性の肢体がうねり、年数を重ねて壮麗さを増した建物とあいまって耽美的な美しさを醸し出す。照明が赤いのは肌が美しく見えるからだと言う。近寄ると女性たちが硝子の向こうから手招きで客引きをする。
確かに美しい。デカダンで世紀末的な美しさがそこにはある。
乱歩や夢野久作の作品から抜きとったような世界が繰り広げられている。
わたしは日本でもいっさい風俗には行かないので飾り窓の中については一切知らないが、駐在していた日本人には結構利用している人もいたようだ。
だが果たして世の中に好きで売春婦になる女性がいるだろうか。
すべてが貧困や身売りや闇組織絡みとは言わない。他に食べる方法はいくらでもあるのに貞操感覚が薄くて手っ取り早く風俗業で儲けようと考えるひともいるだろう。それは否定しない。しかしそれでも、好きで飾り窓に立つ女がいるとはわたしにはどうしても思えない。だからそれを利用しようという気にはならない。
だから外から眺めるだけである。
眺めるだけなら、確かに美しい。
だが何か無性に悲しい。
美しさと悲しさが同居している。
そんな気持ちになるのはわたしだけではあるまい。


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