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早すぎたメタバース~セカンドライフで恋をした

2007年あたりの1、2年間、SecondLifeという仮想空間が大流行したことを覚えている方いますか?
わたしは2007年に数十年住んでいた横浜から大阪に帰郷したばかりで、友人もおらず、なじみの店もない孤独な状態のころでした。そんなときに、テレビでセカンドライフの宣伝を見てやっていみようと思ったのがきっかけです。何しろガイドブックまで出版されてましたからね。すごいブームでした。幸い仕事柄、PCだけは割とハイスペックなマシンを持っていましたし、今のような高速でないにしろ、ネット環境も整っていましたのですぐにプレイできたのです。

セカンドライフは金がかかる、それが衰退した一因と語る記事もありますがそれは少し違うと思います。まず基本無料でしたし、当時は大ブームでしたので和洋問わずアバターのスキン、衣服、乗り物その他、大半のアイテムはフリーで手に入りました。また、一定時間居るとリンデンドル(インゲーム通貨)が手に入る場所があちこちにあったり、カジノもありましたので、無料で十分遊べたのです。
ただ、住む場所だけは別で有料でした。ひとつはSIMと呼ばれるユーザーの不動産の区画を月額いくらで借りて済む方法。日本人ユーザーのSIMがいくつもできていましたがそれぞれ個性があったし当然日本人が集まるのでコミュニケーションも楽で多くの日本人はそのどこかを借りたのではないでしょうか。
もうひとつは、メインランドと呼ばれるリンデン運営の土地を借りる方法。これは運営が用意している不変の土地なので先のSIMのように家主ユーザーの都合で消えることがないです。ただ、ほとんど外国人しか周囲にいませんので初心者には厳しいでしょう。

わたしの場合は、最初に日本人のSado(だったか?)シムを借りて家を建てて住みました。そこのシムの住人とすぐに仲良くなり、一番長くつきあうことになりますが皆親切でしたねえ。なかにはすごいクリエイターがいて、大儲けしていました(セカンドライフでは、ゲーム内で稼いだ金をリアルマネーに換金できます)。
隣人のひとりは女の子で花屋さん。この子はリアルでいくつかはわからないけど(本当に女性かもわかりませんが笑)その後の言動から当時は多分学生。花を3Dモデリングで作って売りながら、ゲーム内の大学で数学その他の勉強をしていました。賢くてとても面倒見のよい子でよく遊んでくれましたね。


デートもしてくれました

この子に恋心を抱いたことはないですが、二人でよく遊びました。最初はボイチャもなかったしテキストチャットだけ。それでもスクリプトでぎゅっと抱きしめてきて「驚いた?」とか聞いてきたときはドキドキしたから不思議なものです。仮想空間なのに本当に肌に触れたような感じになって。

セカンドライフはゲームではないのでクエストもなければ目標みたいなものは何もありません。3Dモデリングとスクリプトでユーザーが遊び場を作り出します。
当時流行っていたのはまず剣術。刀もいくつか種類がありましたが、わたしは「灰」ともうひとつ(名前忘れた)シンプルな赤い刀を使ってそこそこ強かったと思います。操作はWASDキーボードとマウスのみ。海外サーバーですので外国人相手では速度で勝てないですけどね。賞金が出る大会なんかもありましたし、あちこちの道場に行って対戦していました。



剣術は、広さが決まった道場で、タイマン勝負。刀によって個性があり、動き(スクリプト)が違うため、クセを見抜かないと勝てません。必殺技(炎を吹くやつとか)もありますが、スキが生まれるので強い人は使わなかったですね。
剣術道場で知り合った人も多く、引退するというので送別会やったりもしました。深夜の2時頃かな。すごい夜ふかしでしたよ。

(左端がわたしですが、次郎長をモチーフにして剣術勝負のときには自分で作ったこの姿でやっておりました。画像が粗いのはパフォーマンスを上げるために最低画質に落としているためです。今のセカンドライフは人は少ないものの風景はすごくきれいですね)

ヨットも好きでした。リアルでは一切興味ありませんが、この世界ではヨットでメインランドを周遊したり、レースしたり色々楽しみました。お気に入りのヨットはこれ。


恋の話に戻します。
初めて借りたSIMだけではもの足らず、「京都幕末」と言われる、まさにその時代を再現した日本人SIMにも土地を借ります。そこでは雰囲気を壊さないように時代にあわせた服装その他が求められていましたね。家主がいい人でよくしてくれました。いつのまにか新選組も立ち上がっていて、わたしも仲間になったような(覚えていない)。日本古来の風情が珍しいのか、外国人が訪れることも多く、たくさんのお店ができて毎日大繁盛でした。壬生寺はあるし、五重の塔もあったかな?とにかく町並みが美しくて長く住んでました。当然呉服屋とか着物を作って販売しているひとも多かったですね。

(新選組での飲み会)

わたしはといえば儲けようなんてこれっぽちも思っていないので、遊んでばかり。特に「遊郭」ができてからはそこによく遊びにいきました。セカンドライフはアダルトコンテンツアリなのですが、ここでの遊郭は女性が接待してくれておしゃべりをしたり、舞を魅せてくれるだけです。この時点ではまだ小さな規模でしたが、どんどん遊女?が増えていき、シムを移し、巨大な遊郭「爆蘭」ができます。
この爆蘭には特に思い入れがあります。
まず、最初の小さな遊郭だった頃に京都幕末シムを訪れた女の子がいて、街をぶらぶら歩いていた遊び人のわたしに「遊郭はどこですか」と聞いてきたのが始まり。「ちょうど行くところだよ」といって、連れて行ったら「遊女」になりたかったらしくそのままそこで働くことに。それがその子と初めての出会いだったのですが、そこから爆蘭はどんどん大きくなるわけで、遊女も増えて、階級も上がって、いつのまにかその子は花魁(トップ)になるわけです。遊郭は指名制で、お店に行って指名して接待してもらうんですが当然人気のある子はなかなか指名できなかったりします。ただその子は最初にわたしに案内してもらったことをずっと恩に思ってくれていて、どんなに間をあけても忙しくてもつきあってくれるんですよね。花魁引退のときには、しばらく顔を出していなかったにも関わらず、引退式のお手伝いまでささせてもらったし、終わった後にしばらく二人でデートしたりしていました。仮想空間とはいえ、人と人なのですごくうれしかったし、花魁引退でたぶんセカンドライフは引退だろうと思ったので悲しかったのをよく覚えています。そのとき送った写真集がこれ。

最後のページのみ公開します。
これがひとつめの仮想空間での恋です。別れ際に切なく悲しい思いをするのは初めてでした。もう自分も引退しようかなーと思ってました。
しかし、おもしろいのはそこからで、引退式の後のデート中に、まだ新しい遊女の一人からメールが入ります。「わたしのお客になってください」みたいな内容の(笑)。
聞いてみると、一番人気の花魁が引退したことでもう店に来なくなってしまうのではないかと思ったらしく、引き止めたかったようです。わたしはそのあたりがとてもかわいく思えて以降はその子の常連さんになります。
またその子がいい子でね(笑)。ちょっと天然入っているところがまた可愛らしい。そして長くつきあっていくうちにやはり恋に近い気持ちになります。2人目ですね(笑)

わたしはいつも右目にモノクルをつけていてそれがトレードマーク。このモノクルは自分で作ったものです。それにしても今見ると恥ずかしいくらいでれでれしてますなあ。いい歳をしたおっさんが遊郭通いして(笑)。

結婚したひともいるんですよね。リアルはどうかわかりませんが。確かにオンラインゲームで知り合って本当に結婚するカップルもいますよね?驚くことはないかな。結婚式に参列することもしばしばでしたよ。

わたしはといえば剣術以外にライブ配信していました。
セカンドライフ内で音楽ライブをしている方がたくさんいました。全盛期には一部のプロもしていたはずです。ぼくは下手っぴですが、それでも弾き語りみたいな感じで何度かやりました。ポスター作って宣伝して、仮想空間といっても目の前に客がいるので緊張しますし、結構大変ですよ。そのころはまだリアルの歌酒場を見つけていない頃でしたので、自分の歌やギターをライブで聞いてもらうには配信しか手がなかったのです。
例えばこの曲などはライブ音源です。

わたしのレベルはこんなものですが、すごいひとたちがたくさんいましたう
ね。
うちのライブ会場兼住居。手作りです。


ちなみに住居(土地)はメインランドにも買いました。一番セカンドライフに浸っていたころは、最初のSIMであるSado、京都幕末SIM、その他にメインランド2個所に土地を持ち、メインランドについては、建売ではないので一から住居を自分で建築しました。そのころには、それくらいの技術や知識はありましたね。

建築中の家


ヨットでメインランド周遊

なかなか美しい世界です。

しかしブームは過ぎ去り、インするひとも少なくなります。遊郭も客がどんどん減っていって、仲良くしていたさきほどの遊女さんも花魁に出世したもののお客は少なくて、すぐに引退しました。わたしも2010年頃からはあまりインしなくなりました。仮想空間の恋も自然消滅。
今も一年に数回インしますが、格段に画質その他のクオリティは上がっていますが、人がいないですね。まあオンゲがいっぱいあるので、メタバースじゃなくても例えばFF14あたりで集まれば友人できますもんね。
ただ、わたしもいくつかMMORPGやっていますが、他のプレイヤーと恋に落ちるほどの没入感は味わえないですね。セカンドライフは、決められた目的がないだけに人との繋がりが濃かったように思います。

それにしてもあれから20年近く経つんだなあ。高校生がプレイしていてもう中年。中年のわたしがプレイしていたのでもう老齢(笑)。今となっては良い思い出です。

最後にわたしがSecondLIfeにインスパイアされて創ったオリジナルソングを掲載して記事を終えます。

それではまた!

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