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46歳でうつ病になって失ったもの

先日書いた記事はこちらになります。

色々とトラブルがあり、昨年5月以降、仕事に手がつかない状況になりました。

昨年の5月より仕事していません。仕事を渇望しています

その「色々とトラブル」のうちの一つが、うつ病。
5月のあるギリギリのタイミングまで、ある業務を前向きにこなしてきました。
その後、なし崩し的に壊れていきます。
それはバスの「とまります」ボタンを押したかのようにして始まり、押されたバスかのように止まり始めました。

収入源となる仕事が断たれた

そのボタンを押して、これまで激務だった仕事から、まったく受託仕事の無い状況へ激変しました。収入源となる仕事を失ったのです。
毎朝のようにコワーキングスペースに出勤し、机に向かっても即身仏のように固まり何も出来ずに夕方を迎える。そんな日の繰り返しでした。
時には眠気が強烈で、コワーキングスペースの床に寝そべって寝てしまうことも多々。
平均して1日のうちの半日ぐらいが何も出来ないまま過ごしていた時間となります。

事業の中止と仲間の離脱

僕が経営する会社では自主事業の開発もありました。それの実現に向けて、補助金の申請に奔走したり、ミーティングなども繰り返しました。
しかしながら、最大のパートナーであったはずの仲間から「開発をやめよう」と提言されます。
これにはショックでした。

開発に向けた補助金の申請のタイミングは、先述の激務の受託仕事と同時進行していて、ある意味死に物狂いで取り組んで来たものでした。そんな状況で走ってきたところにそう言われたことでポキっと何かが折れたかのように、崩れ去ります。信頼していた仲間からの一言で、自ら立ち上げた自主事業を失ったのです。
これはある意味会社を立ち上げた理由、目標的なものを失ったのとほぼ同じ意味でその後の活動の方向性もまったく見えなくなってきました。

そして、経営方針の対立から、役員が抜けることになります。
一緒にやっていく仲間も失いました。

転職活動不採用続きから自信喪失状態

仕事を失ったのだから、何か仕事を取りにいかなければ、という状態になります。
会社を畳んでどこかの会社員になる、ということも含めてあらゆる方向性を検討していました。

しかしながら、そううまくはいかないものです。
転職エージェント等に登録して、応募を繰り返すものの、書類選考でお祈りメールを多数受けたり、一次面接に行っても、年齢のことがひっかかっているようで、そこで落とされたりもしました。

そんな中で読んだ記事の次の一節で、まさしく自分自身の状況を表しているなという部分がこちら。

*人生への空虚感、過去自分のして来た事に対する無価値感等が強くなる。真っ暗な出口のないトンネルの中を延々と彷徨っているような気分になる。

中年の危機、45歳定年時代のセカンドキャリア模索の手引き(その1):兆候、症状、最初に意識しておくべき対応策。

自信喪失も当然ながら、真っ暗な出口のないトンネルの中を延々と彷徨っているような気分になっていました。
自分にとって、何が正解か分からない状態になります。次にやるべきことが思いつかずに日がどんどんと経過していきした。

年齢は不可逆要素

あらゆるものを失いましたが、1番失って大きいものは時間かもしれません。
時間だけはどうがんばっても取り返すことが出来ないものだからです。

気がついたら46になっていました。46という年齢で転職活動は不利になることを痛感しています。これはどれだけ努力しても覆すことのできない、要素です。

また、年齢を重ねることで、体力、気力、あらゆるものが衰えてきます。リスクをとってのチャレンジにも慎重にならざるを得ません。

喪失感溢れ、そしてこれ以上若返ることが無い今、どうすべきか悩んでいます。1ヶ月寝かしていたからといって状況が改善するとは思えません。
一方、何から手を付けて良いのか、というのも見えていません。

ひとつ言えることは「動く」ということですが、まずは「書く」ということしか今は思いつかなくて、noteにひたすら書き綴っています。

また、明日改めて書いていきたいと思います。

読んでくださり、ありがとうございます。