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超当たり前ワールド

幼い頃は公園に遊びに行くのも、ご飯を食べるのも、行ったことのないはじめましての場所を歩くのも全ての明度が高く新鮮な心持ちだった。

いつからだろう。

それが当たり前の公園、当たり前のご飯、当たり前の場所にそれぞれ姿を変えたのは。
それは決して悪いことではなく、それだけ世界に僕が中和しているということ。慣れとはそういうもの一種である。

もしもその当たり前に対し摩擦を感じたのなら、その当たり前は恐らく悪い世界線か、自身の目に合わない眼鏡を掛けている状態。
当たり前からの脱出を試んでも良いのかもしれない。視点を変えるとか、生活基盤を取り替えるとか。空気の入れ替えだけでも行ったほうが良いかも。

そんなことも相まって日常に幼い頃の様な新鮮な
トキメキを感じるには、高い技術が必要になってくる。だっていつもの公園に行ってもドキドキはしないから。

僕にはそういう時に使う裏技がある。

まずは日常に敬意を払うことが先決だ。
嘘でもいい、自分の中で当たり前の日々に頭を下げる。場所や他人や環境に。感情は後から勝手についてくるからとりあえず頭を下げておく。
それが終わったらあとは簡単。


当たり前に【超】を付け加えるだけ。


【超公園】
公園は子供達に様々な経験と学びを与え、大人達に憩いを与える。そういう能力を持った超空間。
都会のオアシスにもなり、田舎の価値も上げる。
超エンタメパークだ。

【超ご飯】
生物が生きるのに絶対不可欠なもの。
そのうえに美味しさという概念を持ち、
僕達はそれにもこだわる。作るにもひとてま掛かるうえに愛情まで混入することもある。
パッと済ませたお惣菜やインスタントも企業努力の賜物だ。まさしく超感謝飯。

【超はじめましての場所】
たとえそれが近所の普段通らなかった道であったとしても、観たことの無い壁面や看板、知らないカフェや知らない一軒家。それは全て新しい自分への第一歩なのかもしれない。
もちろん旅行先や出張先の遠いはじめましても、
全ては新たな気づきを与えてくれる超受信帯。
僕はそれにただアンテナを向けるだけ。
その時はなにも感じなかったとしても時間差で生きるヒントをくれる。

超すごい渦の中を僕はいつも歩いている。

超月
超道
超猫
超ココロ

生きているだけでみんな超すごいし、
なにかを想ったり、考えたりするだけでも超偉い。

幼い頃とはまた違う明度とフィルターで
新鮮さを与えてくれるのが当たり前の中にはある。
僕はそれに従順でありたいと思い歩く。
それが僕にとって大切なことであり、物事の原点を
教えてくれる好奇心のプロローグでもあるんだ。
だから僕は今日も超生きている。


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