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桜が桜として、のびのび咲くために
おはようございます
花冷えの朝です
今朝は痩せ我慢しないで、冬のコートに戻しました
寒さで体が固まって、肩凝りがひどくなったのもあります
この季節になると、たくさんの桜を目にし、桜の四季を人生にたとえたりする人もいます
私自身も50という年を考えると、夏の青々とした葉の時期はとうにおえて、落葉の季節に差し掛かってきた頃かと
でも1シーズンの桜に例えると、私はもう花を咲かすことはないわけで、ちょっと違和感あり、違うな
そう、私は一本の桜の木なのかも
桜として生まれて、苗木として大切に両親のもと育てられて、手に仕事をもち、いよいよ若木ながらもいい花をつけて、あるお庭に植えられた
でもそのお庭の管理人は、自分の理想の庭にうえた桜を、自分の理想通りになるように、せっかく出た花芽のついた枝を剪定した
形のよく整えるつもりが、毎年花も咲かせられないくらいに幹だけそだち、幹からちょこっとつける花で、桜とわかる程度に桜として生きていた
いつも春が来る度に、私もこの庭でなければ、もっと花をつけられるのに、もっと大きく枝を広げられるのにと、周りの景色をみるのがつらくて、いつしか春が来るのを忘れようとし、自分が桜であることも忘れようと努力していた
それでも季節はめぐり、夏は日陰を作り、秋は葉を落として、土の養分になり、その庭でできる精一杯を過ごしていた
外から見た庭は、いたって普通で、綺麗にみえていたから、そんな桜の思いは、誰にも気がつかれずに気がつけば20年以上がたっていた…
あるとき、庭が崩壊した
管理人が急にいなくなり、桜は取り残された
桜であることを忘れていたから、咲くことも、枝を伸ばすことも、葉をたくさんたくわえることも、そして秋になったら、その葉を落とすことも、桜として生きることを思い出すまでに、時間がかかる
…1シーズン目はおそるおそる
私、また桜として生きていいんだろうか…と
自分を信じられずにいた
…2シーズン目、1シーズン目よりもすこし長くなった枝にたくさんの花が咲いた
また桜として生きられる喜びがすこし復活した
そして、3シーズン目
さらに、桜として咲くこと、咲けることに自信を持ち、堂々と咲くことができる
今年の桜がまぶしく、光って見えるのは、偶然ではない
きっと復帰して3シーズン目の春は、さらに枝振りもよく、たくさんの花のつぼみをつけ、開花を自分が一番楽しみに待っている
そして今年はだめでも、また次の春に向けて、日々成長していくのだろう
だって元は桜なのだから
桜として生きていくのが普通のことで、むしろ健全なのだから。
…と私の人生振り返って思ったのでした
そして息子はやはり桜の子なので、桜として生きていくことを選んで、日々成長している
来年の春、彼も桜が咲きますように、同じ空き地で肩をならべて生きていくのが楽しみです
…桜として生まれてよかった~⤴️…
そして、おまえ、忘れてるかもしれないけど、立派な桜だぜ、知らなかったの?と、気づかせてくれた院長に、改めて感謝の春です🌸
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