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この国の資本主義が、なくしそうになってるもの

コロナで大打撃を受けた着物業界

コロナで学校がストップしたのが3月。たしか9月の卒入を視野に入れた検討がはじまったころだったと思う。わたしも「それ、有りかも」なんて思っていたひとりでした。ちょうどそのころ。なじみの悉皆屋(和裁屋さん)から電話がかかってきた。6月末で店をたたむという。ものすごいショックでした。たくさんのお針子さんたち、ザ・職人さんたちを何人も抱えた老舗だったので。

しっかいや 悉皆屋: もともとは、染物・洗い張りを業とする人。その店。ですが、仕立てから汚れたとき、こまったこと、着物のことなら何でも面倒を見てくれる、何でも屋さんです。

その和裁屋さんは10数年ほど前、ネットで探して電話をして始まったような個人のおつきあいでした。私は自分でオークションなどで手に入れた着物を直してもらったり仕立ててもらったり、小口のおつきあいでしたが。ものすごいショック。

着物リサイクル大手「たんす屋」も民事再生が決まったとニュースになっていた直後の話でした。大手に勤めるお友達からも数店舗クローズのニュース・・・。卒入シーズンは着物屋さんにとって成人式なんかには比べものにならないくらい、かき入れ時。そこでコロナ、です。着物リサイクル大手「たんす屋」も民事再生が決まったとニュースになっていた直後の話でした。大手に勤めるお友達からも数店舗クローズのニュース・・・。卒入シーズンは着物屋さんにとって成人式なんかには比べものにならないくらい、かき入れ時。そこでコロナ、です。

着物文化は張りぼてではないよね

もう着物を着るひとがいない。業界でずいぶん長く言われてきたことです。呉服店の商売の仕方もよくなかった、ようで。そこから独立起業し職人とマーケットを適正価格でつなぐ!と現在も奮闘している知人もいます。でもやっぱり着物からどんどん人は、離れていく。職人さんも、廃業をしつづけている。でコロナが、実質上その「後押し」をしてしまった。

その原因の多くは、利益を追い求めるが故のアウトソージングでしょう。着物は薬九層売なのだと聞いたことがありますが、実際着物って、ものすごい「分業」なんです。

くすり-くそうばい【薬九層倍】 暴利をむさぼるたとえ。 薬の売値は原価よりはるかに高く、儲もうけが大きいこと。 薬は売値が非常に高く、原価の九倍もするという意から。でもじっさい、そのくらい間に人がはいっている、という意味でも使われているようです。

糸をとって反物にして、染色、糊ひき、色載せ、刺繍・・・専門家ではありませんが、とにかくすごい職人さんの手を経て店に並ぶ。そこが高コストなので、「ごっそり」海外にアウトソーシングする、というビジネスモデルがほとんどになってしまった。その和裁屋さんも言っていました。「かなわない」と。だれも”継げない&継いではいけない”状況を世の中の資本主義が作ってしまった。

その和裁屋さんの「手縫い」はもちろん日本人のお針子さんですが、大手呉服店の手縫いは「ベトナムのそれ」であると。ベトナムはすごく多いです。刺繍のレベルもハンパなく高い。そして安い。

利潤を追い求めた私たちが、未来に残せないもの

利潤を追い求める、それが資本主義。それを追い求めた結果、200年つづいた和裁屋さんが倒産する。五代つづいた暖簾を下ろす。なんだかたまらなく悲しくなりました。着物文化に残すべき未来はもうない、と言われたようだったから。資本主義により、のこすべき無形有形の文化がないがしろにされた。それでいいはずがない。のに。わたしはそのことに対して、とてもやるせない思いでいまもいる。でもわたしひとりでは、なにもできない。いまだって「ただ見てるだけ」だ。

着物を嫌いな人など見たことがない

個人にできることはそう多くなくて。私は今年に入り、着物をなるべく着ることにしようと決めた。私の着る着物は、「よそいき」ではない。「生活のための着物」だ。だからホテルにも歌舞伎観劇にもそぐわない。それがワンピースなら、わたしのはジーパンに近いものだから。

だから着物で遊びにでる。赤提灯に飲みにも行く。でも、やっぱり目立つからゴメンネって気持ちで「スナックことり」の名刺も作った。

どうしてそこまでするの。って思う。けれど、私はフォークロアにあふれた着物がただ好きなだけなのだ。織りや染めに地域の色が出て、どこかの誰かが(きっとたくさんの職人や女性たちが)工夫と知恵で口伝されていった着物というこの国で生まれ育った衣類だけがもつバックグラウンドが好きだ。反物をいっさいムダにしない精巧な組み立て、スーツケースで持ち運んでもしわのできない折り紙のようなたたみ方。着物にだけ宿る美しい所作。背中がしゃんと伸びる感じも。正絹だけがつくる柔らかな衣擦れの音も。ひとつ残らず、未来に残す価値あるものだと信じている。

なので、わたしはまだちっともあきらめてない。この死ぬほど学びの多い、そしてものすごい綿密に計算されつくした「あたまのいい着るもの」を、ゆくゆくは義務教育にのせたいと思っている。

だって日本人にいちばん似合う着るもの、それが着物だから。

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