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夜逃げのサンタクロース

初めて福岡に来た4年前、最初に感じた違いは匂いだった。
クレヨンしんちゃん屈指の感動作と名高い「オトナ帝国の逆襲」で登場した"懐かしい匂い"はあくまでフィクションの産物かもしれないが、街や時代にそれぞれ固有の匂いがあるのは確かだと思う。日の光や風の柔らかさ、等間隔に並んだ街路樹。住み始めて間もない頃は少しの違いが新鮮に感じた一方、どこか地に足がつかないようにも感じて、何かと小さなことで一喜一憂を繰り返した気がする。
送別会・徹夜明け、自宅までの帰路の中、鼻腔を抜ける穏やかな冬風がそんなことを思い出させてた。澄んだ快晴が気持ちいい。随分昔のことなのに、瞬間、昨日のことよりずっと鮮明に光った。時に匂いは文字や写真より記憶を雄弁に語る。もっとざっくり言うなら、気分はドルガバに瑛人なのだ。

・・・

正午、バタバタであったものの諸々の手続きが済み、福岡から発つ準備ができた。空っぽに戻った部屋を見渡した時、一番に暮らしの終わりを感じることを知ったのが今日の新発見で嬉しい。そんな小さな喜びを噛み締める最中、自分のやらかしにも気づいていく。歴代、退去2日前に家具を倒して拳サイズの穴が空いたり、荷造りで奔走する最中にZ世代はTVを捨てるかどうかで取材を受けたり、得てしてスムーズな退去を体験したことのない自分だが、今回のミスは単純で明快。想像よりずっとが荷物ある。百足が冬を凌げるとほどの大量の靴下や罰ゲームで愛用した下駄など、明らかに荷物が多い。どうやら自分の「計画性」という言葉は、最初の三画くらいで頓挫しているらしく、結果的に右手にカバンとお土産、ディスプレイアーム、左手には45ℓのゴミ袋に詰められた有象無象とパンパンに膨れたスーツケース、そして背中のリュックには、知床で購入した鮭のぬいぐるみが悠々とぶら下がっている。およそ右手に10kg,左手に15kg,両肩に10kg程度、合わせれば自分1/2分の重さだろうか。心なしかいつもより道ゆく人と目が合う機会が多い。全身に重さを感じ、重心が定まらないなか(傍から見たら夜逃げだなあ…12月だからサンタクロースとか思ってくれないかなあ)とバカなことを考えていた。いったい何でこうなるんだろう。振り返れば間違いなく赤信号ラインのはずだが、いつだって後悔は先導してくれないのだ。
またいつかの未来、そんな去り際の時に今日の匂いを思い出すのだろうか、そんなことを考えた京都までの帰り道だった。



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