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にじバラ炎上にみる『全肯定』の弊害【土壌としての全肯定文化・遠因としての全肯定】

なにやらにじバラの最新回が炎上していますね。

麸を作っている会社に取材に行き、麩菓子や焼き麸を実際に作っている様をVTRで観ながらライバー達がコメントしていく、という内容。
その中での鷹宮リオンイブラヒムの発言、態度が問題視されて炎上している。

取材先の社長が「麩菓子をもっと広めるために、贈答品などへの需要を獲得するための商品作りを行っている。」という旨の発言とともに、カラフルで様々な味のついた麩菓子の紹介をするというくだりがあったのだが、そのVTR終了後に鷹宮リオンが「正直マカロン欲しいけどね」と発言したり、その後に社長の奥さんが麸の需要を高めるために研究しているという麸を使った料理を披露するというVTRの放映中には、鷹宮リオンとイブラヒムの二人がVTRを観ずに全く関係ない話で盛り上がるというような事があり(同じく出演していた星川サラと夢追翔に関しては、強く軌道修正を促す事こそしなかったが、それなりに映像は観ていた印象)、こういった言動があまりにも失礼であるとして視聴者からの批判が噴出、本人やえにから公式が謝罪するという事態になった。

しかし、この謝罪がさらなる炎上の火種になってしまった。
公式の謝罪文に関しては特に問題は無いのだが、当の本人達の謝罪の仕方が非常にマズかった。

ご覧の有様である。
鷹宮リオンの方は如何せん的を外しているというか、事態を軽く見ている印象があるし、イブラヒムに関してはもうそういう次元の話ではない。
飲み会に遅れてきた奴でももう少しまともに謝るだろう。

当然彼らのこの謝罪に対しても批判のリプライやツイートが多数されたわけだが、これもまた当然といった具合に散見されるのが、ファンによる擁護の声だ。
(これに関しては、申し訳ないが該当のツイートのリプ欄などで自分の目で確かめてみてほしい。
抜粋してくる事も考えたが、どうしても自分視点で特に酷いと感じる発言を選んで拾ってきてしまう事で過剰に悪い印象を与えてしまう可能性が強いと思ったので、今回は控えさせてもらった。)

この件に関して何故擁護のコメントが出るのだろうか?
番組に協力していただいた企業に対してタレントが無礼を働き、さらに不誠実な謝罪を行ったのだ。
擁護などする余地があるわけがない。
自らの非を認めさせ反省を促す事こそ必要で、それを妨げかねない擁護など、不必要どころか有害とすら言える。

勘違いが生まれそうなので言及しておくが、ここでいう“自らの非を認めさせ反省を促す事”というのはもちろん、「叩け」という意味ではない
ファンは怒っている、不信感や不快感をおぼえている、あなたの言動には問題がある。そういう事をしっかりとした言葉で、正しい方法で伝えるという事だ。
例として仮に書くなら、

「相手方に対してあれだけ失礼な事をしておいてその謝罪はありえない。誠意が足りない以前に、自分のやった事の問題点も正しく認識出来ていないように見える。今後も番組や配信を続けていくというのであれば、まずその態度や自覚の無さを改めるべき。」

ファンであるというなら、これくらいは言ってしまっていい。好きだと言うなら、これくらい言ってあげるべきだ。
「これからも応援したいから、今回の事はしっかり反省してほしい。」
硬すぎるというのであれば、こういう言葉を添えれば幾分か柔らかくなり、ファンの真摯な気持ちである事も伝わりやすいだろう。

しかしそうはせず、あまつさえただ擁護する。

何故か?

そもそも推し以外の都合や気持ちなんてどうでも良くて、そうする方が楽で、頭を使わなくてよくて、自分が悪者にならずにすんで、自分が優しい人間だと思えて気持ち良くなれるからだ。

そういう層が増え、幅を利かせ、批判は不要だと声高に叫び、批判を口にする人間をアンチだと叩く。
そうして作られた空気の中でライバーを甘やかし、反省や試行錯誤の機会を奪う

その積み重ねの結果が、今回のような失態である。

そしてこれがタイトルにも書いた、『土壌としての全肯定文化・遠因としての全肯定』だ。


▪『土壌としての全肯定文化・遠因としての全肯定』

「こいつまた全肯定の話してる。」
「なんでもかんでも全肯定が悪いって言えばいいと思ってるだろ。」
「お前こそ思考停止だろ。」

前回前々回のnoteを読んでくれた人の中には、こういうふうに思った人もいるかもしれない。
そういう人も一旦、ちゃんと説明するのでもう少し我慢して話を聞いてほしい。

上記のようなファンの行いがライバーの成長の機会を奪い、それによって今回のような失態が起きると書いたが、もちろん悪いのは失態をしたライバー本人だ。そこは間違いない。
仮に本人が「ファンが甘やかすからなんです〜」などと言ったところで、それこそ相手にする人間はいないだろう。

では何故全肯定を、それを行うファンを、有害とまで言って批判するのか。
それは、

全肯定が常態化する事によって作られた甘やかされすぎる土壌が、Vtuberのあらゆる失態や怠慢、腐敗の遠因になるからだ。

遠因というのは簡単に言うと、起きた事に対しての直接の原因ではないが、そこに間接的に関わっている事柄のことだ。
例え話で説明するなら、
不平等による不満が爆発して起きた民衆同士の衝突。その中で片側の陣営に死者が出たとする。
この死者が出てしまった直接の原因はもちろん手を下した犯人だが、そもそも不平等などなければこんな争いは起きなかった。
この場合の不平等が、遠因にあたる。

全肯定を是とするファンが作る土壌が、ライバーのプロ意識であったり表現者としての意識であったりというものを低下させ、その結果失態を犯す。失敗する。
そうして起きたトラブルの原因を、その時になっていかにライバー自身や他のものに押し付けたところで、その遠因は確実に『全肯定』にある。

やらかしたのはあいつだから、あいつが余計な事をしたから、あいつが大人気ない事を大袈裟に言うから。

そういう目の前にある直接的な原因にばかり目を向けて、責任を押し付けて、その上でどれだけ一番悪いのは自分じゃないからと自分を正当化したところで、その状況の一端を生み出した責任は全肯定に逃げたファンにもある。
一番悪いやつだけが悪いわけじゃない。
一番悪いやつだけを罰してもそれはその場しのぎにしかならない。
二番目に悪いやつも、三番目に悪いやつも、自分を省みて反省しなければ、根本的な解決にはならない。
そういう当事者意識を持つことが出来れば、全肯定なんていう思考停止の自己満足に逃げるような真似は出来ないはずだ。


この話は、「Vtuberなんて暇潰しで観てるだけで、どうなってもいいしつまんなくなったら観なくなるだけ。」というタイプの層に向けて言っている訳ではない。
Vtuberの〇〇が大好きで、自分の事のように応援していて。
Vtuberという文化が好きで、発展や盛り上がりを本当に楽しみにしていて。
そういう、Vtuber界にある種の居場所を見出しているような人間に向けての想いだ。

好きだと言うなら、在り続けてほしいと思うなら、今一度こういう事についても考えてみてほしい。


読みづらいところや分かりづらいところもあったかもしれませんが、ここまで読んでくれてありがとうございました。
感想や意見、反論などあったら是非、コメントしていってください。

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