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その『全肯定』、間違ってない?〈Vtuber界特有の空気・批判の否定〉

▪桐生ココの語る、全肯定(?)

もう先月の話になってしまうが、Twitterを見ているとこういうツイートが流れてきた。

言わずと知れた桐生ココが、リスナーからの悩み相談に答える中で「推しに対して全肯定ではダメなのか?」という内容のマシュマロに対して語っている場面を切り抜いたものだ。

寝坊等による遅刻、予定していた配信の中止、そういった事が起きた時にファン達が「いっぱい寝れてえらい。」「また次楽しみにしてるよ。」といったようにミスやトラブルに言及することなく肯定的なメッセージだけを送る事を『全肯定』と呼び、批判する人がいる。
『全肯定』はダメなのでしょうか?

簡単にまとめるとこういった内容の相談だ。
これに対して桐生ココは

『もし本人が「寝坊した」と言っていたとしても、本当は裏では別な事が起きているかもしれない。それは聞いている方にはわからない。わからない以上、それを叱ったり批判したりする事は、私はしない。』

こういうふうに回答している。(後半部分は、件のツイートに添付された切り抜きには含まれていない。)
これに関しては、桐生ココらしい懐の深い優しい考え方でとても良いものだと思う。
(個人的にはそもそも「寝坊した」などと言わず、「詳しくは言えないが事情があって」「体調が悪くて」などの詳細までは言及しない説明をした方が効果的なのでは?と思うが、それこそ彼女も「私は」と個人的な意見であると明言しているように、これはそれぞれのものさしの違い程度の話である。)

繰り返すが、彼女のこの考え方は良いものだと思う。思うのだが。

これ、『全肯定の是非』とはちょっと違う話だよね。

と思ったのだ。
彼女自身この話の中で「全肯定に関して良いとか悪いとかは言わないんだけど。」と言っているので、彼女もそこは別の話であると認識して話しているのは間違いない。

なので、『全肯定はダメか、という悩みについての会長の言葉』としてこの話が切り抜かれ、取り上げられている事に違和感があった。
違和感があったというか、「これだと誤解を招くだろ。ちゃんと会長の話の意味をわかってるのか?」と少しイラッとしたというのが正直なところだ。

とはいえ、Twitterで他人の発言に少し苛立つくらいの事は日常茶飯事である。わざわざnoteでダラダラと長文を書いてまで批判する程の事ではないし、したところでただ自分自身が狭量な人間である事を衆目の前に晒すだけの事である。

だというのに何故今回この話を取り上げているのかと言うと、このツイートそのものではなく、このツイートについて言及したとあるツイートの方に大きな問題があると思ったからだ。


▪その理屈はおかしい

これが問題のツイートである。

いや、そのりくつはおかしい。

この方は「俺個人の考え方だけど」と言ってはいるが、筆者がいちオタクとして界隈を見ている感覚として、こういう考え方はVtuberファンの中でかなりの市民権を得ていると感じている。
内心どうかはともかくとして、表立ったスタンスとしてはおそらく事実としてそうだろう。

これ、おかしくない?

それぞれに人格があって、意思があって、アレな話中の人がいて、そういう特殊性があると言っても大前提として“エンタメ”でしょ?“コンテンツ”でしょ?

収益化してる人に関しては言ってしまえば商品だよ?

エンタメやコンテンツ、ましてや商品に対して、ダメなとこをダメって言う声が不要な訳ないだろ。
それがあるからコンテンツは良くなっていけるんだよ。

傷付くからマイナスな事は言わないなんていうのは、優しいどころかむしろ表現者を馬鹿にしてる。
それを表現者側が求めてるなら、それはエンターテインメントを馬鹿にしてる。


すいません、突然大声を出しました。

ただこれ、落ち着いて考えてみてください。
これって当たり前の事じゃないですか?

小説や漫画、アニメやゲーム、ドラマや映画
役者、芸人、アーティスト、タレント
ニコ生主、ゲーム実況者、歌い手、YouTuber

全部そうじゃないですか?
良いものには良い、悪いものには悪い、そういうフィードバックがあるからコンテンツというものは成長していける。


▪何故こうなったのか

じゃあ何故、Vtuberではこんなにもマイナス意見が悪であるとされているのか。

お気持ち文化があるからです。

Vtuber同士の交流が多く、結び付きが強いからです。

そもそも自分が表現者であるという自覚も矜恃もないVtuberが多いからです。

自分に都合の悪い事を、道理や倫理の上で悪い事であるとすりかえるVtuberが多いからです。

可愛かったりかっこよかったりする見た目や、そういうロールプレイを見ていると庇いたくなるからです。

配信者側がやたらとルールでファンを縛りたがるからです。
そしてそれを見たファンもそれに疑問を持たず、同じ事を言い始めるからです。

自分で頭を使う事をせず、ただ長いものに巻かれ、流れに身を任せるだけの人間が多いからです。

リスナーや同業者、その他色々なものからの攻撃で疲弊し、潰されるVtuberを見てきているからです。

そしてなにより

批評と誹謗中傷の区別もつかず、物事を正しく理解する事も出来ず、正しい伝え方や言葉選びも出来ず、そのくせ声だけは大きいオタクがあまりにも多いからです。

彼等の発言やVtuberへの攻撃を体験したり見かけたりすれば、批判的な意見そのものへの抵抗が大きくなっても無理はありません。
傍目に過剰に見えるほどの防衛をしても仕方がないのでしょう。


​▪どうするべきなのか、どうしたいのか

当然これらが自分の個人的な感覚であり意見である事は間違いありません。
ですが、そこまで大きく外してはいないのではないでしょうか?
今のVtuber界に満ちている空気の内訳は、概ねこういった感じになっていると思います。

そしてこのような状況なので当然、コンテンツの成長に有用なはずの批判的な意見は目に耳に入りづらくなっています。受け入れ難くなっています。

これは絶対にどうにかしないといけない。
というより、どうにかしたい。そう思っています。

自分はVtuberという文化が本当に好きです。
しかしそれは、夢やこだわりを持った人がVtuberという世界を通じて自己を実現し、自己を表現する。大望を成就させる。
そういう輝きを見せてくれるVtuber界が好きであるという話です。
決して、矜持のない人間が安い欲求を満たす世界が見たい訳ではありません。

Vtuber界がそういった世界であるためには、賞賛も批判も活動の肥やしにし、いつでも前に上に次に進んでいく貪欲な姿勢こそが素晴らしい、かっこいい、そういう空気を作っていかなければいけません。そういう価値観が強く支持される世界でなければいけません。

これを読んで、「いやそれお前の個人的な願望やんけ。」と思った人もいるでしょう。
「結局自分の価値観を押し付けようとしてるだけやんけ。」と呆れた人もいるでしょう。

そのとおりです。

Vtuberという最高に面白い文化は、最高に面白いエンタメと共にあってこそであるというのが、自分のVtuberに対する願望であり、こだわりです。
そのこだわりを実現するためには、このまま黙って文句を垂れながら界隈を眺めているだけではダメだと思ったからこそ、このnoteを書いていますし、自分自身がその世界の実現のために具体的に行動するべきだと考えました。

と、いうわけで。

自分がこのnoteに書いたようなVtuber界に対するモヤモヤした想い、意見、アイデア。
今起きている事、言われている事に対しての批判、反論。
はたまた、注目しているVtuberや面白いムーヴメント等。
そういったものをメールとして送ってもらって、皆で共有して意見を深めたり、面白い人やものを発掘したり応援したり。
そういった事をするためのラジオ番組を始めました。

今はまだ友人や数少ないリスナーに支えてもらっている弱小番組ですが、活動を続けて少しづつでもチャンネルを大きくしていき、「なにやらすみっこの方でガヤガヤ言ってる奴らが居るぞ。なんだあいつら。」と認識される範囲をどんどん拡大していきたいと思っています。

なにも自分の思想でVtuber界隈を染めたいなんて事を思っているわけじゃありません。
ただ、Vtuber界をよりよくしたいと思って発された意見が無視されないための、少しでも届くための電波塔的存在になれたらと思っています。


長くなりましたが、もしこの考えに共感してくれたり、共感までいかずとも少しでも面白みを感じてくれたっていう人がいたら、是非ラジオにメールを送るなり聴きに来るなりコメントするなりしてくれると嬉しいです。

ここまで読んでくれてありがとうございました。

最後にメールフォームとYouTubeチャンネルのリンクを貼っておきます。

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