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得意なことこそ、がんばれない。涙

先日、町内会の運動会のリレー競技で爆走してきました。

本気で走ったのは、中高生ぶりです。

私はもともと足が速く、幼少期は、いつもクラス代表のリレー選手に選ばれていました。さすがに高校生になると陸上部の生徒に負けていましたが、中学生まではいつもリレー選手でした。

およそ25年ぶりに走りましたが、走れすぎてびっくりしました。

私は常々家族に、「私は私が速いんだよ。」と言ってきました。夫はあまり信じていなかったらしく、本当に早かったのでなぜか引いてしまったと言っていました。

25年ぶりでしたが、ぜひリレーに出たいと思い、自ら立候補しました。人生の半分以上のブランクですが、なぜか自信がありました。
走り出した瞬間から、何も考えずに体が勝手に動きました。

本当に無で走り抜け、すごく楽しかったです。

振り返ればいつもそうでした。走り方を習ったこともないし、走る練習をしたこともありません。でも、毎年運動会になると走れます。
速いです。DNAレベルで走り方を知っているという感覚と言えます。

あれ?陸上部にでも入ってればすごい選手になったんじゃないか?と今更ながら思いました。

親友が陸上部で一生懸命走っている間、私は吹奏楽部で一生懸命フルートを吹いていました。

下手でした。フルートはどんなに練習しても上手くなりませんでした。上手くなりそうだとさえ感じられませんでした。正直そんなに好きではありませんでした。
少なくとも、走ったあとのような全身から湧き出る喜び!みたいな感覚を持ったことはありません。


なぜなんでしょう?
走ることに関しては、何一つ練習しなくても速く走れる自信があります。速く走れる感覚しかありません。そして気持ちのよさを知っている。

なのに、どうして中学校の3年間、できないことを練習し続けてきたんでしょうか。フルートだけじゃありません。チェロもピアノも、できないできない言いながら練習して、やっぱりできませんでした。いやいややっていました。

いま中学生に戻れるなら、陸上部に入るだろうか。と考えてみます。

悩みます。

勇気が出ません。

書きながら、いまハッとしました。
「練習してないのに速い」という言い訳が、私を守ってくれていたんだと気づきました。

冒頭で書いたように、高校生にもなると、陸上部で本格的に走り込んでいる人には勝てなくなりました。

でも、その時も「陸上部じゃないのにすごいね。」という言い訳を含んだ褒め言葉を受けられる喜びがありました。

もし陸上部に入って、今より速く走れなかったら•••。
そんな不安がよぎります。もしも負けてしまって、「いやー、久しぶりに走ったからね。」という言い訳が使えなかったら•••。

恐怖です。

だから今まで、【苦手で、そこまで好きでは無いけど、そこそこ興味があるもの】に手を出し続けてきたんだと思います。

得意だと信じていることの本当のレベルを知ること、できると思っていることができないかもしれないということ。それってすごく怖いことだなと思いました。

でも、その怖さに立ち向かった人が、得意なことで好きなことで自分のポテンシャルを最大限に生かしていけるんだと思います。

なかなか残酷な自分の小ささに気づいてしまいました。

茫然自失。

あおやま みさき

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