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私の当たり前の普通の家族

物心ついた頃から父親の仕事が休みの日曜日は朝から閉店までパチンコ屋にいた。

私には一つ下に妹がいて、だから1日の殆どを妹と2人、車の中か、パチンコ屋の中か、近くのショッピングセンター的なところで時間を潰した。
お昼ご飯はお金を渡されるので、2人で買いに行き車の中で食べた。

父も母もパチンコに勝てば機嫌が良くなる。
帰りの車の中、いつもは喧嘩しかしない2人が仲良く話をする。
だから私は、閉店間際になると父や母の隣の席に座り、祈っていた。
お願いします。たくさん出してください。と。

小学生にもなると車のエンジンをかけることができるようになった、
車のキーを預かり、私たちは車の出入りだけでなくエアコンもつけたり消したりできるようになった。

私にとって、これが普通だった。
当たり前の休日で何も不思議なことではなかった。
とにかく2人には機嫌良くいて欲しかった。
罵り合う言葉を聞きたくなかった。
暴れて物を壊す音を聞きたくなかった。
暴力的な言葉や脅迫的な言葉も聞きたくなかった。
夫婦喧嘩を見たくなかった。
だから、せめて日曜日ぐらいパチンコに勝って平穏な夜を過ごしたかった。

普通とか当たり前とか自分もよく使うけど、自分にとっての「普通」や「当たり前」だよね。
そう、だから「ふつう」だった。

そんな「普通」を持った私は今の旦那と出会い再婚したことで「普通」じゃないことを知った。

子供への愛情を言葉にして伝えること。
ギュッとハグすること。
この、たった二つのことだけを見ても、私にとっては現実味のないドラマの中での演出。
現実にそんなことがあるなんて、とても不思議で恥ずかしくておかしな感覚だった。
そんな環境で育った旦那はとても素直で優しい。
今では旦那のおかげで、子供たちをハグすることも、大好きだよって言葉で伝えることも、私の「当たり前」になった。
手を繋ぐこともそう。
私は親と手を繋いだ記憶も、物心ついてから抱っこしてもらった記憶もない。
愛情表現は皆無だった。

バカじゃない?
が、母の口癖。
今でも。

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