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【ss】四つめの部屋
その部屋の鍵は、僕の十八回目の夏だった。それも、ひまわりや入道雲やスイカから見放された夏じゃなきゃいけなかった。
「誕生日おめでとう。十七のきみにお悔やみ申し上げます」
「上げてから目一杯落とすのやめて」
ヤヤコはチケット売り場のカウンター越しに煙草を揺らしながら、この場所に似合わぬほどハツラツに笑っている。存在自体が日陰のようなこの渋い映画館で彼女はいつも浮いていた。頬の横に短く切り揃えられた黒髪が妖しく艶っぽい雰囲気を漂わせても、発言と行動で全てが霞むほど残念な大人になりたがっている。少し前にこう言っていた。「駄目になるために人生であらゆる調整をしてきた」
僕はそれがヤヤコにとてもぴったりだと思ったのを覚えている。
「きみが大人料金に変わるくらいの頃からここの手伝いをしてきたけどさ、まさか誕生日当日にここに来るくらい本当の映画人間だったとは流石に驚くよ」
「ヤヤコが言ったんでしょ」
「なぁに。夏休みで誰にも祝って貰えなくて寂しかろうて……な?」
映倫では、あらゆる世代に映画を楽しんでいただけるよう、四つの区分を設けています。
「四つめのシアターになったんだ、今」
「え?」
「ここは上映室が一個しか無い。で、きみの記念すべきR18+、最後の区分。ここまで来たんだよ」
貸し切りの札を出したヤヤコの表情が悪戯っぽく新しい煙草に吸い付く。肺胞を痛めつける煙でひと呼吸して、ふう、と切れ長の瞳を細めた。
「誕生日おめでとう」
ちょっと彼女にしてはしっかりして言うもんだから、本人すら可笑しいと言わんばかりに笑ってしまう。
「で、何が見たい? えっちなやつか?」
「えっちなやつが見たい。ヤヤコのオススメのえっちなやつが見たい」
「映画人間とかじゃなくてただのエロガキかい」
「まさしく」
「よし、任せな」
席に着くと、程なくして映画泥棒の激しいロックが体中に響き渡る。早くえっちなのが見たいな。ヤヤコの映画チョイスはまるで歩く名画座だから。
「こんな大号泣して出てくるとは思わなかった……」
「最高だっただろう?」
映画は最高だった。クスリと笑えてじんわり沁みて、美しくて残酷で軽くて、熱いドラマがあって、怖くてグロくてでも泣けて、ちゃんとえっちだった。
「僕の誕生以来の感動だ……」
「親が泣くぞ」
ヤヤコはシアターから出てきた僕にティッシュ箱を寄越しながら笑う。
「わたしの好きな映画の内の一つだ」
「渾身の一撃だった……」
「ありがとよ」
まるで、主人公にピッタリの武器を定め付ける目利きの商人のようでかっこよかった。
「四つめの部屋はさ、進めるし戻れるから」
「うん……」
「映画は巻き戻せるけど、人生は一秒前にすら遡れない。だから好きだ。ままならなくて好きだ」
ヤヤコがカウンターに肘をついて、寂しい顔で言った。
「次は二十歳になったら、煙草とお酒と映画でわたしと一緒に駄目になろうよ」
「しっかり駄目になるように頑張る……」
「いいぞ。今日は気が済むまで泣いてから帰れ」
この劇場が更地になるまで、僕の1,800円は駄目代をアクトするんだ。四つめの部屋のセンチメンタルに襲われながら、止まらない涙でしっとりしたティッシュを作り続けるしかなかった。馬鹿みたいに強い冷風しか吐かないクーラーにあてられて、僕は大事なものを学んでは落としていく。ちょっぴり映画みたいで、なんかいい。
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