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渋沢栄一 社会人二年目

皆様、お疲れ様です。今日お仕事だった方、すんごくお疲れ様です。

さて、今回は2024年に新札として1万円、5000円、1000円の紙幣(日本銀行券)として発行される1万円の顔「日本の資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一についてお話をさせて頂きます( 一一)

・渋沢栄一って誰ですか?

・出身地:武蔵国血洗島(現在の埼玉県深谷市)
・生年月日:1840年3月16日
・死亡年月日:1931年11月11日(92歳)

天保11年(1840)に豪農の息子として生まれた渋沢は、若年期には討幕を志すほど血気盛んな青年でした。

しかし、生まれ故郷である埼玉を離れ京都へ向かうと一橋慶喜(徳川慶喜)に見出され、討幕どころか幕臣としてその才覚を発揮していきました。

渋沢は慶喜に仕える傍ら、海外にも積極的に留学しています。
こうした海外への渡航経験が、後々に日本が資本主義国家へと成長していく過程で大きく生きることになります。

帰国後の渋沢は明治維新に際して日本の新しい政治体制を支えるべく大蔵省に出仕し、慶喜のもとで鍛えられた財政面の知識と留学の経験を生かして活躍を見せます。

大蔵省では、国立銀行条例の制定などに活躍しました。
しかし、渋沢がその本領を発揮するのは明治6年(1873)に大蔵省を辞め、民間人となってからのことです( 一一)

・なぜ今頃になって選ばれたの?

まず、お札の肖像画に選ばれる人の理由として、
日本国民が世界に誇られる人物で、教科書に載っているなど、一般によく知られていること( 一一)
偽造防止の目的から、なるべく精密な人物像の写真や絵画を入手できる人物であること。となっていますね( 一一)

現在のお札は、明治以降に活躍した人から選ばれています。
資本主義の父と呼ばれ、日本初の銀行「第一国立銀行」を作るなど近代経に多大な影響を与えた功績も大きいでしょう。

・偉業と貢献

1・銀行の設立
『銀行の神様』と呼ばれる渋沢栄一。
第一国立銀行を設立し、頭取となっています。
その後も数々の銀行設立に関わっています。
Bankを銀行と訳したのも渋沢栄一と言われています。
2・会社の設立
東京海上保険・王子製紙。
日本最初の株式会社でもある商法会所を作ったのも渋沢栄一です。
生涯で500以上もの会社を設立にかかわっているともいわれてます。
3・教育事業
女子教育をすすめる(日本女子大学校)を設立を支援し、校長も務めています。
その他一ツ橋大学の設立にも関与してます
4・社会事業の尽力
実業による私利は公益に資するべきであるとの一貫した主張があり、
慈善社会事業にも尽力しました。
東京養育園にはとくに力をそそいでいます。
5・国際交流に力を入れる
青い目の人形の取り組みです。日本とアメリカの子どもたちがたがいの国の人形をおくりあうというもので、日本側の受け入れ窓口を務めました。民間レベルでの交流を通し、世界との友好を深めたいと考えたのです。

とまあ、すんごい人なんだなと言うことがおわかりいただけただろうか。
一万円札の代名詞としてはやはり福沢諭吉先生かなと思いますが、今後はこの渋沢栄一がスタートなっていくんだろうな( 一一)

では皆さん、明日のためにゆっくりお休みください。ばい

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