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ペキンのはなし

私が小学生の頃、ペキンと呼ばれているおじさんが居た。あだ名だが、なぜペキンなのか、どういう由来でペキンなのかは全くわからない。だれも知らないけれど彼はペキンと呼ばれていた。

白髪交じりのオールバックで肩につくくらいの長髪は、いつも後ろに無造作になでつけられていた。肌は浅黒く、作業着のようなズボンに、いつも下駄を履いていた。肌着のようなシャツに肩からはタオルをかけていて、恰幅がよかった。

ペキンは空地に住んでいていつもギラギラと目を光らせて、自分の土地に誰か入って来ようもんなら、大声で怒鳴り散らし追いかけた。

その空地は民家に挟まれた小さな土地で、おそらく端の方にテントかトタンか何かで家を作って住んでいたのだろうが、通学路の通り道にあるその空地を、私は怖くてのぞき込んだりはできなかったので、家を確認したことも、家から飛び出してきたところも見たことがなく、見たときにはもう怒鳴りながら人を追いかけていたり、空地の入り口に車を停めて子供を迎えに来た父兄に
「誰の土地だとおもっとんじゃい」
とすごんでいたりして、断片的にしか彼の姿を見たことがない。

自分の土地への侵入者が子供であってもペキンは容赦しなかったが、こちらが何もしなければ特に何も言ってきたりはしなかった。でも身体も声も大きく大きな目をギラギラさせて怒っている彼が、私はただただ怖かった。

しかし、当時の小学生男子は無敵だった。

同じ学年ではなかったが、何人かの小学生男子はペキンに挑んでいた。

「ペッキーン!!イエーイ!!」
「こ、このやろう!まてーーーーー!!」

空地にわざと侵入し、彼を挑発しては走って逃げ切るのだ。ペキンも若くはないが身体は強そうで足も速かったので見ているこちらもひやひやしたが、さすがに足の速い小学生には追いつけずに、顔を真っ赤っかにしてもどってくるのだった。

その命知らずの男子たちは、足の速さと身軽さには長けている人々で、しかもずる賢く、逃げる時も自分の胸の名札を隠してペキンにばれないようにする、という徹底ぶりだった。


そんな場面を何回も目撃したが、そんなことがいつまでも続けられるわけもなく、ある朝の朝礼で収束を迎えた。

「ご近所の鈴木さんからお話がありました。いつも勝手に自分の土地に入ってくる生徒がいると。」
校長先生は眉間にしわをよせて言う。

「??」ザワザワ
「まっすぐに家に帰らず、寄り道をしたうえ、よその家に入ってふざけていると!鈴木さんは怒っていらっしゃいます!」
「??」ザワザワザワザワ
「ぺっきーぺっきーと大きな声で呼んで!」
「どっ(笑笑笑)」
「笑いごとではありませんよ!あの方は鈴木さんとおっしゃるんです!誰だ笑っているのは!!!前にでてきなさい!」
「・・・・・・・」
「心当たりのある生徒は校長室に来なさい。以上!」

その後どうなったのかは知らないが、ペキンに挑む男子も居なくなったことで彼の姿も見なくなり、すっかり忘れてしまった。

その当時40代くらいだったとしてももう40年以上経ってしまっているわけだから、今どうしていらっしゃるのか、ご存命かしら、とふと思う。

思えばあの頃は色々なことがいい加減だった。子供に手を上げる教師もいたし、ペキンのようによくわからない大人も野犬もその辺にいた。とても子供には見せられない過激な描写のテレビも普通に放映されていたし、田んぼでギャラリーつきのガチの喧嘩をしている男子もいた。

その時代から進化して反省を生かし改良されながら今の子供たちの暮らしがあるのだろう。私の住む田舎でもほんとうにきれいな子供たちが増えた。
しかしもし今もあのペキンの空地があれば、ペキンに挑む少年は少なからずいるのではないか。いや、挑みたいと思う子供はいるのではないか。

環境が変わっても、子供たちは基本的に何も変わっていないと思う。
その環境にその都度あわせて生きているだけだ。

散歩中に寒空の中、薄着で爆笑、爆走しながら下校する近所の小学生をみてふとそんなことをおもった。

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