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モンゴルのひと


もうかれこれ20年以上は経過した。初めてモンゴルに行ったのは私が23歳くらいの時で、社会人3年目、独身、実家住まい、社会も世間もナメくさっていた頃の事だ。

なにをナメていたのか書きながらもいまいちわからないが、今の若い人たちを見ると、自分が過ごした20代がいかに浮かれ調子で無責任でアホだったのかがよくわかる。そして世の中もそんな雰囲気だった気がする。
週末になれば街は人でごった返していた。昼間の百貨店も夜の飲み屋街も人だらけで、ブランドもので着飾った人がたくさんいた。若い新卒が平気で高いスポーツカーを購入して乗り回していた。かくいう私も新卒で赤いオープンカーを購入しエラそうにその車で通勤していた(もちろん幌は閉めてましたよ)。今思い出しても恥ずかしくて情けなくてあまり思い出したくないことばかりだ。いやな汗がでてくる。

しかしそんな20代にも忘れられない、忘れたくない思い出がある。それがモンゴルだ。
私には高校時代から仲良くしている友人がいて、その友人の誘いから事は始まる。

「今度モンゴル行かない?」

世間の一般的な女性方の旅先はグアムやハワイ、ヨーロッパなどが主流だった頃で当時モンゴルは秘境だった。朝青龍や白鵬だってその頃はまだ日本にいない。モンゴル人のイメージといえば、長い釣り竿みたいな棒を持って緑の草原で馬に乗っている人、白いテントみたいな家に住んでいて、羊とか牛を放牧している人、何を食べて生きてるのか、どうやって生活しているのか、ぜんぜんわからない人、だった。

想像しただけでワクワクした。

遊牧民とあの綺麗な緑の草原で馬に乗りたい!あの緑のビロードのような草原でおもいっきり寝ころびたい!大きな夕陽を見て感動しちゃって泣いちゃったりするのかな!

ツーリストキャンプのイメージ

実際はというと、馬に乗るのはすごく体力が必要で、疾走させれば乗っている自分も荒い息を吐くほど大変、全然優雅じゃない。草原はもちろんだけどビロードではないので草が痛くて寝ころぶとちくちくする上にハエが尋常じゃなく顔の周りに集まってくるのでとても寝ころんでぼーっとなどできない。大きな夕陽は、、たしかに大きくてすごかったけど一日が終わるとへとへとでとても写真を撮ったりする元気はなく、あまり元気に喜べなかった。

理想と現実。

しかし、先に言ってしまうと私はこのモンゴルに3回も行ってしまうことになる。好きすぎて3回も行ってしまった。はまってしまった。友人も共に。

信じられない程の星

落馬して肋骨にヒビが入ったし、謎の腹痛で空港の検疫で止められたし、馬糞まみれになったし、草原にゲロも吐いたし、口の周りだけ日に焼けてドロボーみたいになったんだけど。

それでも毎回日程を終えて日本に帰るとき、泣いてしまった。この旅が終わるのが惜しすぎて泣いてしまっていたのだ。

子供達は2歳くらいから馬に乗る

遡ること20数年前、私の住む地方ではモンゴルを扱う旅行会社は無かった。当時インターネットも身近になく、旅行雑誌「地球の歩き方」「ABロード」などをよく読んでいた記憶がある。作家の椎名誠さんがモンゴルを舞台にした映画を撮影した頃で、その映画撮影をサポートした旅行会社が、旅行雑誌にカラーで大きく載っていた。たしか名古屋にある旅行会社だったがそこにお願いすることにして、ビザの取得やら事前の準備やらを電話で何回もやりとりして事細かにご指導いただいた。ネット予約もグーグル先生もない時代の話だ。

ツアーの旅行だったが、キャラバンツアーといって草原のなかに旅行会社が持っているベースキャンプ地があり、そこを拠点に馬に乗りテント泊をしながら延べ4日間程移動し、最後はベースキャンプに戻ってくる、というもの。馬は現地の遊牧民の馬を貸してもらって、しかもその遊牧民がずっとつきそってくれる。

こんな感じ。ヘルメットはありません



1グループはだいたい5~8人くらいだったと思う。それに対し遊牧民が1~4人ついてくれて通訳兼ガイドが1人。大きな荷物やテント、食料はトラックに載せてその日の野営地に先回りしていてくれるので自分たちは少ない荷物で馬に乗ればよかった。
昼食場所、休憩場所にもトラックが待っていてくれるのだが、こんな何の目印もないひたすら緑の草原と大きな空しかない中でどうやってその場所を特定しているのか謎だった。先導する遊牧民も小さな紙を見ながら何となくパカパカと進んでいる風で、「僕のおじさんの家がここの近くにあるんだ!」などと言うけど、見渡す限りずっと遠くまで家どころか木や山すら無い。何もかもがスケール大きすぎ。空も大地も人も。

夏の祭典ナーダム

3回行っているが3回ともキャラバンツアーだった。馬にひたすら乗ってテント泊をする日々。ついてくれる遊牧民はおじさんだったり10代から20代の若い男の子で、3回ともそれぞれ違って思い出深い。みんな素朴で優しくてシャイでいい人たちだったなぁ。
現地ガイドはどうにも酒癖の悪いガイドさんもいたし、日本人の女の子と仲良くなりたくて仕方ない若い男のガイドさんもいたし、私たちと同じくらいの年齢の女の子のガイドさんもいた。それぞれに個性的で面白くて楽しい人たちだった。

私もだが、ツアーに参加した日本人たちはほぼ乗馬の経験は無かった。どさんこをもう少し大きくしたくらいの馬にうすいクッション付きの鞍がつけられており、いきなり「さあ、乗って」と言われて旅のメインの行程が始まる。
メインの行程は、ただただ馬に乗って移動する。それだけ。いたってシンプルだ。

日がな一日馬に乗ってひたすら移動するのだが、馬という生き物に乗るのは想像以上に大変で、鞍があるとはいえ安定感の無い生き物の背中に乗ってバランスをとりつつ、時に早足、時に駆けながら手綱を引いて、O脚に足を踏ん張りながら尻をひたすら鞍に叩きのめされるのはヤワな私たちには過酷だ。
基本的にはゆっくりと進んでいくが、思いっきり走らせるときもあるし、急な岩場の斜面を行ったり、川をざぶざぶ超えたり、雷雨の中進んだ事や、夜の真っ暗な中走ったこともある。これ、ヘタしたら大けがするな、と思うこともあった。
しかし、しかし。


広大な緑の草原の向こうにうすく青がかった地平線を見たとき、分度器みたいな虹を見たとき、青すぎる空を見たとき、草原を疾走したとき、馬に乗りながら笑い合ったとき、パノラマの夕陽を見たとき、遊牧民の衣服が草の色に映えたとき、信じられない量の星を見たとき、遊牧民の幼い男の子が摘んだピンクの野花を受け取ったとき。

生きていてよかったと心から思った。

こんなにきれいな景色もこんな気持ちも生まれて初めてだった。生きていてよかったなんてのは安っぽい言葉だと思っていた。
感動というよりは、血が騒ぎ幸福感に包まれるような感覚だった。ずっとずっとこの景色をここに住むこの人たちをこの美しさを見ていたいと思った。

「前世はモンゴル人だったのかもしれんね、私ら」
旅の終わりにはいつもそう言い合っていた。

このモンゴルにはもうひとつ思い出があって、無事に旅を終えて日本に帰り仕事に行くと人事部の人から、社内報に旅の手記を書いてくれと頼まれた。社内報には毎回職員の趣味や休みの過ごし方を掲載する「マイ・ホビー」という欄があり、そこにモンゴルに行ったことを書いたらどうか、と。
喜んで書いた。結果たくさんの人が読んでくれ、たくさん感想をもらい、お褒めいただいた。全く会ったことのない遠くの支店の人から、「モンゴルのひと!」と言われたりした。
その会社はとうに辞めてしまっているが、職場結婚をした為、夫は今もその会社で働いている。つい先日、初めて会う職員に「奥さんってたしかあのモンゴルの人ですよね?」と言われたそうだ。
20年以上前のこと。覚えていてくれたんですね。ありがとう。
はい、モンゴルのひとです。おそらく今は変わり果ててしまっているであろうモンゴルをこわくて見れないモンゴルの人です。20数年前のあのモンゴルにまた行きたいと思っている傲慢なモンゴルのひとです。

あの遊牧民たちは今も元気にしているだろうか。
ガイドさん達も歳をとっただろうなぁ。私と同じように。
でもあの草原と空はきっとあのときのまま変わらずにいるのだろう。
あの時は本当にお世話になりました。バヤルララー(ありがとう)!



画像:HIS.ユーラシア旅行社よりお借りしました


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