娘の部屋を掃除した
「掃除をしにきて欲しい、もう自分ではどうしようもない域にまで達してしまった。」
という娘からの電話。
今年社会人になった娘の住む東京のアパートはワンルームだ。広さは12畳くらいでわりと広めなのはグランドピアノがおいてあるから。彼女は音大を卒業して今年音楽の教師になった。
娘は掃除がとても苦手だ。といってもゴミ屋敷にしてしまうだとか足の踏み場がないとかっていうことじゃない。
それは風呂場は赤カビだらけで排水溝を開ければもうヘドロ状の汚れが溜りにたまっていて、台所にはいつ洗ったのかわからない曲がったフライパンがコンロにあって、流しは汚れでつまっていて、っていうそういうことなんだけどそれ以上に、、。
なんというか、ゴミが片付けられている。という感じ。たくさんある収納の中はもう洋服やバックがパンパンにつまっていて奥になにがあるかわからない。チェストの引き出しの中はよくわからない紙類でパンパン。冷蔵庫の中はカオス状態でもう原型をとどめていないかつては食料だった物体がたくさん。整理して捨てればいいものを押し込んで蓋をして見えなくしてしまった系。
結局、洋服も整理されていないので何があるかわからず着たいものが無ければ買う→着る→しまう場所がない→またクローゼットの隙間にねじこむ→わからなくなる→買うの繰り返し。
冷蔵庫もそう。使いかけのコンソメの箱やら焼肉のたれがたくさんある。風呂場にももう使っていないシャンプーやらトリートメントがたくさん並んでカビている。
大切な仕事道具のグランドピアノなんかはもう埃だらけでその埃も時間が経ちすぎてなんかベタついている。これは蓋できないからなあ。
つまり、面倒なことを後回しにしていたらこうなっちゃった的な感じ。
部屋が広めで天井も高いので、片付かないものを収納に詰め込んでしまえばパッと見片付いてみえる。しかしいよいよ入る場所がなくなりそのへんに物を置くようになり、なんかいろんなところが汚くなってなにからかたづけていいかわからなくなっていやになっちゃってもっと汚くなってでもめんどくさくて汚くなってまたいやになって。
こんな感じだろう。
仕方がないから掃除目的で上京した。徹底的にクリーンアップした。邪悪なエアコンは業者を呼び、壊れた数々の箇所は大家さんを呼んだ。ワンルームの部屋から信じられない大量のゴミがでて共同のゴミ捨て場はうちのごみであふれてしまった。ごめんなさい。
そして彼女のこれからを考え、家事の動線を考え模様替えもした。
よし。どれだけもつか不安を抱えつつアパートを後にした。
そして1週間後、娘からまた電話が。
「あれからきれいな部屋は続いている。きれいにできていて完璧!」
おお!なんということか!信じられないがすごい嬉しい。あんなに片付けられない娘がどうしたことか。
その訳を聞いた。
娘は特別支援学校の教員をしている。生徒はひとりひとり精神的な特性があって、その子にあった生活や指導をしていくのだが、その特性のひとつに
”1からはできないけど、今ある状態を維持することはできる”
というものがあるらしく、もしかしたら自分はこれかもしれない!とひらめいたそうだ。
案の定家に帰り、私がきれいにしたところを汚した分だけきれいにし、元に戻すという意識で実行したところできたのだという。きれいな状態をキープするのは苦にならないらしく、きれいが続き気分も良く、何よりやり方が分かったのが嬉しいとのこと。
私も嬉しいよ。これなら結婚できる。肩の荷が下りたわ。
そして娘は言う。みんなそれぞれそういうところがあるんだよ、きっと。
たしかに娘はどちらかというとしっかりものだ。小学校低学年のころから忘れ物は一切しなかった。宿題や時間割は抜かりなく、みんなで持ち寄る食材がある家庭科の授業の時などは忘れそうな人の分まで考えてもっていくような人だった。でもそれが彼女のすべてではない。
なるほど。考えてみると娘にかぎらずそうかもしれない。
例えば私は毎日同じことができない。というか同じ感覚を覚えられない。
結婚してからわたしは毎朝おにぎりを握っている。もう20年以上続けているが同じ大きさにできない。普通の人々ならきっとこれだけ毎日やっていればコンマ何グラム単位で同じ大きさのおにぎりが握れるようになるんだろう。もう感覚で身体がわかるようになるという人間として正しい機能というか。それが私にはできない。同じようにしようと毎朝思う。だいたいこれくらい?だよな、うんうん。と出来上がったおにぎりはえらく大きかったり小さかったりするという毎日。自分でも不思議。なぜ同じことできないのか。
決められたことを決められたとおりに行うのはできる。だってやり方があってその通りにやればいいんだから。頭や感覚に頼らなくてもいいから。
でもいざ頭や感覚を使うとなると、やっぱり違うことしちゃって自分でもアレ?となる。昨日はこう思っていたけど今日はそんなふうに思わないな、てこともあるしこの前はこう見えたのに今日は全然違って見えるってのもある。
というか前にやった感覚を忘れてしまう。
だからあまり自分を信用できない。ブレブレだから。
生きていく上でブレちゃうと大変なことは何となくブレないようにできているのか、人に対する思いとか印象とかはいつも同じだし、好き嫌いもあまり変動しない。感情もあまり変動しない。だからやってこれたのかな。
考え始めたらたくさん思い当たりそうだった。きっとそういう一面はみんなあるんだろう。みんなそれぞれ人には理解されにくい特性があるのだと思う。それを俯瞰してみられるかどうかで生きやすさとかにつながってくるのかもしれない。
そもそも特性ってなんだ?ってことなのかもしれない。個性?よくわからないけど。
そんなことを考えた娘の部屋のクリーンナップ大作戦であった。
人を導く教師という仕事をしながらこの汚い部屋はありえない、と説教してごめんなさい。今日も私はお父さんに巨大おにぎりを作ってしまったし、先週作ったピアスがなんでつくったかわからないくらい好きじゃなさすぎて捨ててしまったよ。
私は解決策すら考えず、今日も元気です
かしこ
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