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推しに抱きしめられる


高井さんのこのポストがとても好きで何回も見返している

永遠の推し。私の推し。確かにそうだ

あまりにしっくりしすぎて笑ってしまう


私には1番目の推しと2番目の推しがいる

1番目だから2番目だからとかという差は全くない。ただ単に初めに出会ったのが1番目で次に出会ったのが2番目というだけ。推し具合は同等である


推し1号は社会人になり1年が経った。推し2号はまだ大学生だ
2人共東京に住んでいる

推し1号が部屋が汚くなったといえば飛んで行って朝から晩まで掃除する
大好きな新大久保も、行ってみたい美味しいお菓子屋さんも、地方にはない古本屋街も行かなくていい、というかどうでもいい。直行直帰でいい


片付けが苦手な推し1号に軽く説教をしながらUberでも頼んで綺麗になった部屋でゆっくり一緒に食べられたらもうそれでいい

というかもうそれ最高。



推し2号がゼミ合宿の費用が欲しい、定期代が欲しい、米が欲しいといえばすぐに送る。喜んで。なんなら米と一緒にお菓子も、パンも缶詰も一緒に送っちゃう。
推しの好きなお菓子や食の傾向は熟知している。もしかしたら日用品も足りてないかも。シャンプーやら洗剤やらも気になってきて段ボールに一緒に詰める。近くの郵便局へGO!


こんなのAmazonでポチッてしまえばスマホひとつでサクッと簡単に送れるのに。知っているのに


推しの要望を誠心誠意!

素早く!

無駄な労力を使って!

喜んで!心の底から!


こんな幸せが待っているなんて、20代のワタシは想像もしていなかった

あの頃の私に教えてあげたい

50歳を迎える頃、あなたは信じられない程幸せなんだよ。生きてきた道のどこにも無かった居場所を得られるよ。生きてきて良かったと思ってるよ

だからここまできて。投げ出さないでここまできて、と。



幼い頃から何不自由なく生活してきたのに、なぜかいつも心は空っぽだった
友達やクラスメイトが羨ましかった。皆んな自分自身の人生を生きられて羨ましいと思った。
心と身体がきちんとくっついてていいなぁと思っていた

自分にわいてくる感情を自分で信じられなくて、楽しくても悲しくても悔しくても、それが全て間違っている気がした

嬉しいときに嬉しい顔をしてよいのか、怒っている自分は変なんじゃないのか。自分の言動は合っているのか。
笑っていても落ち込んでいても、外から見ている自分がどこかにいて、いつも見られている気がした。
自分の思いや行動が間違っている気がして仕方なかった


自分がどういう人なのか何を信じて生きていけばいいのかわからず、迷うと母に聞いたり兄を見たりしたが、いまいちしっくりこなかった

それでも優しさや怒り、悲しみの感情に合わせて自分の行動をコントロールして何とか集団生活をこなした。
見よう見まねだったが仲の良い友達もできたし、家族ともうまくやっていたと思う


でもやっぱり自分の事がよくわからなかった

16歳くらいになると、さらに心と身体は離れてガタガタになった。不安で苦しいからその時自分のそばにいる人に全て合わせた。そして考え方や言い方、表情や身のこなしまで全て真似た

そうしたらとても楽になった

真似るのは大体は仲の良い友達でその友達はクラスの人気者だったりしたので(友達には恵まれた)真似てさえいれば間違いなかった。誰にも嫌われないし、うまくやっていけたし、何より安心感があった

空っぽでもいいや。これでいけばいい。不安はなくなったと思っていた


が、20歳を過ぎたくらいにいよいよおかしくなった。周りはもうすっかりキチンとした大人ばかりになり、とてもくっついて真似るなんていう子供じみた事はさせてもらえなくなったのだった

空っぽの心は常に寒くて冷たくてひたすら寂しかった

寂しくて仕方なくてやたらと物を買い漁ったり、飲みに行ったり、楽しそうにしている人に便乗して遊んだ

仕事をしてもモノにならず、深い人間関係も築けず、どんどん苦しくなり、よくわからない体調不良に悩まされてしばらく仕事を休んだりした

だんだん人が怖くなった。誰も信じられず、自分も相変わらず信じられず、どこにいても何をしても寂しくて寂しくて仕方なかった

「あなたって変わってるね」
「何考えてるかよくわからない」
「変な人」

とよく言われた

寂しいのにどうしていいのかわからなかった


そんな時、コミュニケーション能力に長けた太陽のような男性と奇跡的に出会い結婚した

神様っているのかも、と思った


そしてまた奇跡的に推し1号を授かり無事出産した

しかし、今までの人生はただの序章に過ぎず、ここからが本番だった

喜ぶ間も無く、よくわからない自分の闇を引きづり出すときが来たのだとこの後私は確信する



出産したその日の事は今でもよく覚えている

私は何てことをしてしまったんだ…と産院のベッドで大号泣したのだった

こんな私に何が出来るんだ
今まではヘラヘラと生きてこられてもこれからはそういうワケにいかないじゃないか。何もしてやれないし教えてやれないし、何よりも人生が楽しいと言ってあげられない!なんて可哀想な子だ…

声を上げて泣いた 

それくらい自分で産んだ小さな人間は、大切で大切で仕方なかった。愛おしくて仕方なかった

愛おしいのに、それに見合う母親になれないとわかりすぎて、怖かった。いい加減な事をして何かの事故でこの子を失うかもしれない。大怪我をさせるかもしれない。そんな事になったら耐えられない…


あれから20数年。必死だった日々を思い出す


推し2号も誕生し、とにかく毎日必死だった。なんとしても幸せに生きられる人生にしてやらないといけない

「私のようにならないように!」

それが育児のスローガンとなった。いま思えばなんて独りよがりなスローガンなんだろうと呆れるが、当時はもう一切の余裕もなかった

仕事が多忙で留守がちな夫に代わり、育児はほぼワンオペだった私は、たくさんの人が集まるサークルや遊び場に出掛け、実家や義理の実家にもやたらと2人を連れて行った

特に太陽のような夫を育てた義理の両親はとてもあたたかく、優しく、やはり太陽のような家だったので推し1号にも2号にもたくさん触れさせたかった。推し1号2号はじーじ、ばーばが大好きになった

私自身に力がないので、周囲の人の力をたくさん借りた
とても自分ひとりでは自信がなかった。じーじやばーば以外にも本当にたくさん色々な人に助けてもらった

推しの為なら遠慮なく助けを借りられた



それでもよく行き詰まって苦しくなった。そんなダメな母になってしまう自分にほとほと嫌気がさした

泣きぐずる推し1号2号を抱き上げながら、自分も泣いたりした


そんなとき、推したちは泣きながらも私の首を小さな腕でぎゅっと抱きしめてくれた


抱きしめられている


私が抱き上げているけれど、抱きしめられているんだと思った

途方に暮れている私にも彼らの腕や身体から伝わってくる無償の愛が確実に感じられた

そしてこんな私でも何の迷いも曇りもなく、好きでいてくれる事に戸惑った

その愛を受け止められるのか自信がなくてまた泣きそうになった


でもその小さな腕や柔らかい頬はとても暖かくて唯一信じられるものだった

こんなに小さな彼らはとてもまっすぐでとても大きな感情をもっているのだと打ちのめされた

打ちのめされても毎日は続いていく

彼らの毎日は続いていく

私はこの柔らかくて暖かい苦しさを少しずつ受け止めた
受けとめずにはいられないくらい彼らは私の心のすぐそばにいた

また今日も明日も当たり前の静かな毎日を過ごして行こうと思えた

苦しくても彼らのパワーは私にとって真っ直ぐで確かなものだった

そうやって少しずつ自分の内面と対峙した



色々な事があったが、無事に推し1号2号は成人した


気がつけば寂しくなくなっている

推し1号2号に抱きしめられた私は、疑う必要がない感情をたくさん貰ったのだと思う

もう苦しくもなくなっている


無償の想いを彼らはどれだけくれたのだろう


だから今日も私は彼らを推す。何があっても推す

誠心誠意!

素早く!

無駄な労力を使って!

喜んで!心の底から!


彼らは私の恩人なのだ。




いつ人生が終わってもいいと思っていた20代の私よ

終わったら楽なのにと思っていた私よ

どうか終わらせないでください
推しがくるまで

心配しなくても推し1号はあなたの夫にソックリですから。びっくりするくらいあなたには似ておらず、太陽のようですから

推し2号は残念ながら少しあなたに似てるところもありますが、賢さはあなたとはレベルが違います。似てません。そして太陽、ちゃんと持ってますから

大丈夫。人生は意外なところに進んでいく事もたまにはあるみたいだよ

あ、でもね、やたらと海やプールに行って黒く焼いたり素肌で外にでるのやめよっか。シミは後に後に出てきてどうしようもないから

あとさ、I日しか着ないのにブランドの高いスーツとか買うのやめようよ。結局ゴミになるんだよそれ

あと、貯金ちゃんとしようね、推し活に資金は必要だよ

いや、でもさ。よく頑張ってるね。えらいね

私はよくわかってるよ

ここで待ってるからね、きっときてね

待ってるよ。










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